最近、オオクニヌシ、アマテラスなど日本の神話における神々をエンタメ化し、ゲームの一部にするのが流行のようです。これに限らず、歴史を表層的に抽出してエンタメ化することに、私は反対です。歴史の本質を読み解く阻害になりかねないからです。

誠実な考え方だと思います。しかし、描き方に問題は種々あるでしょうが、ぼくはそれが、信仰を有する人たちを冒瀆するものであったり、社会的弱者を抑圧するものでない限り、強く反対はしません。なぜなら、前回お話ししたアマテラスのように、時代のあり方に応じて姿を変容させてゆくのが、神霊にとって当然だからです。中世、もろもろの時代のニーズに応え、仏教、儒教道教などの要素を得て変容した中世神話では、『古事記』や『日本書紀』に描かれた神々の姿は大きく変容してゆきました。例えばアマテラスは仏教の守護者となり、仏教興隆の兆を察知して襲来した第六天魔王から、「自分がこれを仏教国にはしない」と虚偽の発言をして、日本列島を守ったとの物語が描かれます。『古事記』や『日本書紀』に比べるとまったく異なる印象ですが、そもそも古代神話自体が、それ以前の神格のありようから大きく変化を遂げたものなのです。例えば皇祖神は、いまわれわれがみることのできる『古事記』『日本書紀』ではアマテラスとなっていますが、それ以前はタカミムスヒだったことが研究から判明しています。すべての事象は時間軸のなかで変化してゆくわけですから、歴史に「本質」などありません。そのどれかを正統なものと位置づけるのが伝統でしょうが、それは政治的な価値判断に過ぎないのです。ゲームやアニメーションに描かれた神霊のありようは、後世からは新たな神話の展開として研究されることになるかもしれません。