ヤマト王権が同盟関係を結んでいた東限といえるのは、どのあたりまでなのでしょうか?

前方後円墳の北端は、岩手県胆沢郡胆沢町の角塚古墳(6c初、古墳後期)で、全長約45メートルの規模です。同時期の畿内大王墓、継体天皇陵とも推測される今城塚古墳が全長約190メートルなので、1/4ほどの較差となります。東北の場合、角塚古墳以南には、約70キロ離れた大崎平野に至るまで前方後円墳がなく、いわゆる蝦夷的な共同体のなかに食い込んだ首長社会の痕跡と考えられます。ちなみに東北最大の前方後円墳は、角塚より100年ほど前の造営になる宮城県名取市植松の雷神山古墳(古墳中期)で、全長168メートル、仙台平野一体の広域を支配した首長の墳墓と考えられています。