全学共通日本史(08秋)

天皇(大王)家の家系図はとても複雑ですが、この時代は継承順位というものは決められていたのでしょうか。

以前にも触れましたが、この時期は大兄制というシステムが機能していて、母親を同じくする王族グループの長子が大兄と呼ばれ、彼らに基本的な王位継承権があったようです。なかでも、父や母が大王経験者である人間は有力でしたが、これらの条件を前提に年齢…

北條より:秀郷流武家故実の継承者としての西行について

先週冒頭でお話しした件、関心を持ってくださった方も多かったようですね。もともとお話しするつもりでなかったものを、つい口が滑って語ってしまったので、グダグダで申し訳ありませんでした。もし「もっと知りたい!」と思った方は、拙稿「〈中心なるもの…

「大織冠伝」について詳しく教えてください。

『藤氏家伝』は、天平宝字4年(760)頃、始祖顕彰を図った当時の朝庭の首班藤原仲麻呂によって編纂されました。現在残っているのは「大織冠伝(鎌足伝)」「貞慧伝」「武智麻呂伝」で、藤原氏の伝というより、仲麻呂に至る血脈の正統性を主張する「恵美家」…

蘇我倉山田石川麻呂の今後の行く末、蘇我氏のその後について説明してください。

たぶん講義で言及すると思いますが、石川麻呂は大化5年(649)に謀叛を疑われて攻められ、自殺します。しかし、その後も蘇我氏が絶えてしまったわけではなく、壬申の乱に至るまで朝廷の中心は蘇我氏で占められており、蘇我赤兄・果安といった石川麻呂の弟た…

ドラマのなかで、入鹿が飛鳥板蓋宮に入ってきたとき、その他の人々がひれ伏していました。あの動作には何か意味があるのですか。

今年の春学期に「日本史概説」という講義で扱ったのですが、跪伏礼という、朝庭で用いる礼儀作法を表現したものでしょう。跪伏礼については、すでに『三国志』魏書/東夷伝/倭人条(いわゆる「魏志倭人伝」)に「大人の敬するところを見れば、但だ手を打し…

ドラマで、蝦夷が儀式に百済の使者が出るとか出ないとか話していたのはどういうことですか。/ 入鹿の剣を取る俳優たちが仮面を付けていましたが、あれは何を象ったもので、どうしてお面を付けていたのですか。/ 大王の御前で流血事件を起こすことに問題はなかったのでしょうか。/ なぜ入鹿の勢力はあっさりと滅ぼされてしまったのでしょう。/ 蘇我氏が大王家と姻戚関係を結んでいたとのことですが、後の藤原氏や平家、源氏などとはどう違うのですか。

これらのことについては、来週以降の講義で詳しく扱います。今日観ていただいた冒頭のシーンでの蝦夷と渡来人(船恵尺という実在の人です)の会話は、三韓進調の儀式が、中大兄らによって仕組まれた罠であったことを意味しています。次回お話しするように、…

今日見せていただいたドラマは、何というタイトルでしょう。/ 今日見た映像資料は、どのようにすれば手に入るのですか。

2005年の正月に、「古代史ドラマスペシャル」と銘打ってNHKで放映された、『大化改新』というドラマです。NHKの公式ホームページへリンクを張っておきます。このページにも載っていますように、すでにDVDも発売されています。恐らくレンタルショップでも観る…

自然との関わりを描くジブリアニメは、その意味で、日本以外の国々ではどのように受け止められているのでしょう。

講義でも触れるつもりですが、例えば自然/人間の関係を二項対立的図式で捉えた『もののけ姫』は、かえって欧米での上映の方が宮崎駿の意図をストレートに伝達できたようです。あの作品のテーマは、自然/人間の力関係が決定的に塗り替えられることにより、…

ジブリアニメに対する個人的な疑問なのですが、なぜ宮崎作品にはお婆さんキャラが多く、逆にお爺さんキャラは少ないのでしょう。何か特別な意味があるのでしょうか?

