水葬は、下流のことなどは考えなかったのでしょうか。 / 水葬が、疫病の流行の原因になることなどはありましたか。 / 日本神話で、ヒルコを川に流すことと関係するのでしょうか。 / てるてる坊主は、晴れたら川に流すものと覚えています。雨というよくないものを引き受けてくれたのでしょうか?

授業で紹介したチベット、あるいはその周辺地域での水葬については、やはり下流地域との軋轢もあって、現在はあまり行われていません。チベットでは出産に関わる限られた埋葬法でしたが、しかしインドのガンジス川のように、何から何まで「流して」しまうのは、環境汚染に直接的に繋がります。こうした川、もっと敷衍していえば流水に関する発想は、水の浄化能力・拡散能力を経験的に知るなかから生じたもので、日本の場合は水葬に限らず、禊や祓などとも関連します。古代から連綿と行われている大祓の祝詞では、罪や穢れを奥山の木を伐るように根こそぎ刈り断ち、川に流して海まで運び、そこから根国へ運ばれて、瀬織津姫という女神が受け取って右往左往している間になくしてしまう、という内容になっています。ヒルコを流すこと、てるてる坊主を流すことも、この考え方に繋がっています(てるてる坊主は呪物です。呪物を川に流す事例は、古代の人面墨書土器、馬形・牛形・人形、それらを受け継いだ流し雛に至るまで確認することができます)。これなど日本列島の自然環境ならでは、川の浄化機能に対する依存、甘えがもたらした内容と思います。現在、列島社会における環境意識が低いのも、こうした甘えに由来するところが大きいでしょう。「自然は大きいのだから、自分が川にゴミを捨てたくらいでどうということはない」という考え方になってしまう。ぼくらは、水葬などの根底に水の神聖性を見出すとともに、人間の傲慢さをも見出してゆく必要があるでしょう。