仏教思想には、「一切衆生悉有仏性」など生命平等主義的な考えがあるはずだが、なぜ六道のなかの畜生道は人間道よりも下に位置するのだろうか。

別の講義でも話したのですが、確かに仏教には「生命圏平等主義」的な考え方があるのですが、そこには様々な留保も付けられているのです。例えば「一切衆生悉有仏性」という文言の典拠である『大般涅槃経』ですが、この経典の別の箇所では、石や瓦礫などの「無情」は衆生の範疇に入らないと明言しています。「無情」は心のないもので、実は、植物もこちらのカテゴリーに入るのです。つまり、一般には「生きとし生けるものすべては仏になれる可能性がある」と訳されているこの文言は、正確には、「植物を除く人や動物は、すべては仏になれる可能性がある」と解すべきものなのです。本来の仏教では、植物は人間と同じ生命とはみなされていなかったんですね。また「畜生道」というのは、現在の人間が考える「自然のなかの動物の世界」ではなく、人間に駆使されたり殺害されたりする動物の世界なのです。そこには確かに、「動物に生まれるより、人間に生まれた方がいい」という発想があります。仏教も差別全般と無関係ではないんですね。