最近流行している言葉に、「里山資本主義」というものがあります。現代人がより生活しやすいように、自然の力を弱めてゆくという動きでしょうか。

現在の日本列島の人口を里山的システムで維持することは不可能ですので、里山資本主義という考え方は、まったく実現の可能性のない絵空事と思います。まず、この構想には、環境史的な問題追究の視点がまったく欠落しており、例えば里山が形成された中世後期〜近世・近代にかけての農村がどのような状態だったのか、ノスタルジックな農村イメージのなかでしか思い描けていないのです。「昔は良かった」的な発想に安住し、そのなかでいかなる問題、課題があったのかを見極めてゆかないと、環境問題などは一切解決しませんし、持続可能な社会・経済を構築することもできません。里山は、自然の回復力と人間側の搾取量がギリギリのバランスのうえに成り立っている状態で、結局、その自然空間が養うことのできる生命体の個体数が鍵になってきます。人口が増えれば搾取量を増やすしかなく、バランスは崩壊して環境は破壊されてゆくばかりです。現在、日本の自然環境の情況は必ずしも良好とはいえないわけですが、里山的利用のあり方をその対極に位置づけて理想化するのではなく、里山的利用のあり方が破綻を招いたのだという見方に転換しなければ、同じ過ちを繰り返すことになるでしょう。