全学共通日本史(07秋)
環境史においては、秦が拡大して戦国諸国を滅ぼし、統一帝国を構築してゆく過程に寒冷化の影響をみます。このとき、南方の雄であった楚や、長江文明の象徴のように考えられている巴蜀が秦によって滅ぼされますが、その背景には華北の寒冷化に伴う人々の南進…
地獄の獄卒としての牛頭は、やはり中国から伝わったものです。現実世界では人間に酷使されていた牛馬が、逆に人間を責め立てるという逆転の構図が孕まれています。牛鬼は、水神としての牛の災禍をなす面が強調された姿でしょう。牛頭天王は、元来はインドの…
あの『書紀』の異伝では、スサノオは朝鮮半島に天降ったことになっていて、御子神たちも朝鮮から日本へ渡ってくる印象です。よって半島の征服云々というより、木材の貿易も含めた半島との交流を前提とした神話と考えることができるでしょう。金銀の話は、木…
昨年の秋期日本史特講(古代史)でも、このビデオの全編を上映しました。その際の質問への回答がありますので参照してください。
こうした品部、雑戸の同族関係は、ヤマト王権が地方豪族を従属下に入れてゆく過程で成立してくるものと思われます。出雲の玉造の忌部などは有名ですが、近年発掘された大和国高市の曽我玉造遺跡の調査によると、五世紀末頃までの玉生産は、この中央の遺跡で…
ビデオでみてもらった狩猟儀礼は、生業と結びついたもので、わざわざ山の神を祀るために鹿を殺すわけではなく、山の神の管轄下にある鹿を人間がもらったのでその返礼をしているのです。同じものを神と人とで分け合うことが重要で、一種の神人共食でもあるわ…
まず、日本では稲の精霊(稲魂といいます)を擬人化してあつかっている(書きかけ)
本当にそうですね。
人間であるかないかということは、さほど意識されていないのかも知れません。しかし、先日お話したような〈彼岸性〉は希薄ですね。神的存在であっても、それ自体が人間を相対化してしまうような存在ではない。やはり人間の価値観の延長上にある、極めて現世…
確かに、日本人は多くの神仏を崇めていますが、本当に各々の個性を認識しているかどうかが問題です。ここは病に霊験がある、ここは縁結び、といった機能的な区別はしていますが、それら神仏の来歴や個性には注意を払っていません。毎年正月に、最も多くの初…
精霊の恰好が、人間と同じであるというわけです。この点、人間が神の似姿を持つというキリスト教の発想にも近いかもしれません。精霊が人間の姿を持つということ自体、やはり人間的価値観に基づくものということでしょう。
むしろまったく同じになるという方がおかしいので、気候条件はもちろん、相違に至る要因はさまざまに考えられます。
古代国家は神祇を祀る制度を持っていましたので、とうぜん、根本の行政法である律令にも「神祇令」が定められ、祭祀の基本的なありようが定められていました。律令の補足修正法を類聚集成した『類聚三代格』にも、神祇や祭祀に関する法令が収録されています…
果たしてそうした祭祀があるかどうか、寡聞にして知りませんが、例えば大殿祭の祝詞のなかに山での儀礼が読み込まれているように、家宅の守護神=樹霊を祭祀することが、間接的に山神を奉祀することにも繋がっていると考えられます。人間と山神との関わりは…
節分に鬼を追うことは歳末の追儺(鬼やらい)に発していますが、豆まき自体には同様の意味があると考えられます。豆には芽を生み出す生命エネルギーが充満していますので、邪気を外へ追いやる魔除けの力と、屋内の守護力を活性化させる力の双方が期待されて…
そうした祝詞は伝わっていませんが、とうぜん、固有の木鎮めの技術は持っていたものと思います。猪名部は新羅から渡来した造船技術者を祖としますが、『書紀』によると、その始祖伝承は枯野の築造と結びついています。枯野には、老朽化した残材から七里に音…
日本の場合には行われた形跡はありませんが、世界的にみれば木に対する供犠はよくみられます。ただし、木鎮めに関わる物語のなかには、名工左甚五郎の妻が人柱となるなど、女性を犠牲とする説話が時折みられます。これは実際に女性がイケニエに供されたとい…
「山口県」という名称はとうぜん明治以降のものですが、もともとは阿武郡あたりの山への入り口を指す地域名称だったようですね。旧国名の長門は海峡を表す「穴門」からの改称で、いずれにしろ日本の入り口という意味が込められているといえるかも知れません。
建前(棟上げ)の行事ですね。列島では最も広く分布する建築儀礼のひとつです。しかし、高い場所からの餅まきは、必ずしも建築中の建物のみから行うとは限りません。初午の節句などの際に、櫓を組んでそのうえからまく場合もあります。現在の建前の場合は、…
山自体が神聖視され禁足地となっている場合、入り口に神社が設けられ一般の出入りを阻んでいることがあります。入山できるのは神職など限られた人々、もしくは限られた日時のみ。こうした場合も、山神に入山の許可を乞う場として設置されたとみるべきでしょ…
後のケルト的な色彩を持つヨーロッパの基層的宗教文化(ドルイド教)は、オークを神聖視して、人間を含めた供犠を行っていたことが分かっています。神聖な樹木を伐る必要が生じたときにも、その種の祭儀を行ったのでしょう。ちなみに、今年の初めに東京国立…
古代国家は神祇を祀る制度を持っていましたので、とうぜん、根本の行政法である律令にも「神祇令」が定められ、祭祀の基本的なありようが定められていました。律令の補足修正法を類聚集成した『類聚三代格』にも、神祇や祭祀に関する法令が収録されています…
果たしてそうした祭祀があるかどうか、寡聞にして知りませんが、例えば大殿祭の祝詞のなかに山での儀礼が読み込まれているように、家宅の守護神=樹霊を祭祀することが、間接的に山神を奉祀することにも繋がっていると考えられます。人間と山神との関わりは…
節分に鬼を追うことは歳末の追儺(鬼やらい)に発していますが、豆まき自体には同様の意味があると考えられます。豆には生命エネルギーが充満していますので、邪気を外へ追いやる魔除けの力と、屋内の守護力を活性化させる力の双方が期待されているのでしょ…
そうした祝詞は伝わっていませんが、とうぜん、固有の木鎮めの技術は持っていたものと思います。猪名部は新羅から渡来した造船技術者を祖としますが、『書紀』によると、その始祖伝承は枯野の築造と結びついています。枯野には、老朽化した残材から七里に音…
日本の場合には行われた形跡はありませんが、世界的にみれば木に対する供犠はよくみられます。ただし、木鎮めに関わる物語のなかには、飛騨の名工甚五郎の妻が人柱となるなど、女性を犠牲とする説話が時折みられます。これは実際に女性がイケニエに供された…