2008-04-01から1ヶ月間の記事一覧

三牲に羊が含まれていますが、『聖書』にも代表的犠牲獣として登場します。なぜ東西で重要な位置づけをされているのでしょう。また、日本ではどう考えられていたのですか?

羊は牧畜の生業に関わる犠牲獣です。ユダヤ・キリスト教的文脈においても、中国的文脈においても同様です。羊を遊牧・放牧する慣習のなかった日本では、馴染みの薄い獣であったと思われます。

三牲に「豕」が含まれていますが、「宀」=廟とすると、「家」は「豕」を犠牲に捧げる場所という意味になるのでしょうか。

白川静『字統』によれば、金文では「家」の「豕」の部分は「犬」となっているようです。つまり、犬を供犠する祓除の建築儀礼を行って建てたもの、甲骨卜辞では祖先を祀る施設を指すらしいですね。祖先に捧げる供物としての豕と、祓除の役割を果たす犬が、後…

中国の南宋時代の武将岳飛は、金対策をめぐって秦檜と対立し謀殺されたものの、その後祀られて神となり、一方の秦檜は売国奴として堕とされました。しかし日本では、菅原道真は神格化されても、政敵の藤原時平は堕とされていません。これは、日本以上に中国が死者の厲鬼を恐れているとみてよいのでしょうか。

まずはケースバイケースでしょうね。岳飛の場合は漢民族と女真族との戦争という背景があり、後世の評価も中華思想によって大きく偏向してしまっています。同じ漢民族のなかならば、例えば神格化される関羽を倒した呂蒙や曹操は、祟りを受けて頓死したとの伝…

別の授業で、「人は自分が死ぬときに自らの死を認識することが大事であり、死を認識できない突然の事故死などは恐ろしいことだ」と聞きました。幼児の厲鬼が帰ってくることについて、幼いために自分の死が認識できず生前のように暮らしている、その結果家に被害が出てしまうとは考えられないでしょうか。

戦国期の中国人がそう考えたのではないか、ということですね。ありえないことではありません。ただ、睡虎地日書『詰』の文言からみる限り、幼児の死者もまた教え諭すというより祓除されているので、そこに微細な心情の動きを読み取ることはできません。私も…

「骨と祖先」の単元の参考文献です。後日増補の可能性あり。

アリエス/伊藤・成瀬訳 1983(1975)『死と歴史―西欧中世から現代へ―』みすず書房イェンゼン/大林・牛島・樋口訳 1977(1966)『殺された女神の神話』弘文堂磯前順一 1994 「土偶の儀礼過程」同『土偶と仮面・縄文社会の宗教構造』校倉書房市毛勲 1998 『…

都内にも「茅場町」という地名がありますが、そこも昔は茅場だったのでしょうか?

本来の茅場ではなかったようですね。江戸城の拡張工事に際して、それに用いる茅材を供給した専門の商家を集住させた場所である、というのが通説であるようです。

最後の映像の山にあった「大」は、大文字焼きの「大」なのですか。

そうですよ。如意ヶ岳の五山送り火の「大」ですね。これがはっきり現れているとなると、『再撰花洛名所図絵』の「東山全図」は、初夏から盛夏にかけての風景ということになるかも分かりませんね。

日本の伝統がいいか悪いかなんて、その人が何を大切に思っているかで変わってきてしまうと思う。はげ山が間違っているものともいえない。人間の必要のためであったなら、私たちが先代の人間を否定できないと思った。

それはそうですね。歴史学は過去を断罪するためのものではなく、事実を確認して問題点を浮き彫りにし、未来へと繋げてゆくための学問です。この講義でも、「過去の人々は悪かった」という結論ではなく、私たち自身のありようを反省し、将来へ役立てる糧と考…

多くの日本人が里山を伝統的な景観と誤解してしまったのには、どのような原因が考えられるでしょう。

ひとつには自然の回復力によって開発の痕跡がすぐに癒えてしまうため、日本人の歴史意識が極めて脆弱になったこと。もうひとつは、おそらくは第二次世界大戦の影響でしょう。戦時供出によって多くの山がはげ山になっていたため、戦後、国の政策もあって積極…

実際、まったく人の手が介在していない大自然の光景は、もっと野性的で感動より畏怖を感じさせるものだった。「きれい」や「愛着が持てる」〈自然〉というものは、やはり50〜60年前の光景、人が懐かしさを持つのにうってつけの光景なのだなと再認識した。それでも里山の風景は、地方の愛すべき風景であったりもする。

そうですね。なぜそうした新しい景観にぼくらが懐かしさや愛着を感じるのか。そうした心性はここ40年ほどの間に作られたものなのか、もしくは逆に親しみやすい景観を意図的に作ってきたのか、そのあたりが問題です。

当たり前だと思っていた自然豊かな風景が昔にはなく、むしろはげ山といった荒んだ風景であったというのにすごく驚きました。よく時代劇で森の中の決闘というのがあるけれど、あんな情景はなかったのでしょうか。山に身をかくすことはできませんね。

少し薬が効きすぎたかも知れませんが、日本の山々がすべてはげ山だったわけではありません。あくまで農村や都市の周辺ということですね。人里離れた奥山などには、とうぜん、楠や檜、櫪、楢、ブナなどの大木が生えていました。スクリーンに移した正保年間の…

「鬼」と「帰」の音が同じだというだけで、その漢字の持つイメージが合体するものなのか。中国語では違う発音のはずだが。

もっともな質問ですね。現代中国語では、「鬼」はgui(三声)、「帰」はgui(一声)です。古代的な音韻は不明ですが、音感が似ていたことは確かでしょう。4/18の講義で解説しますが、問題はこの二文字が連続して現れるフレーズです。最初は論理的な結合であ…

日本では、僧道昭が初の火葬の例といいますが、これは、史料1にみられる「鬼の之帰る」と似たような考えが広まりをみた結果といえるのでしょうか。

道昭の場合は、あくまで仏教の伝統的葬法に倣ったとみるべきでしょう。彼は唐へ留学して玄奘三蔵に師事しましたが、玄奘の周辺には西域の火葬情報が集積されていたと考えられます。当時の中国でも火葬は珍しくなく、玄奘自身も荼毘に付されています。道昭は…

なぜ、鹿のふんで母の霊は消えてしまうのでしょう。史料1にもあったように、何か燃やして、その煙で消えさせることもできたのではないでしょうか。

史料2のことでしょうか。これは鹿ではなく豚の糞ですね。これを焼くということは、恐らくは臭いや煙で撃退するということでしょうが、豚が中国でいう三牲のひとつ、典型的な犠牲獣であったこととも関連すると思われます。つまり、豚は祖先祭祀の供物として…

私たちは悪いことが起これば悪霊のせいにして、願いごとがあるときや重要な局面においては、「天国の○○が見てくれている」などと言います。これは、単に現代人の都合よい解釈なのでしょうか。

カトリック大学の立場からすると、答えるのに難しい質問ですね。要は信仰の問題でしょう。生きている我々の側に確とした信仰があれば、一概に「都合のよい解釈」とはいえないと思います。ただし、普段まったく忘却しているのに苦しいときの神頼みのように想…