2009-05-01から1ヶ月間の記事一覧
もちろん、規模こそ違え、縄文・弥生・古墳と各期にわたり開発は進展してきました。縄文期には、日本列島の平野部はほとんど森林に覆われていましたが、弥生から古墳期に至る稲作農耕の展開によって、かなりの部分が伐採されてしまったことが分かっています…
それは、現代に至る交通手段の発展のなかで、人間を遠くに運ぶツールとしての馬の位置が、次第に低下してきたからでしょう。冥界へ人間を運ぶことができるのは、人間の想像を超えた移動力を持つからに他なりません。日本では中世あたりから、地獄へ亡者を運…
大まかにいって、崇神朝の倭迹々日百襲姫の墓とする説、卑弥呼の墓だとする説があります。前者は『日本書紀』にその旨明記されていて、後者は邪馬台国=大和説を前提に、箸墓古墳の造営年代とその大規模さから推測されたものです。『書紀』に描かれる百襲姫…
直接的な繋がりを求めるのは困難かも知れませんが、当然、列島で培われてきた宗教的知識・技術が用いられていたことは確かでしょう。現在の沖縄やアイヌに古代的な文化が多く残されていることからすれば、可能性は否定できません。弥生のシャーマニズムは鳥…
朱砂や丹の生産については、次回以降に詳しく説明しますが、「秦氏が生産した朱丹を呪術に用いていた」と直接的に示す史料はありません。ただし、彼らが生産に関与していたことは、鉱山や山地の分布と秦氏の分布の重複、赤染氏など朱丹に直接関わる氏族との…
その通りです。交差点で事故が起こりやすいというのは重要な要素で、様々な文物が四方から行き交う交差点は、現在でも非日常の空間として認識されがちです。そうしたいわゆる境界領域では、人間は幾許かの緊張と不安を生じるもので、現代の都市伝説の多くも…
雷神虐待の伝承も、類型としては「神殺し」に属します。講義で紹介した雄略天皇時代の伝承では、雷神は天皇を畏怖させる力を持っていますが、『書紀』推古天皇26年条の伝承では、雷神は「天皇に逆らうことができようか」との宣言を聞いて力を失い、勅を奉じ…
災害の発生をどのように解釈するかは、時代によって変遷があります。古い時代にはやはり神の祟りと考えられたようで、『書紀』推古天皇7年(599)4月条には「地震神を祭る」記事が出ています。奈良期に入ると、災害は天子の不徳に対する天の譴責であるという…
もちろん、平城天皇の改革には朝廷内で反対意見もあったことでしょう。だからこそ、彼の政権は早期に潰えることになったのかも分かりません。
小子部の伝承については『霊異記』の方が詳しく書かれていましたが、これは『霊異記』の特徴なのでしょうか? 『書紀』と『霊異記』とで共通する説話があった場合は、基本的に『霊異記』の方が詳細なのでしょうか?
『書紀』はもちろん、『霊異記』も歴史書としての側面を持っていますが、やはり本質的には説話集なので、後者の方が物語的に詳細になることはあるかも知れません。講義で採り上げた伝承の場合、両書の情報ソースの問題も関わってきます。定説的には、ともに…
『書紀』は神と天皇との関係をところどころで修正し、天皇の権威を高めようとしていますが、すべてを徹底的に捏造しているわけではありません。ここはやはり、情報ソースである小子部氏の伝承に大きく規制されたのでしょう。また、天皇の自然神への優位は、…
鋭いですね。一説によると、大安殿での交合は、やはり農耕の豊穣を祈るための儀式だったのではないかとも考えられています。現在でも、農耕予祝儀礼のひとつとして、男女がもつれあうように舞う芸能が存在します。性交渉を擬することで収穫を祈るのはよくあ…
ああ!それは考えませんでしたね。面白い発想です。恐らく、雷神は蛇だけでなく子供とも表象されることが多いので、蜾蠃が赤を身に纏って雷神を演じたのと同様、雷神と似た姿をもってそれと交渉しうるようにする呪術なのだと思います。
蛇はアジアでは水神とみなされることが多く、列島では、縄文時代からその傾向がみえます。狩猟採集社会では、様々な自然地形を代表する動物たちを「主」として信仰する場合が多いですが、蛇は沼地や湿地帯の主であったようです。蛇をモチーフにした土器など…