異形の者が英雄的存在として語られることは分かるのだが、生まれ方の異常さと、生まれた者の異常さの、2つの系統があるように思う。これらは異なるルーツを持つものなのだろうか。
なるほど、興味深い質問です。異常出生譚、いわゆる生まれ方が異常な例は、例えば聖徳太子(厩戸王)や行基など、通常の人間としてのありようが、史実として確認できる存在にも用いられます。太子は馬屋の前で難なく生まれ、生まれながらにして聡明で言葉を話したことが『日本書紀』の段階で、行基は木の股から生まれたとの伝承が、平安時代後期に成立してゆきます。安倍晴明は人間と狐との異類婚姻によって生まれた、というトーテム的な語り口も、異常出生譚のひとつでしょう。しかし、生まれた人間が異常であるという言説は、例えば大江山酒呑童子のように、母親の胎内で3年過ごし髪の生えた状態で生まれてくるなど、姿形が異常であり、存在自体も伝承に近い、あるいはまったくの架空の人物が多いように思います。前者のほうが、顕彰すべき人物を賛嘆する言説としては汎用性があり、広く用いられるようになったのでしょう。先にも触れたトーテム的異類婚姻あたりが原型で、エスニック・グループにおける始祖顕彰の様式が、広く王や皇帝、賢聖や英雄の伝記に援用されていったのでしょう。