殺生功徳論が出現し、皮革業者や屠殺業者への差別は、消えるどころか広まっていったのはなぜでしょうか。考え方によっては、殺生をしている罪悪感を他人に押しつけることで、自身の罪の認識を軽減しようとする狙いがあったのでしょうか。江戸時代頃から差別が広がったと思うのですが、武士が殺生をする機会が減少していた、なぜその時代なのかも気になります。

ご指摘のとおりですね。上に答えたこととも関連しますが、殺生功徳論によっては罪業論は解消されませんでした。むしろ罪業論が強固であったために、功徳論が意味を持ったのです。屠殺業者・皮革業者は、権力にとって、社会にとって必要な存在でした。権力は彼らを抱え込むために、社会もその業務を固定的に踏襲させ搾取させるために、自らをその業務から遠ざけ利益のみを得るために、あえて差別的圧力を強めていったのです。そうした情況は、現代に至るまで大きく変わってはいません。我々は屠殺を残酷だと批判的な目でみながら、皮革製品を身に纏い、毎日のように肉を食べ、快楽のみを搾取しているのです。