言語論的転回によって素朴実証主義は否定されたとありましたが、素朴ではない実証主義が存在するのでしょうか?

素朴実証主義は、当時の議論の文脈のなかで、単純な実在論への批判的呼称として使われたものでした。それに対して歴史学者は、我々は実証主義者ではあっても「素朴」ではない、批判されているような単純な認識論を持つものは歴史学者にはいない、と反論したのです。ゆえに、素朴かそうでないかという議論は、非常に相対的なものになってしまいます。しかし、あえて定義をするならば、「素朴」という冠詞に対して「懐疑的」という冠詞を当てるのが、歴史学者一般を表すうえでは適切かも知れません。言語の機能については充分認知していなかったが、テクストがそのまま現実に直結するとは考えていない、しかし、一定の手続きを踏めばそれへ到達することは不可能ではない、とする立場でしょうか。