2017-10-01から1ヶ月間の記事一覧

民間史学は、アカデミズムを批判していたのだと思いますが、のちの実証主義のように排斥されなかったのでしょうか?

近代日本の筆禍事件をみてみますと、たいていは社会が過敏に反応して特定の人物の集中攻撃を始め、それを追認する形で国家権力による処分が行われる形が多いようです。実証主義史学は、それまで一般的であった歴史観を攻撃的に排除したため、そのしっぺ返し…

福澤諭吉は「慰安婦制度を作った」とのことですが、詳しく教えて下さい。

「作った」というのはいいすぎで、正確には、その淵源をなす議論を行った、ということです。福澤諭吉の議論は、明治の廃娼論争に関係して世に出ました。福澤は、近世的娼婦を人間以下の生業と批判しつつも、大陸へ進出してゆく日本人男性のために、日本人女…

私は宮崎県出身なのですが、宮崎県には平和の塔と呼ばれる塔があります。戦中には、八紘之基柱という名で、中国や朝鮮の石や労力が使われて造られた造られたそうです。いま、中国からこの石を返してほしいといわれているらしいのですが、私たちはこの塔を侵略の塔ではなく、自分たちの生活に当たり前に存在する平和の象徴と思っています。しかし、この塔に祈る行為は他の国に対してよい意味を持たないのではないかと思います。福澤諭吉に二面性があるように、歴史にも二面性があります。生まれると人はどこかの国の国民になるわけで、どちらかにアイ

持ちうるでしょう。そもそも、生まれた国によって決定される国籍を絶対視するのは、血縁主義の日本だからともいえます。国籍とは本来制度であり、変更可能なものですが、日本の場合、国籍を得る要件として「父もしくは母が日本人であること」があるため、ア…

戦後日本に対するアジア諸国の損害賠償放棄についてですが、放棄した国々にも責任はあるのではないでしょうか? 何か背景があったのでしょうか?

サンフランシスコ講和条約に参加することで賠償請求を放棄した国々は、要するに冷戦体制下でのアメリカの意向に従ったということです。それを「責任」というのは、例えば当該国の国民ならば国家に対して問責できるでしょうが、道義的にいって、日本の側から…

オリンピック便乗型の資本主義のあり方は、惨事と違ってオリンピック後にオリンピックが地域の歴史となり、場所の要素となったとき、商業施設、スポーツ施設などが将来的に場所化される可能性があると思う。惨事の場合、惨事が歴史となっても商業施設には負のイメージ、地域に無関係のイメージしかないと思います。

少し誤解があるかもしれません。オリンピックによる大規模施設建設が惨事便乗型資本主義に似ているのは、その過程でクリアランスが生じるからです。1964年の東京オリンピックのときにも、江戸期の水の都の記憶を伝えていた河川や運河が暗渠になり、あるいは…

引きこもりなどで身体経験が減少し、インターネットという比較的数学的で無限に近い「空間」で過ごす時間が増加すると、身体を持った存在であるという認識が希薄化してゆくのを感じます。人類全体としても、この方向に進んでいると思うのですが、数十年前と今とで〈体験されている空間〉の認識は変わっているのでしょうか?

そのようなことは、多々あるだろうと思います。少しサブカルチャー的な話題を出しますと、宮崎駿が『もののけ姫』を制作しているとき、若手アニメーターによるアニメート描画作業が、極めて深刻な問題に直面していることを吐露しています。彼がいうには、キ…

有名なサルの芋洗い行動などが、切り結びの方法で説明できるのではないかと感じた。個体の行動が集団へ伝播することと、その行為が世代を超えて継承されてゆくことには大きな隔たりがあるように思えるが、そのように両者を結ぶものがあれば知りたい。

これも生物種、そして群体の性格によって相違がありますが、群体には、大集団のものでも小集団のものでも、親の世代が子の世代へ、食料の採取を教導・訓練してゆく場合があります。生物行動はすべて本能によって決定されているわけではありませんので、群れ…

