2011-05-01から1ヶ月間の記事一覧

日本で発掘された甲骨にも文字が刻まれているのでしょうか?

いずれお話ししますが、日本の甲骨には刻まれていません。弥生時代には多くの卜骨、古墳時代には卜甲、以降も近世まで亀卜が主流となって卜占が続けられてきましたが、文字を刻むということはありませんでした。実は周代以降、竹簡・布帛の普及や紙の発明に…

殷の脅威は戦車にあったとのことですが、なぜ殷のみが戦車の技術を有していたのでしょう。

戦車の技術を持つ部族や国家は他にも存在したかも知れませんが、牧畜を発展させ強大な政治力・経済力を持った殷が、次第に独占を図っていったものと思います。戦車の知識・技術を持つ部族へ圧力をかけ、場合によっては武力をもって破壊する。良馬の産出・育…

史料9・10・11で、卜占の結果「災禍がある」と出たにもかかわらず、それを回避する努力はしなかったのでしょうか。

これはけっこう根本的な問題ですね。祟ありとの占断に対して祭祀を要請する卜辞もありますので、史料9・10・11でも、何らかの形で回避が図られた可能性はあります。その際は、回避行動が正しく行われたので軽く済んだ、といった認識へ落着してゆくのだと考…

「祟」が毛深い豕のような獣を指す字だと知って驚きました。『もののけ姫』の祟り神もちょうどそのような形だったと思います。何か由来やモデルはあるのでしょうか。

授業でもお話ししましたが、日本の古代では『書紀』や『古事記』に、荒ぶる神の表象として猪が登場します。『もののけ姫』のナゴの神、乙事主などは、それらに取材したものでしょう。『説文解字』は、タタリを示す字の一形態について「河内の名豕」と説明し…

卜官=史官が王の命令もなしに卜占をすることは許されなかったのでしょうか。なぜあえて関係のない卜占に際して、記録を付随させなければならなかったのでしょうか。

貞人たちが王を頂点とする卜府に所属し、亀甲や牛骨などの素材・道具類が同倉庫へ管理されるのだとすれば、それを卜官=史官が自由に用いるということは、なかなかに困難であったと思われます。確かに個人の邸宅などで灼甲・刻字することが可能だったかも知…

「世襲卜占集団」とありましたが、卜占に関わる人々はどのような存在だったのでしょうか。 / 上吉を多く出す貞人が厚遇された、といった事例はあったのでしょうか。

なぜ臨時の軍事、祭祀などに関する卜占は行われなくなったのでしょう。王の日常を記録するような卜占はなぜ減ってしまったのですか。

多数決で決める際の「最も良い結果」が三人の間で食い違った場合、いちばん身分の高い人物に従ったのでしょうか。

卜占を行うことで「よりよい未来を掴もうとした」とはいえ、最もよい結果だけを取るというのは、あくまで希望でしかないのではないでしょうか。

よりよい未来を掴み取ろうとする人々の思いは、今も昔も変わらない普遍的なものだと思いました。でも、占いの結果に反することが起きたとき、人々はどのように捉えたのでしょうか?

卜占によって王の宗教的権威を高めることは、卜占の後天的機能といってよいのでしょうか。もともとの機能とするなら、ネガティヴな占いの結果を示す意味が分かりません。

東大の坂村健教授が「尊敬本意社会」の提言をしていますが、歴史学者としてどのように思われますか?

日本列島に限らず、いわゆる国家以前の共同体社会は、何らかの形で尊敬本意社会の特色は持っていたと思います。自らの衣食住の存在になる動植物にも、自然現象にも、もちろん共同体を構成する人々にも尊敬をもって接する。それが人間どうしの不要な競争や対…

古代の文化は東アジア諸国と密接な関係があるようですが、逆にこの時期の日本だけの特徴というのはあるのでしょうか。

東アジアとの繋がりを強調しすぎると、「果たして日本列島に独自性はあったのか?」と思われるかも知れませんが、アジアと共通する要素を持つ文化にしても、それ全体としてはやはり日本列島固有のものなのです。どこからか渡来してきた文化も、列島の自然環…

縄文文化は北海道にまで伝わっているのに、なぜ弥生文化は伝わらなかったのでしょう。

縄文文化の、少なくとも東半分は北方からの要素を色濃く伝えており、北海道に展開するうえで社会的にも大きな障害がなかったのだと考えられます。それに対して弥生文化は、中国・朝鮮半島に由来する極めて政治的(ある意味では閉鎖的・競合的)性質を持つも…

縄文から弥生にかけては、コミュニケーションの手段としては、どのような言語を使用していたのですか?

この問題については、私は回答をする能力がありません。しかし例えば国語学者の大野晋は、現在の日本語が大きな枠組みではタミル語系に属し、その基底には、それ以前に使用されていたポリネシア語系の言語が存在するとの学説を立てています。日本列島の文化…

縄文系弥生文化と渡来系弥生文化との間には、対立の痕跡は何もないのでしょうか。

ないとはいえないですね。思考形態も生活文化も異なるわけですから、生活領域が近接していれば様々な軋轢が生じることもあったでしょう。問題は、それがすべてではなく、文化の進んだ弥生人が文化の遅れた縄文人を駆逐し、列島を占拠したわけではないと判明…

日本人は自然と共生してきた、といった発想はいつ頃生じたのでしょうか?

