2009-11-01から1ヶ月間の記事一覧

仏教の記述には中国を模倣したものが多いとのことですが、仏教が日本へ浸透する過程においても、初期にはそのような様相が認められたのでしょうか。

正倉院文書には、当代きっての名僧たちが、当時重要視された経典を注釈した書物などが残っています。そこから奈良時代の教学の傾向、水準などを窺うことができるのですが、驚くべきことに、大部分が中国の書物の丸写しになっているのです。奈良時代や平安時…

太子が10人の話を1度に聞き分けたというエピソードですが、これは10人の話を順々に聞き、きちんと記憶して的確な助言をした、記憶力に優れていたという意味だと習ったことがあります。

確かにそうした見解はあります。最近の石井公成さんの研究でも(本年11月に日本道教学会で報告されたばかり)、典拠のひとつに『大品般若経』とその注釈『大智度論』にある「是菩薩用天耳淨過於人耳。聞十方諸佛説法、如所聞不失」との一文を挙げ、聖徳太子…

『日本書紀』の記述が多く漢籍に依拠しているなら、その浅薄性がすぐに暴露されてしまって、対外的な意味など持ちえなかったのではないでしょうか。

確かにそうでしょうね。いかに「中華と同じ水準を目指し」、多くの漢籍をちりばめて作成したといっても、その粗雑さ、浅薄さは否定できません。それをあえて主張してしまうところが、8世紀の日本古代国家の限界だったのでしょう。

日本で「八」という数字が神聖化されているのはなぜしょう。また、八ツラの舞について詳しく教えてください。

「八」を聖数と位置付けるのは、何も日本文化だけの特徴ではありません。民俗学者のネリー・ナウマンは、宇宙・世界の数的表象は方角を表す「四」から始まり、それを細分化する方向へ展開すると述べています。仏教でも「八」を聖数化する傾向があり、覚りを…

孔子が魯国を去ることになった経緯を詳しく教えてください。

『史記』世家/孔子世家の記載によれば、前497年、孔子が魯の大司寇に任命されたことを畏れた隣国斉が、魯の為政者を堕落させるために80人の美女からなる女楽を送り込んだ。三桓家らはそれに幻惑され、郊祀という重要な祭祀さえ忘失するようになったため、孔…

憲法十七条における「和」の教えが、儒教などに由来すると聞いて驚きました。日本の旧国名「倭」とは音通していますが、関係はないのでしょうか。

日本列島に暮らしていた人々が、なぜ中国王朝によって「倭人」と把握されたのか、自分たちがそう名乗ったのか、あるいは別の理由でレッテルが貼られたのか、そもそも「倭」とはどの範囲・領域を対象とした呼称なのか、詳しいことはよく分かっていません。他…

『日本書紀』も『古事記』も信用できないとすれば、古代には本当の歴史書は存在しなかったのでしょうか。 / 日本の史書が漢籍の影響を強く受けて叙述されているのは分かりましたが、日本が参考にした中国の史書には事実が描かれていたのでしょうか。 / 史料に嘘が書かれていることが多いなら、歴史学はなぜ史料を基本とするのでしょうか。

なかなか難しい問題です。中国では、王朝交替の度に前代の政治のありようが検証され、それが天の意志に沿っていたかどうかを問う史書が編纂されました。歴代の史官たちは、もちろん王朝に奉仕する官僚ではあったわけですが、それ以前に天命に従おうとする意…

今日は、最初に柄にもない話をしてしまったので、最後まで調子が出ず、テンポの悪い講義で申し訳ありませんでした。風邪気味なのも影響しているかも分かりません。皆さんもお身体お大事に。

天文・人文のほかに、「地文」という言葉はなかったのでしょうか。また、烏冊はどうして烏なのですか。

概ね、天文に対応する言葉として出てくるのは「地理」ですね。烏冊については不明な部分が多いですが、鳥文については、鳥の足跡をみて文字を思いついたという蒼頡の伝承に由来するのでしょう。中国には、「鳥書体」「鳥篆」という鳥の姿を模した書体もあり…

俗人が修行して仙人になるのとは対照的に、仙人が俗人に堕とされる物語もあったのでしょうか。

有名なのは、例えば『西遊記』に登場する孫悟空です。彼は修行して神仙の知・技を会得し、天界で不老長寿の桃を食べ、冥界で不死を手に入れるなどして、天帝に匹敵する地位という「斉天大聖」を自称します。しかし、その暴虐武人ぶりが仙人や神仏を怒らせ、…

夏王朝の存在はどのように証明されるのでしょう?

河南省偃師市の二里頭遺跡に由来するいわゆる二里頭文化 (B.C.2100年頃〜B.C.1800年頃)は、殷王朝に先行する最古期の宮殿址や墓を擁し、夏王朝の遺構ではないかと推測されています。同文化の時期区分のうち、どこまでを夏に当てどこからを殷(商)に当てる…

動物が神聖視される基準とは何でしょう。犬や猫のようなペットになる動物、牛・豚などの家畜は神聖視されにくいのですか?

