2014-10-29から1日間の記事一覧
多くの点で間違っています。まず、現在靖国神社は公共の施設ではなく、一宗教法人に過ぎないということ。そうした機関に閣僚が公式参拝するのは、それ自体が政教分離を否定する行為であり、信教の自由の問題にも抵触します。また、靖国神社は先祖のお墓では…
非常に危険だと思います。授業でお話をしていますように、いちばん気になるのは、そうした危険な動向を大部分の人が「危険」と認識せず、無関心のもとに放置していることです。若年層も、「誰に投票しても同じ」という常套句をファッションのように駆使し、…
江戸時代までの神社のあり方は、授業でもお話ししたとおり、神仏習合が当たり前の情況にありました。寺院のなかに神社があり、神社のなかに寺院があるのが通常の風景だったのです。また、神道にも種々の教派があって、地域的・思想的に多様な神々が展開して…
ひとりひとりの個人的信仰のあり方を復原するのは難しいですが、一般的にいってまったくの無神論者ではなく、やはり何らかの神仏に関わる信仰を持っていたものと思います。神道を強く信仰していた可能性もあります。怖ろしいのは、宗教の政治利用を主体的に…
天皇が国家経営のための機関であり、制度であるということは、例えば近代的な国家概念のもとでは正しい認識といえるでしょう。しかし近代日本の目指した国体のあり方は、天皇自身を不可侵絶対の「現人神」に祭り上げることでした。こうした考え方のもとでは…
確かに、当時の政治家や文化人の談話などをみていても、明治天皇の崩御が「一時代の終焉」を印象づけたことは確かです。国体を強力に構築し、富国強兵を進めて世界に冠たる国家を建設してゆこうというモチベーション、時代・社会の雰囲気は緩和し、それが政…
すなわち、国体にしても皇国史観にしても、もともとはヤマト王権の「民族」主義的な神話に端を発しているので、せいぜい日本列島における大王=天皇支配の正当性を語るものでしかない。しかし帝国主義のものと他国の領土を侵犯し始めたとき、それを「侵略」…
史学史的にいえば、原勝郎の『日本中世史』に至るまでの時代における中世の位置づけ、ということですね。これは西洋史における中世の位置づけに多分に影響されているのですが、奈良・平安を古典古代と位置づけ、その王朝文化に正統的な価値付けを与えたとき…
小路田泰直説でしょうか。確かに戦後の津田は、中国を蔑視しつつ、天皇制擁護・反アジア主義・反マルクス主義の立場をとっていますので、転向者であるとか、あるいは一貫したナショナリストであったとも位置づけられています。しかし問題は、彼が方法・思想…
ヨーロッパでのジャポニズム、日本研究は本格的に始まりつつありましたが、やはりマイナーな文化であったことは確かで、丸山の言動には大きな誇張があると考えられます。世界の一般的な評価というより、近代日本人としての自負と理解した方がいいでしょう。
上で述べましたように、神道には教義がありませんので、正確にはイエスに相当する立場の人間はいません。創唱者も存在しないわけです。しかし、神の言葉を語る人、という意味では、各地の神社やその周辺に、シャーマン的な役割を果たしていた人々がいました…
以前に論文に書いたことがありますので、詳しくはそちらを探してみてください。簡単に述べますと、『古事記』や『日本書紀』のなかには、4〜5世紀頃に紀水門がヤマト王権の外港だった頃、他界として設定されていた紀伊国のイメージと、6世紀以降に難波が…
当時は、突出した能力を持ちながら非業の死を遂げた人々を神として崇めたり、あるいは特別な能力を持った人々を生き神として信仰する文化も存在しましたので、国家によって不可侵の存在として喧伝された天皇を「神」と認識することも、必ずしも不自然ではな…
本物/偽物という価値付けが適切かどうかは分かりませんが、講義で縷々述べたとおり、これまでの神道の文脈を大いに逸脱し、ある意味ではその伝統を破壊しながら成立したイデオロギーであったことは確かです。神道家のなかには、未だに国家神道的思想を奉じ…
神祇信仰は、各地域によって特色ある自然信仰、氏族の祖先信仰、外国から輸入され定着した新しい神々などが、雑多に共生しながら崇拝されている信仰形態でした。古代国家としては、それらの崇拝の形式、祭祀の形式を統一しようとしましたが、現実には大きな…
冒頭にお話ししたように、国民国家はその運営のため、国民を結集させる何らかの物語を必要とします。その典型的なものが歴史で、いわゆるナショナル・ヒストリーということになります(アメリカのように現実に歴史の浅い国では、建国の理想・精神などがそう…