連累という概念にはある程度納得できた。他の国、とくにWW2における戦勝国などは、どのような戦後補償を行っているのか知りたい。

例えば、戦時中の日系人に対する差別的扱い、強制収容問題などが分かりやすいでしょう。一番の戦勝国であるアメリカは、1990年以降、大統領の謝罪の手紙を付け、個々の日系人に対し20000ドル(当時、約200万円程度)を支払っています。これは、現在どこに住み、どこの国籍を持っていようが補償されるという制度です。またカナダでも、ほぼ同じ金額の20000カナダドルの小切手を、謝罪の手紙とともに日系カナダ人へ支払っています。戦敗国であり、ナチスの災禍をばらまいたドイツは、a)国家が国家に支払う、b)国家による強奪物の返還、c)国家または団体が個人に支払う、という3つの方向で補償を進めてきました。cのみ充分には行われてきませんでしたが、2000年に「記憶・責任・未来」基金が発足、約176万5000人を対象に総額約43億7300万ユーロが支払われる計画です(1人平均約40万円が支払われる計算)。補償の総額は、2030年までに1200億マルク(約9兆6000億円)を超すともいわれています。それに対し日本は、アジア諸国への賠償について、とくに個人の戦後補償についてはほとんど対応してきませんでした。国家間の補償についても、「解決済み」を主張してきましたが、それは冷戦体制におけるアメリカの庇護のもと、連合国軍の多くが賠償金請求権を放棄した事情が背景にあります。サンフランシスコ講和条約に参加しなかったアジア諸国は、個別に日本と交渉しましたが、そのほとんどが結局は金銭賠償を放棄し、経済技術協力へ形を変えて履行することに同意しました。その結果、日本は生産力を向上させてアジアに貿易圏を作ることに成功し、高度経済成長を成し遂げてゆくのです。まさに連累の問題であり、この分野の専門家である内海愛子氏は、かかる問題がアジアの人々に怨恨を残す結果になった、と述べています。昨年も、戦後30年近くを経て日本へ復帰した小野田寛郎元少尉が、戦後フィリピンの周辺村民を殺傷していた賠償問題に対し、NHKの取材によって、結果として実際の被害を受けた人々には何らの補償も行き渡らなかったことが明らかにされました。日本の戦争責任についての言い訳に、よく「帝国によるインフラ整備が、アジア諸国の独立を助けた」云々のことがいわれますが、そのインフラ整備は、戦中も戦後も、あくまで日本が利益を獲得するために行われたのであり、その意味でやはり、帝国主義植民地主義は継続していたのだと考えねばなりません。アジアの個々の人々からみれば、日本はずっと搾取の元締めです。彼らがたとえ「尊敬」や「憧憬」を口にしたとしても、それは上記のような事情の裏返しなのだということを肝に銘じる必要があります。