日常の生活空間とは隔絶したところに死者の世界が置かれた、ということは、縄文時代とは、墓の位置も含めてずいぶん考え方が変わってきたようです。
そうですね。古墳時代は、一般庶民の死者もしくは死後の世界に対する考え方は、実はよく分かっていません。日本列島は土壌が酸性のため、骨などが長い期間に融解されてしまい、庶民の墓を見出すことがほとんどできないからです。遺棄されていたか、それとも埋葬されたのかも定かではありませんが、中国と同じように薄葬であったことは確かでしょう。古墳時代には、死者の領域だけでなく、それと密接な神霊の降臨する空間も、日常と隔絶した自然の領域に設定されました。それは、逆説的ですが、村落と周囲の自然環境とが直結していた縄文時代に対し、自然/文化の領域が明確に区分され始めたためでしょう。そのことによって、山や海、地中や空などが、神聖な意味を付与されるようになったのです。例えば縄文時代までは、物理的に進入可能なら、人々はどんな山中にでも分け行って生活痕跡を残しています。しかし、次第に平地地域の開発が進んでいった弥生時代以降になると、人々は標高30メートル以上の山地には足を踏み入れなくなってゆく。それが、山中他界の起源のひとつでしょう。