その基準は、一概に「これこれ」とはいえない多様で複雑なものです。現代人の私たちにとって最も身近な犬、猫でも、神聖化されることは多々ありました。古代エジプトで猫が崇敬されていたことはよく知られていますが、近世以降の日本では、鼠を捕る性質が「…

神聖視されるのとは対照的に、忌避された動物にはどのような存在があったのでしょうか?

例えば蛇などが代表的でしょう。奈良時代以降、主に仏教の影響によって瞋恚(怒り)の権化、執念深い動物といった印象が強められ、それが女性蔑視の視角と結びついて、蛇=女性という認識が広まります。有名な「道成寺縁起」に登場する龍蛇=清姫など、仏教…

なぜ馬が女性との関係で神聖視されたのでしょうか。

これは難しい問題ですね。動物のところで、もう一度詳しく考察することにしましょう。

伽藍の様式が変化してゆくのはなぜでしょうか。

まず大きな枠組みとして、高句麗・百済・新羅の伽藍配置、そして隋や唐における有名諸寺院の伽藍配置があり、それらの国々とヤマト王権もしくは日本との関係、個々の寺院の創建者や中興者と各国の仏教文化、個別寺院との繋がりなどから決まってゆく面があり…

塔に納める舎利には、本物の代わりにどのようなものを用いるのでしょうか。

舎利に似せた宝石のほか、「法舎利」といって、仏説の経典を納めるのが一般的でした。『金光明最勝王経』の思想に基づく国分寺も、金泥紫紙の『最勝王経』を塔内に安置することになっていました。

斑鳩と飛鳥を繋ぐ筋違道を作ったということは、太子は朝廷でかなりの権力を持っていたということですか?

筋違道は別名太子道ともいわれますが、実際に厩戸王が敷設したものかどうかは分かりません。地図でも分かるように、斑鳩は大和盆地から大阪平野へ抜けてゆく交通の要衝でもあります。碁盤目状の地割は当時飛鳥にも存在しなかったので、飛鳥の宮廷としては、…

『懐風藻』には、聖徳太子に関して他に記述はないのですか? 突然出てきたので不自然に思ったのですが。

『懐風藻』の撰者は、天智天皇の子孫に当たる淡海三船と推測されています。そのためか序文には、天智朝の近江大津宮がヤマトの文芸のオリジンであったこと、それが壬申の乱によって灰燼に帰したため、奈良朝を生きる自分たちがそれを復興させねばならないと…

なぜ厩戸王は、聖徳太子という後世に作られた名で有名になったのでしょうか。

『聖徳太子伝暦』によって確立される、太子伝の流布が大きな役割を果たしたと考えられます。これらは太子の各年齢の事跡を語る形で構成されており、後には絵伝も作られて広く世に説かれました。仏教諸派はみな太子を日本仏教の開祖として崇めましたが、とく…

聖徳太子とイエス・キリストのイメージが関連しているのでは、という研究はあるのでしょうか。

最も有名なのは戦前の実証史学者久米邦武で、最近では『隠された十字架』を著した梅原猛などが挙げられます。梅原は、太子の寵臣秦川勝を景教の信者と推測していますが、その仮説には何も根拠がありません。可能性としては否定できませんが、イエスをも含む…

私たちがよくみる聖徳太子の絵像には、両隣に童子が描かれています。されは誰なのですか?

唐本御影のことですね。一般に、向かって左が弟の殖栗皇子、向かって右が息子の山背大兄王とされていますが、この絵像自体、実は誰を描いたものなのかはっきりしていません。伝統的な位置付けは、13世紀に『聖徳太子伝私記』を著した法隆寺僧の顕真が行った…

聖徳太子の超人的能力は、「中国に対抗できるくらい凄い人物を日本史上に作りたかったからだ」との話を聞きました。本当なんでしょうか。

『日本書紀』自体が、朝鮮や中国に匹敵する文化・歴史を主張したものですので、そこで構築されている聖徳太子のイメージも、中国的偉人・賢人・聖王と同等の存在として創出されたということはできます。それゆえに、東アジアのスタンダードである儒教、道教…

現実の厩戸王に関する正確な記録は残っていないのでしょうか。

厩戸王に関する、最も古くかつ包括的な記述が『日本書紀』なのです。レジュメでも触れたように、同時代史料として「推古朝遺文」と呼ばれる一連の金石文が存在しますが、それらは断片的で、かつ本当に同時代のものかどうかも疑問視され始めています。用いら…

考古学と歴史学(古代史)の違いは何ですか。

近接した領域でお互いの成果を参照し補完し合うべきなのですが、最も大きな相違は、歴史学の古代史は文献史料を中心に扱い、考古学は出土資料(遺跡・遺物)を分析するということです。もちろん、考古学者も文献を読めなければいけませんし、古代史学者も遺…

私は、今まで古代史に興味を持ったことがありません。今回の履修をきっかけに好きになりたいのですが、古代史の魅力を教えてください。

うーん。こういう質問にズバッと答えられなければ、大学の教員として失格なんでしょうね。個人的に感じるのは、いちばん「他者性が強い」分野であるということでしょうか。時代を遡れば遡るほど、感覚や感性、思考のありようなどは現代とかけ離れてゆきます…