墓に対する観念が時代によって変わる、その契機が何であったのか知りたい。

ぼくも気になるところですが、大雑把にどうこう考えるより、個別に検討してゆくしかないでしょうねえ。ひとついえるのは、生死や身体に関わるような、われわれがそれほど急激に変化しない、場合によっては何百年、何千年もあまり変わらないと考えている心性も、実は短期に変転するということです。例えば現代の東北地方ですが、同地は火葬場の普及がなかなか進まず、1980年代まで土葬の地域が多くありました。土葬をもっぱらにしていた地域では、近世以来、火葬に付すことは残酷だ、可哀想だという意識があり、例えば火葬を進めていた浄土真宗門徒の家などが、「あそこに娘を読めにやると、死んだときに燃やされてしまう」などといわれたわけです。しかし東日本大震災の際、津波被害のためにしばらく火葬場も運営できなかったことから、多くの遺体が土中に仮埋葬されました。それが5〜6月に火葬場が動き始めると、みな急いで遺体を火葬にしてゆき、夏前にはほぼすべての仮埋葬遺体が荼毘に付されたようです。遺族に聞き取り調査をしてみると、「早く火葬してあげないと、個人が不憫でしようがなかったから」といった答えが返ってきたとのこと。これはひとえに、東北地方の喪葬に対する考え方が、20〜30年ほどの間に劇的に変化したことを示しているのです。縄文時代は、1万年の長期にわたるもの。その原因は自然環境の変化によるものか、社会や経済の変化によるものか分かりませんし、時期や地域によってさまざまでしょうが、墓地に対する考え方の変化があったとしても、まったくおかしくないのではないでしょうか。