宮崎駿も、以前は頻繁に男性老人キャラを出していたように記憶しています。初監督作品である『未来少年コナン』でも、主人公コナンの育ての親であるオジイ、ラナの祖父ラオ博士が重要な位置を占めていますし、『ルパン三世カリオストロの城』でも城の庭丁の…

『カムイ伝』というマンガに、いわゆる「非人」とされる人々が牛肉を食べている場面がありました。そのような事実は本当にあったのでしょうか?

この問題についてはいずれ詳しく扱いますが、私が研究史の整理を行っている『ケガレの文化史』(森話社、2005年。学部図書、図書館地下1階210.04:Ke184)という本を紹介しておきましょう。古代の肉食は、祭祀や儀礼に伴って寺院や神社で行われましたが、そ…

道鏡事件をでっちあげとする学説の詳細を教えてください。

道鏡事件は、奈良時代の正史『続日本紀』に記されていますが、当該部分は称徳天皇の言葉である宣命体の詔と、その間を埋める説明文とで構成されています。前者は奈良時代後半の同時代史料ですが、後者は桓武朝の『続日本紀』編纂時に書かれたものです。両者…

教科書には多くの改訂が必要といいますが、その編集には多く大学の教授たちが関わっているはずです。なぜ問題は解決されないのでしょう?

もっともな質問ですね。最新の研究情況というのは一方で「また覆るかも知れない」というリスクを抱えていますから、高校までの日本史教育では「無難なところ」で止めておこうという規制が働くのでしょう。しかし歴史的知識に「無難なところ」などないのであ…

私は神学部ですが、聖人伝や奇跡の物語は、当時の人々の世界観や人間観を表したものだと学びました。聖徳太子についても同じことがいえるでしょうか?

聖徳太子は、まずは国家によって日本を演出するために創出され、ほぼ時を同じくして、日本の仏教界でも(中国・朝鮮に匹敵する日本仏教の発展を示すために)利用されていったということです。純宗教的な聖人伝と比較すると少し世俗的ですが、中世になると、…

聖徳太子が実在しなかったとすれば、冠位十二階や十七条憲法は誰の業績なのでしょう。

冠位十二階や十七条憲法自体の存在意義が問われているわけですが、当時の政権の首班を担っていたのは蘇我馬子であり、推古朝の政治を運営していたのは彼であったと考えられています。大山さんは、アカデミックな世界で唯一、蘇我氏が大王であった可能性にも…

大山誠一氏が聖徳太子を否定したのは、どのような根拠に基づいているのでしょう。

大山氏の論点は多岐にわたりますが、その基盤は、太子の業績を伝える『日本書紀』と「推古朝遺文」(法隆寺系統の仏像銘文等々)の徹底的な史料批判に基づいています。例えば有名な十七条憲法は、『礼記』『詩経』『論語』『孝経』『文選』などの漢籍を駆使…

崇仏論争の反証としては摂津国渋川廃寺が挙げられると思うのですが、他にどのような事実がありますか。

渋川廃寺の存在は、確かに物部氏が仏教を信奉していた可能性を訴えるものですが、崇仏論争の時期に関連付けて捉えられるものかどうか曖昧な点も残ります。他に傍証としては、蘇我氏も神祇祭祀を振興する役割を果たしていたこと、仏教以前にも列島へ外来の宗…

もし大化改新の時点で皇太子制がなかったとすれば、中大兄はどのような役職に就いたと考えられるのでしょう。

皇太子制が確立する以前は、皇位継承については大兄制といわれる継承のシステムが機能していました。大兄とは、王族における同母単位集団の長兄に付される称号で、山背大兄、古人大兄、中大兄などみなその例です。複数の大兄のうち、父や母が大王であるなど…

道教における「天皇」は神と同義なのですか。/「天皇」という称号は太平道では「天公」の字が充てられていますが、「皇」「公」の間に乖離はあるのでしょうか。

道教のなかでも時代によって位置づけが変わってゆきますが、後漢から唐にかけてが最も高い位置を与えられているようです。北斗の中央に位置する高位の神ですが、天・地・人のカテゴリーや星神のカテゴリーに組み入れられ、何神かのセットとして扱われること…