神という存在を学問に適用したり、学問において言及することはprimitiveなのでしょうか。

必ずしもそうではありません。ただし、神というブラック・ボックスを価値や判断の基準にしてしまうと、それに基づく見解を批判したり、検証することができなくなる。科学の条件として重要な反証可能性、つまり学問的見解がそれに至る経過とデータとともに公開され、あらゆる人々に検証と反論の機会が与えられることに、違反してしまうわけです。それは科学的であるかどうかはもちろん、そもそも学問的であるともいえないのです。