少数民族の神話を伝承してゆく手段は、非常に限られてくると思うのですが、具体的にどのようなものがあるでしょうか。
まず第一に口頭伝承ですね。今日授業でお話ししたとおり、歴史学研究者には、文字記録よりも口頭伝承を曖昧、もしくは不確かなものだと考えている節がありますが、歴史実践をめぐる人類学研究では、何十代も前に遡る首長の系譜と活動を、淀みなく物語ってゆく語り部の存在が報告されています。近代的な意味での「精確さ」の問題はもちろんありますが、文字記録/口頭伝承の相違は、性質や役割、機能の点に求めたほうが建設的でしょう。例えばクロード・レヴィ=ストロース、ピエール・クラストル、ジェームズ・スコットなどは、文字記録に支配との関連性を見出しており、文字を忌避する民族が存在するのは、支配的権力の出現や、外部のそれに包括されることを拒否しているのだ、と考えます。意識的な運用によって可変性に富む口頭伝承は、支配の触手からするすると脱出するのに適しているが、文字記録はそのまま情報が固定されてしまうために、支配の道具/被支配の契機になりやすいというわけです。中国の正史においては、『後漢書』に少数民族の始祖伝承が多く収められています。これらのうちには、現在も何らかの形で保持されているものが多く、編纂の段階で何らかの調査、聞き取り作業が行われたものと考えられます。ヤオ族の犬祖伝承もこのうちに含まれますが、彼らは『評皇券牒』という独自の文書を生み出し、移動しながらその始祖伝承を改変していったことが判明しています。文字も使いよう、ということになるかもしれません。他にも、イ族やナシ族など、独自の文字を生み出していった少数民族は存在します。しかし、多くはその再現度に幅があり、一回性も高く、われわれの使用する文字より、口頭の世界に支えられている点が大きいことが指摘されています。そのほか、祭祀の折に登場する歌舞など、身体表現が記憶・伝承装置になることもありますね。