アフォーダンス理論というのは、もともとどの学問分野で生まれた(語られるようになった)ものなのでしょうか。また、動物の捕食関係に当てはめて考えたとき、食べられる側にも利点があると述べることに、どの程度妥当性があるのでしょうか。

生態学的認識論のジェームズ・ギブソンが起源です。日本では近年、哲学・倫理学の河野哲也氏が、アフォーダンスを環境倫理に援用した研究を広く展開しています。食べられる側にも利があるという云い方は、確かに語彙矛盾のある表現なのですが、生態系全体の…

初回の授業、抽選に外れて欠席しているのですが、1回目の出席は点数に入っていますか?

大丈夫です、1回目はガイダンスですので、得点に数えません。

江戸時代、一律の教育がなかったため、階層によって歴史観が違っていたということですが、実際は士農工商間でどれくらいの違いがありますか? 士と農に大きな差があることは予想できますが、農と工と商にどのくらいの差があるのか、想像できませんでした。

士農工商が身分を表すという教科書的記述は、現在では否定されていますね。これはもともとの中国の言葉と同じく、基本的生業を列ね、総合的に「人民」を指示しているに過ぎません。よって、日本では武士を表す「士」のみが支配階級として突出しており、あと…

グローバル・ヒストリー的な歴史認識を実現させるには、より"客観性"が必要とされるのではないか? 現在の日本の潮流(歴史学界における)として、より"主観性"が重視されているということは、矛盾しているような印象を受けた。

主観性を重視するということは、客観性を放棄するということではありません(もちろん事実を思われるものを探究するわけですから、先入観や思い込みでものごとを進めていては、学問でさえないことになります)。近代科学が客観主義を重視するあまり、主観性…

史実に基づいた歴史を正確に学び、考察を深めることが歴史を学ぶうえで大切なことだとは思うが、ある程度自由すぎるとかえって危ない思想を持つ人が出てくる気がする。 / 柔軟で多角的に歴史を考えようというのはすばらしいけれど、それを学校教育の頃から行おうとすると、国民国家としての意識は保てるのでしょうか。

上にも書きましたが、現代はナショナル・ヒストリーのみが正しい歴史としてまかり通る時代ではありません。いかに学校でナショナル・ヒストリーを教えようが、一般社会ではそれ以外の歴史(ポストモダン的なもの、また前近代的伝統を引き継ぐもの)がまかり…

平和教育とは何なのだろう。日本は悪の国で永遠に謝罪して、日本人に生まれたことを罪に感じながら生きていくことが、「平和教育」なのだろうか。

そういう平和教育は、これまで日本のどこでも実施されてはいないでしょう。平和教育とは、それぞれの国々が世界のなかで自国の歴史をしっかりと正視し、共通の理解を目指す努力を放棄せず、手を結び合う可能性を模索し続けることだと思います。よって、対話…

愛国ということは、ある時期から右翼的であると捉えられがちで、敬遠されるようになった。しかし、一国として協力して社会を作りあげてゆくためには、国を愛する気持ちは不可欠であると思う。

「愛国」という言葉は非常に抽象的かつ曖昧なので、単に右翼的であるとか、逆に国家統合に必要であるとか判断すべきではなく、その言葉が、誰によってどのような文脈で何を目的に発せられたのかを、常に注意して考える必要があります。国民国家の政府が口に…

先生は、何か歴史上の物事や出来事を考えるとき、1つのことに対して2つの事実と思われる、または2つの見解があった場合、どちらをどのような方法で調べたり、考えたりしながら選びますか?

ありていにいえば、それが歴史学という学問の営為です。ただし現実は、研究者が過去に向かった場合、選択肢は二項対立ではなく、無数に枝分かれしています。また、選択肢として顕在化していない、可能性の状態でしかないものもたくさんあって、研究者であれ…