史料19で、なぜミズチは「鹿」に化けたのでしょう。また、瓢箪にはどのような意味があるのですか。

ミズチが鹿に化けること自体は、瓢箪とは直接的には関係ありません。現代人にとっては不思議かも知れませんが、古代人にとって、鹿と水とは非常に関わりの深い存在であったようです。それはひとつには、海や川を渡っているときが鹿の最も無防備な状態であり、弓矢で狩猟しやすかったためです。ユーラシア大陸アメリカ大陸北方の狩猟採集民は、現在でもこの方法で大量のトナカイを狩猟しています。ゆえに、水を渡る鹿は古代人にとってとくに印象深かったようで、正倉院文書にはこれをモチーフとした鏡のデザイン案も残っています。また、古代神話や古代神社の縁起のなかには、川上から神の化身である矢が流れてくるという場面がよくありますが、これも鹿猟に使った矢がよく川を流れていたことに基づくのだろうといわれています。なお、瓢箪については、古墳時代の水の祭祀に使用されていたことが明らかとなっています。水の祭祀場の跡から、実際に瓢箪が見つかっているのです。これらは、聖水のうえに浮かべたり流したりしながら、神の意図を推測しようとした一種の占いの道具だろうと考えられています。史料18や19も、本来は神を貶めるために瓢箪を用いたのではなく、神の意志を探って開発を成功させる物語であったのでしょう。