槻(ケヤキ)が神木として出てきますが、なぜ槻が特別な意味を持ったのでしょう。 / 斎槻にはどのような神格が宿り、どういった祭祀が行われていたのでしょうか。 / 松には神が宿るとの話でしたが、桜ではないのですか?

きちんと論証されているわけではありませんが、ケヤキは、幹自体がどんどん分岐してゆく仮軸分岐という枝分かれをし、一本の中核的幹から枝葉が生えるという柱的な樹形ではなく、こんもりした広がりある樹形を作る。それが神の坐す場所として相応しいと認識されたのではないか、という説があります。ツキという名前が月と音通すること、そして巨木であることから、再生の象徴(成育エネルギーの根源)とみなされたとも考えられます。斎槻の木霊自体も信仰の対象となったと思われますが、依代ですので、個別の事例に応じて宿る神格や祭儀の内実は多様であったに違いありません。講義で紹介した皇極朝〜持統朝の場合は、王権の信仰する地の神・天の神を呼び寄せ、誓約の監視者としたのだと思われます。日本文化においては、そのほかにもたくさんの樹木が神聖な存在として位置付けられています。リアクションにある桜もそのひとつですし、松、楠、柳、銀杏など本当に多様です。松は常緑樹なので、永遠の生命を象徴するものとして信仰された模様で、正月の門松などはその意味で飾るのです(やはり常緑でまっすぐに伸びる竹がセットになります。全体として、クリスマスのリースと同じ意味を持つのでしょう)。