2007-12-01から1ヶ月間の記事一覧
ある程度は見受けられます。日本の場合、「中臣祭文」を核とする呪術的な伐採法から、単に木っ端を焼くだけという簡易な方法へ数百年かけて変化します。後者の内容を持つ伝承は、現在でも日本中に確認できます。このような変化は、列島に暮らしてきた人々の…
そうですね。こぶとりじいさんは村落共同体の成員ですが、頬に大きなこぶを持つという異形のため、神霊と交換できるマージナルな存在と考えられていたのでしょう。物語の筋からいっても、こぶを失って以降は鬼との関わりが断たれます。内的文脈では鬼を騙し…
重要なのは、境界的であるということが、その人間の本質ではなく、シチュエーションによって付されるラベルに過ぎないということです。例えば旅行者などは、故郷へ帰れば共同体の成員となりますが、旅先では常にマージナルな位置づけをされます。典型である…
関係しますね。中国に限らず、文明/非文明という二項対立的な構図のなかでは、文明が開明的な権力を有する一方、非文明の側に文明では推し測ることのできない恐ろしさ、呪術的な威力が見いだされることが多いのです(これは一種の差別意識です)。古代日本…
どなたかの感想にもありましたが、やはり自然の征服を象徴する物語へ転換するためでしょう。六朝期の志怪小説には、英雄が神を殺して自然を克服する話が多くみられます。南北朝期、中原への遊牧民の侵入によって漢民族が南方へ移動し、その地で大規模な開発…
環境史においては、秦が拡大して戦国諸国を滅ぼし、統一帝国を構築してゆく過程に寒冷化の影響をみます。このとき、南方の雄であった楚や、長江文明の象徴のように考えられている巴蜀が秦によって滅ぼされますが、その背景には華北の寒冷化に伴う人々の南進…
地獄の獄卒としての牛頭は、やはり中国から伝わったものです。現実世界では人間に酷使されていた牛馬が、逆に人間を責め立てるという逆転の構図が孕まれています。牛鬼は、水神としての牛の災禍をなす面が強調された姿でしょう。牛頭天王は、元来はインドの…
※講義で取り上げた『捜神記』の〈大木の秘密〉について、なぜ水神は牛の姿をしているのか、なぜ青色なのかといった質問が多数ありました。また、「伐梓」が異民族の討伐から樹木伐採へ読み替えられた点について、『史記』『捜神記』『史記正義』の関係を問う…
基本的にはそうでしょう。ただし、近世以降易の方法も多様化していますので、現在の易の一般的な方法が何であるのかは知りません。私は、術者が人間として信頼がおけない限り、その人の実践も信用することができないので、商売としての占いからはどうしても…
吉備真備が子孫に家訓として残した『私教類聚』には、占いに耽溺してはならないとの戒めがあります。この書物は多く『顔氏家訓』を引き写したものですが、日本の社会に意味のないことを引き写しても仕方がないので、貴族の間でも易の流行があったと思われま…
これは、あらゆるものの根源である太極を象っているのですね。つまり、易のプロセスは単に数字を導き出す動作ではなく、手の中に太極・天・地・人、すなわち宇宙そのものを再現し、その理法を見極めようとする宗教的実践なのです。ゆえに、本当は、ぜい竹を…
六世紀末の飛鳥寺建設において、仏教建築のエキスパートとして瓦博士等が渡来してきていたことは確かです。『書紀』はそれ以前の五経博士等についても、倭の要請(命令?)に従うような形で百済が技術者・知識人を送ってきたように書いていますが、百済側と…
『周易』繋辞伝や『正義』『本義』に書かれたぜい法では、心身を清浄にして易に臨むべきことが求められています。しかし、願った内容を実現してもらうわけではないので、問う内容を常に頭に思い浮かべておく必要はないでしょう。自分を天地人と一体化させ、…
あの『書紀』の異伝では、スサノオは朝鮮半島に天降ったことになっていて、御子神たちも朝鮮から日本へ渡ってくる印象です。よって半島の征服云々というより、木材の貿易も含めた半島との交流を前提とした神話と考えることができるでしょう。金銀の話は、木…
昨年の秋期日本史特講(古代史)でも、このビデオの全編を上映しました。その際の質問への回答がありますので参照してください。
こうした品部、雑戸の同族関係は、ヤマト王権が地方豪族を従属下に入れてゆく過程で成立してくるものと思われます。出雲の玉造の忌部などは有名ですが、近年発掘された大和国高市の曽我玉造遺跡の調査によると、五世紀末頃までの玉生産は、この中央の遺跡で…
ビデオでみてもらった狩猟儀礼は、生業と結びついたもので、わざわざ山の神を祀るために鹿を殺すわけではなく、山の神の管轄下にある鹿を人間がもらったのでその返礼をしているのです。同じものを神と人とで分け合うことが重要で、一種の神人共食でもあるわ…