志怪小説や志人小説について、ほかにどのようなものがあり、どのような逸話・伝承があったのか気になりました。日本の『霊異記』や『古今著聞集』のようなものなのでしょうか。 / 日本の昔話のようでした。『抱朴子』と日本の昔話は、何か関係があるのでしょうか。

六朝の志怪小説には、『捜神記』のように民族誌的感覚で読めるものから、『幽明録』や『宣験記』、『冥祥記』といった仏教系のものまで、たくさんの種類のものが作られました。しかし、上にも書いたようにその大部分は散逸してしまっています。魯迅は『中国小説史略』をまとめるために関連の資料を集め、『古小説鈎沈』という書物にまとめています。六朝志怪の逸文はほぼこのなかにまとめられていますが、出典は主に初唐の仏教系類書『法苑珠林』や『太平広記』になります。抄出して日本語訳した本も出ていますので、どんなものか確認してみてください。なお、志怪小説のなかには、日本の昔話の起源と思われるものが多数存在します。そもそも現存日本最古の書物である『日本書紀』や『古事記』、『風土記』などのなかにも、志怪小説を元ネタとする神話や伝承が掲載されています。一例を挙げると、近世に各地に広がる「鍛冶屋の婆」という昔話があります。夜に山中を通ることになった僧侶が狼に襲われ、高い木のてっぺんに逃げると狼たちが相談、「鍛冶屋の婆を呼んでこい」という。連れてこられた老狼が智恵を授けて、狼たちが「鍛冶屋の婆」をいちばん上にして互いに肩車し、自分たちの身体で梯子を作って僧を襲おうとする。そこで僧が、懐に持った小刀で「婆」を切りつけたところ、狼の群れはほうぼうへ逃げ去ってしまう。朝になって山を越えた僧が麓の村の鍛冶屋に行ってみると、婆の葬式が出ており、死体を調べてみると巨大な狼だったという内容です。この日本における初出は元禄17年(1704)『金玉ねぢふくさ』ですが、元ネタは上に書いた『太平広記』巻432 虎7所引の『広異記』逸文です。ほぼ同じ内容ですが、登場する動物は狼ではなく虎になっています。日本には虎がいないので、翻案される際に狼に変更されたものでしょう。このような類の昔話、民間伝承が、本当にたくさん存在するのです。