「自然との共生」を語ること自体が近代的発想ですが、自然愛好のような視線は『万葉集』などの段階からみることができます。しかしそうした歌を詠みつつ、一方では大規模伐採を行い、山を削り、川を付け替えるような開発を実行していたのも確かです。現代日…

弥生は稲作に選択的な生業となって、充分に飢えをしのぐだけの収穫を得ることができたのでしょうか。 / 森林が各所で伐採されたそうですが、どのように伐採されたのですか。また、伐採後の樹木は何かに使用されたのですか。 / 森林を伐採して水田化するほどに、弥生時代の人口は多かったのでしょうか。

伐採は磨製石斧によるものなので、現在の我々が行うよりかなり苦労が多かったと考えられます。ですから、低湿地林の伐採も、それなりに時間をかけて達成されていったとみるべきでしょうね。人口史の権威である経済学部の鬼頭先生によると、日本列島の人口は…

史料1の最後で、なぜ夫の神が別の場所へ移ったのかよく分かりませんでした。

あれは夫婦で国占めの競争をしているという設定なので、夫は讃容郡を妻に占められてしまったため、新たに自分の領地を占めるべく別の土地へ移動しているのです。

先日吉野ヶ里に行ったのですが、発掘品を復原した琴が展示されていました。当時から音楽と宗教とは関係があったのでしょうか。

授業でも触れましたが、琴は神憑りを呼ぶ楽器であったと考えられます。考古遺物としては、人物埴輪のなかに琴を弾く姿のものが存在したり、あるいは他界(死後の世界)を描いたらしい古墳壁画のなかに、琴らしきものが確認できたりします。『日本書紀』神功…

熱卜は、太占と同じと考えてよいのでしょうか。 / どういう理由で、弥生の鹿卜が古墳の亀卜へ移り変わったのですか。

太占は鹿の肩胛骨を使った熱卜ですね。弥生時代の鹿に対する信仰に基づき、恐らくは稲作の豊作を願う卜占に鹿を使用したものと思われます。しかしさらに広い視野で考えてみますと、熱卜の始まった中国では狩猟採集社会には鹿を、牧畜開始以降は羊、牛、豕を…

半人半神、半人半獣といった想像力は、日本にはない気がします。なぜでしょうか? / どうして人間は、神を表すときに、人や生物を組み合わせることが多いのでしょう。

いわゆる「グロテスク」表象ですね。確かに明確な形では出てこず、出てきても中国古典の引用(『山海経』)の場合が多いと思います。日本列島の文化は、どちらかというと動物になりきる、植物になりきるという変身の方が一般的でしょう。これは、中国をはじ…

どうして神鵬のように、タカやワシなどの猛禽が信仰されたのでしょうか?

狩猟採集社会では、自然の各空間を代表するような生き物を、「主」と崇める信仰が存在したようです。熊は山の主、猪は野の主、蛇は池沼の主、シャチは海の主…といった形です。大空を待って他の鳥を追い、地上の小動物を捉えるワシやタカは、空の主とみなされ…

日本史の資料集で、縄文人や弥生人が犬と共生しているイメージをみたことがあるのですが、当時の日本において、犬は何の象徴だったのでしょう。

ドメスティケーションの問題からすると、人間は犬を家畜化することで、野生の感受性(危険を察知する能力、夜間の警戒性など)を失ったと考えられています。つまり、それらを代行するのが犬という存在であるわけですね。しかし、縄文や弥生の頃の日本には、…

ウサギは多産=生命の象徴とのことですが、因幡の白兎もそうなのでしょうか。

『古事記』では、ウサギは「兎神」と語られ、神的な存在です。さらに、ワニのために毛皮を剥がれて重傷を負った彼/彼女を、オホクニヌシが救済して神性を取り戻させるので、やはり「再生する存在」となっています。ちなみにシロウサギは「素兎」と書くので…

アジアのなかで共通して神とされる生き物などはいるでしょうか?

やはり蛇は、世界的に信仰される生き物ですね。あとはアジアでは、熊・虎・狼などが共通の存在として崇められています。これらは民族の始祖=トーテムとして崇拝されることの多い存在で、やはり人間にとって畏怖すべき力を備えているからなのでしょうね。

鹿と鳥への注目について、もともと日本にはたくさん鹿や鳥がいて、縄文期までは「そのへんにいる肉」程度だったものが、稲作に関連して意識されるようになったということでしょうか。

概ねそのとおりですね。縄文人が鹿や鳥を単なる「肉」として捉えていたかどうかは分かりませんが、熊や猪ほどには注目をしていなかったものと思います。大陸や半島からもたらされた習俗がきっかけとなり、また自らも稲作農耕に従事してゆくなかで、弥生時代…

遠野の話をされていましたが、やはり民俗学の対象となるようなものが大量にあるのですか。

民俗学の対象はそこかしこに転がっていますが、遠野には東北の伝統的な農村形態が残っており、そうした意味では面白いところです。ただし、上記のような位置づけがあまりに固定化されてしまったために、ディズニーランド化ともいうべき現象が起きており、妖…

易に関して興味があるのですが、何かよい文献はありますか。

本田済『易』(朝日選書、もしくは朝日文庫)が読みやすいでしょう。『易経』の内容や占いの仕方などが分かりやすく解説されています。

殷の政治史について関心を持ちました。何かよい文献があったら教えてください。

参考文献リストに挙げた落合淳思氏の『甲骨文字に歴史を読む』、平勢隆郎氏の『よみがえる文字と呪術の帝国―古代殷周王朝の素顔―』はお薦めです。後者はちょっと難しいですが、『史記』に載る殷代の歴史が後世に捏造されたものであることなど、殷の歴史が確…