日本史概説 I(11春)

女性を豊かさの象徴と捉えるのは分かるが、殺害が豊饒性に繋がるという発想がなかなか理解できない。現代人と古代人の思考の仕方の違いなのだろうか?

アニミズム世界では、生物の本体は精霊であり、その肉や毛皮は人類文化でいう衣服に過ぎないものとされます。つまり、生き物を殺して肉や毛皮を奪っても、そのやり方が祭祀を伴い伝統に準拠していれば、精霊は故郷へ送り返され〈生命〉は失われません。精霊…

日本の性器信仰について、現在でも愛知県には男性性器を崇める祭祀があると聞きます。大半が失われてしまったいま、なぜこの地域だけで残っているのでしょう。 / 女性象徴が多いのは分かりましたが、男性の生殖器を模した土製品などはなかったのでしょうか。

確かに愛知県の田懸神社が有名ですが、それだけではなく、日本にはまんべんなく生殖器信仰が残っています。村々の境界や交通路に立つ道祖神にも、男根や女陰を模した陰陽石をみることができます。これらは、時代によって微妙な考え方の変質はあるものの、縄…

縄文時代は女系(母系)社会といえるでしょうか。 / 縄文時代の結婚形態はどのようなものだったのでしょうか。 / 医療が発達していないと、乳幼児は男子の方が死亡しやすいと聞きましたが、労働力としては男子が大切だったと思います。そうした点から男尊女卑のような視点が出てくることはなかったのでしょうか。 / 女性の神格化が、保護から管理・独占へ移っていったのはなぜでしょうか。

縄文時代から弥生時代については、墳墓や遺存人骨を調査してゆくと、父系偏重でも母系偏重でもない双系的な親族構造がみえてきます。女性が首長の座に就くことも少なからずあったようです。この傾向は、古代国家により家父長制が採用されて以降も、基底的な…

西方や北方を死と関連付けて理解していたとのことですが、大陸でもそうした事例はあるのでしょうか。

最も典型的な事例として知られるのは仏教です。釈迦が涅槃の際、頭を北に顔を西に向け、右脇を下に向けた姿勢であったことは、初期経典の『阿含経』などにすでに見受けられます。これはやはり、生命象徴としての太陽信仰の裏返しで、太陽の通らない北、太陽…

死体を怖れていた、というのは、自分の肉親や近親者に対してもそうだったのでしょうか。

すでに、中国湖北省雲夢県で出土したB.C.3世紀の竹簡文献『日書』には、死霊として出現した肉親を撃退する方法が記されています。現在でも、中国の少数民族の間では、死者が生者を死の国へ連れてゆくことを防ぐ儀式が、きちんと葬儀のなかに組み込まれてい…

環状集落の中心に墓地が置かれるようになる、今まで忌避されていた人骨をめぐるこうした心性の変化は、一体何が原因で起きたのでしょうか。関東や東北に多いということも気になります。また、神々と祖先との関係はどのように意識されていたのでしょう。

確定的な説明はできませんが、幾つかの要因が考えられます。ひとつは、旧石器時代の非定住生活から定住生活へ転換したことで、これまで置き去りにされていた遺体への意識が高まったことが挙げられます。集落の近辺に死体が集積されてゆくことは、そのまま過…

縄文人は信仰を持っていたが、現代人のような感情は持っていたのでしょうか?

感情のような遺跡・遺物に明確な痕跡を残さないものを、文献資料が出現する以前の時代に分析するのは難しいですね。生存に不可欠な恐怖はまず存在したでしょうが、現在の基本をなす喜怒哀楽については分かりづらい面もあります。しかし、死者の再生を願うよ…

旧石器捏造事件について、なぜそうした事件が起こったのか、充分検証されないまま長い期間を経過してしまったのか、詳しく教えてください。

歴史学界にも多かれ少なかれ認められる現象ですが、考古学の世界では、出身大学や勤務先の機関によって研究者がある程度ランク付けされてしまう権威主義が強く、地方の埋蔵文化財研究所はそうした「巨人」たちに従属している情況がありました。また、埋蔵文…

ナラ林文化と照葉樹林文化について、もう少し詳しく教えてください。

詳しくは、提唱者である中尾佐助氏や佐々木良明氏の著書を参照してください。以下には、その特徴を簡単に列挙しておきます。【ナラ林文化】……堅果類(クリ、クルミ、トチ、ドングリ)や球根類(ウバユリ)の採集、サケ・マスの漁、トナカイ・シカ・クマ・海…

地形からいろいろなことが分かるのが面白かった。何を資料として調べればいいでしょう?

地域という視点から入るなら、まずは調べたい場所の自治体史(県史、市史)を探してみることですね。1980年代以降に刊行されたものなら、概ね巻頭に「自然環境」の章が設けられていると思います。そこで、当該地域の地質学的変遷を辿ることができるでしょう。

映像でみた古代の難波、平安時代の東国の復原図について、出典を教えてください。

注記しなくて申し訳ありませんでした。前者は直木孝次郎『難波宮と難波津の研究』(吉川弘文館、1994年)、後者は川尻秋生編『将門記を読む』(吉川弘文館、2009年)です。

寒冷化→技術発達というお話がありましたが、インダス、エジプトなどの古代文明は比較的温暖な土地に発達した文明だと思います。寒冷化以外に、このような文明発達を促した原因には何があるのでしょうか。

曖昧な話になりますが、何か大きな困難が生じて、それを克服するために文明が発展する、というパターンが認められると思います。古墳寒冷期の寒冷化の問題もそうでしょう。先行する温暖期に増加した人口を維持してゆくために、環境改変に耐えうる社会の仕組…

今日のお話に関連して、時間がないなかで簡単に読めて、面白い本はありますか。

歴史教育と歴史研究の関係という面では、山田朗編『歴史教育と歴史研究をつなぐ』(岩波ブックレット712、2007年)がおすすめです。わずか60ページ余りのなかに、問題点が集約されていて至便です。

「涙の歴史」について関心があります。時代によって感覚が変わるということが、どのように分かるのでしょうか。

心性史や感性史の実証性は、どれだけ多様な史料(文学作品から行政文書まで)をどれだけ大量に集めて分析したか、によって決まります。例えば涙についていえば、それらの史料について、涙を流す場・要因、主体の生別・年齢・階層・教育水準など、様々な要因…

具体的にいつ、「一国史からの脱却」が起こったのですか。

80〜90年代が画期であると思います。もともとマルクス主義歴史学には、一国の歴史を世界の枠組みのなかで捉えるという発想がありました。実証主義歴史学も、その母体にドイツやフランスの歴史学、江戸期以来の漢学の流れを持っていましたので、国際的な視野…

私が以前読んだ本には、歴史実証主義と歴史相対主義とが説明されていました。今日のお話のなかにでてきた、多様性や多層性を追求する歴史学は、相対主義と同じものでしょうか。

重複する主張はありますが、完全にイコールではありません。まず歴史相対主義は、歴史とは相対的なものと考える立場なので、事実や真理をめぐる議論は一切意味を持たないことになります。例えば、アウシュヴィッツを虚偽と切り捨てるような歴史修正主義の立…

教職をとっているので、学界と教育の現場におけるギャップに考えさせられました。教科書の叙述が「科学的」という点について、もう少し詳しく知りたいです。作為的と同じ意味でしょうか。

教科書の記述には主に次のような特徴があります。1)概ね推論的ではなく断定的である。2)「○○は××のように云っている」「私は○○と考える」のように、叙述に主体が設定されていない。3)無記名である。このようなスタイルによって、教科書の記載は確定さ…