外港としての紀水門が他界への入り口と認識されていたなら、他国へゆくことは他界へゆくことと等しかったのですか。 / 紀水門が難波以前の外港だと分かったのはなぜですか。

例えば、奈良〜平安期の仮想敵国とされていた新羅など、根国から疫病をもたらす疫鬼らの温床とみなされていました。日本を訪れた外国使節に対し入念に境界祭祀が行われるのも、外国と他界を重ね合わせていた証拠でしょう。前近代では外国のみならず、村落共同体や家屋敷を区切る境界にも他界への入り口が設定されていました。日常的価値観、想像力を超える外国ならば尚更であったでしょう。
なお紀水門の外港としての機能は、難波の整備が6世紀以降に本格化することが考古学的に確認できること、紀水門周辺に分布する紀臣・紀直(国造)らが外港や対外軍事に活躍していること、紀水門からヤマトに至るルートが整備され大規模倉庫群など交通の拠点が確認されること、渡来人を統率した葛城氏の本拠が存在することなど、様々な根拠から実証されています。