列島文化=自然との共生といった見方や、里山=伝統的農村景観のような言説は、一種イデオロギーやナショナリズム的であると思われますが、実際のところはどうなのでしょうか?

すべてがそうだ、とはいえませんが、ナショナリズム的側面を持ちうることは確かです。1990年代の後半に、オーストラリア大学の日本史研究者テッサ・モーリス=スズキが、〈エコ・ナショナリズム〉という言葉で、現代日本の自然観の一端を表現しました。彼女が俎上に挙げたのは、川端康成ノーベル文学賞受賞講演「美しい日本の私」です。富山和子氏の論もそうですが、文学その他に現れる自然との交感、自然礼讃から共生思想を導き出して褒めそやしつつ、返す刀で西洋的な自然/文明の二項対立を批判する。これらは、現実の日本列島に内在する環境問題を覆い隠し、実質的な解決の方途、克服の試みを閉ざしてしまいます。そうした意味で、やはり自民族や自国という曖昧かつ不正確な〈括り〉を賛美し、正当化するような言説のあり方は、イデオロギーとして強く警戒すべきでしょう。日本文化=共生論が一般に意識されるようになったのは、主に日本の経済大国としての地位が揺るぎ、日本国民のアイデンティティーが動揺した1990年代です。すなわち、バブルの崩壊にあたって、西洋や他のアジア諸国に対し誇ることができる、〈経済の代替物〉を探し求めた結果であると考えられます。