以前みたテレビで、「日本はもう格差社会から階級社会だ」と主張していました。これは完全に排斥思考の表れだと感じたのですが、この点をマイノリティの実態から考えてどう思いますか?

格差社会と階級社会の相違点は、どの程度その社会的・経済的位置が再生産され、次世代へ継承されてゆくかということでしょう。列島社会はもともと首長に依存した並列な共同体で階級的意識が弱く、なだらかで一定の入れ替わりのある〈階層〉社会とみられてきました。しかし近年は、格差の拡大と固定化が進み、変動を是としない排斥性、すなわち格差の是正を省みない保守性が顕著にみえます。一般に近代的な富裕層は、その資産から生じる精神的余裕を基盤に、文化の保全・発展や慈善事業を自らへの責任として課し、建前的にではあれ格差の是正、再分配を図ってきました。しかし新自由主義下の富裕層は、激しい競争を背景にいつ退転するかもしれない地位の不安定さに怯え、それを補強するために、むしろ格差の拡大と固定化を狙っています。列島社会のように、社会の利害関係が首長に代弁されるような共同体では、個々の市民の問題意識や主体性も涵養されません。他者を他者として了解するような心的態度は成り立たず、マイノリティは(その〈希少性〉によって)自らの地位を動揺させるものと認識されるか、関心の外に置かれるかのどちらかにならざるをえないと思います。