2007-01-01から1年間の記事一覧

大殿祭は建物の守護神を維持する祭儀に思えますが、そのなかで、木を伐り出した山へお礼を述べに再訪する儀式などはなかったのでしょうか。

果たしてそうした祭祀があるかどうか、寡聞にして知りませんが、例えば大殿祭の祝詞のなかに山での儀礼が読み込まれているように、家宅の守護神=樹霊を祭祀することが、間接的に山神を奉祀することにも繋がっていると考えられます。人間と山神との関わりは…

散米と節分の豆まきとは同じようなものですか。

節分に鬼を追うことは歳末の追儺(鬼やらい)に発していますが、豆まき自体には同様の意味があると考えられます。豆には芽を生み出す生命エネルギーが充満していますので、邪気を外へ追いやる魔除けの力と、屋内の守護力を活性化させる力の双方が期待されて…

古代の猪名部や船木には、その氏族に伝わる祝詞のようなものはなかったのでしょうか。

そうした祝詞は伝わっていませんが、とうぜん、固有の木鎮めの技術は持っていたものと思います。猪名部は新羅から渡来した造船技術者を祖としますが、『書紀』によると、その始祖伝承は枯野の築造と結びついています。枯野には、老朽化した残材から七里に音…

木鎮めの儀式にイケニエは存在したのでしょうか。

日本の場合には行われた形跡はありませんが、世界的にみれば木に対する供犠はよくみられます。ただし、木鎮めに関わる物語のなかには、名工左甚五郎の妻が人柱となるなど、女性を犠牲とする説話が時折みられます。これは実際に女性がイケニエに供されたとい…

木鎮めの際、山の入り口で祭儀を行うとのことでしたが、8割を山地が占める本州を巨大見立てた場合、山口県という地名は意味があるように感じます。

「山口県」という名称はとうぜん明治以降のものですが、もともとは阿武郡あたりの山への入り口を指す地域名称だったようですね。旧国名の長門は海峡を表す「穴門」からの改称で、いずれにしろ日本の入り口という意味が込められているといえるかも知れません。

大殿祭は年2回とのことですが、壊れて修理をするときには何か祭祀をするのでしょうか。

私の地元では、家を建てる際に、屋根ができたら、家主がそこに登って餅や小銭を投げる行事があります。これも一種の木鎮めでしょうか?

建前(棟上げ)の行事ですね。列島では最も広く分布する建築儀礼のひとつです。しかし、高い場所からの餅まきは、必ずしも建築中の建物のみから行うとは限りません。初午の節句などの際に、櫓を組んでそのうえからまく場合もあります。現在の建前の場合は、…

山口祭儀以外で、山口神社が設けられるのはどういう場合でしょう?/山口神社は複数あるとのことですが、山ごとに祭儀を行っていたのでしょうか?

山自体が神聖視され禁足地となっている場合、入り口に神社が設けられ一般の出入りを阻んでいることがあります。入山できるのは神職など限られた人々、もしくは限られた日時のみ。こうした場合も、山神に入山の許可を乞う場として設置されたとみるべきでしょ…

「木鎮め祭儀」のような祭儀は、日本以外にもあるものなのでしょうか。ヨーロッパなどではどうなのでしょうか?

後のケルト的な色彩を持つヨーロッパの基層的宗教文化(ドルイド教)は、オークを神聖視して、人間を含めた供犠を行っていたことが分かっています。神聖な樹木を伐る必要が生じたときにも、その種の祭儀を行ったのでしょう。ちなみに、今年の初めに東京国立…

高校の日本史にも出てきた『延喜式』が、神話的内容を含んでいるのに驚きました。他の法律関係資料も、そうした内容を含んでいるものなのですか。

古代国家は神祇を祀る制度を持っていましたので、とうぜん、根本の行政法である律令にも「神祇令」が定められ、祭祀の基本的なありようが定められていました。律令の補足修正法を類聚集成した『類聚三代格』にも、神祇や祭祀に関する法令が収録されています…

大殿祭は建物の守護神を維持する祭儀に思えますが、そのなかで、木を伐り出した山へお礼を述べに再訪する儀式などはなかったのでしょうか。

果たしてそうした祭祀があるかどうか、寡聞にして知りませんが、例えば大殿祭の祝詞のなかに山での儀礼が読み込まれているように、家宅の守護神=樹霊を祭祀することが、間接的に山神を奉祀することにも繋がっていると考えられます。人間と山神との関わりは…

散米と節分の豆まきとは同じようなものですか。

節分に鬼を追うことは歳末の追儺(鬼やらい)に発していますが、豆まき自体には同様の意味があると考えられます。豆には生命エネルギーが充満していますので、邪気を外へ追いやる魔除けの力と、屋内の守護力を活性化させる力の双方が期待されているのでしょ…

古代の猪名部や船木には、その氏族に伝わる祝詞のようなものはなかったのでしょうか。

そうした祝詞は伝わっていませんが、とうぜん、固有の木鎮めの技術は持っていたものと思います。猪名部は新羅から渡来した造船技術者を祖としますが、『書紀』によると、その始祖伝承は枯野の築造と結びついています。枯野には、老朽化した残材から七里に音…

木鎮めの儀式にイケニエは存在したのでしょうか。

日本の場合には行われた形跡はありませんが、世界的にみれば木に対する供犠はよくみられます。ただし、木鎮めに関わる物語のなかには、飛騨の名工甚五郎の妻が人柱となるなど、女性を犠牲とする説話が時折みられます。これは実際に女性がイケニエに供された…

木鎮めの際、山の入り口で祭儀を行うとのことでしたが、8割を山地が占める本州を巨大見立てた場合、山口県という地名は意味があるように感じます。

大殿祭は年2回とのことですが、壊れて修理をするときには何か祭祀をするのでしょうか。

私の地元では、家を建てる際に、屋根ができたら、家主がそこに登って餅や小銭を投げる行事があります。これも一種の木鎮めでしょうか?

建前(棟上げ)の行事ですね。列島では最も広く分布する建築儀礼のひとつです。しかし、高い場所からの餅まきは、必ずしも建築中の建物のみから行うとは限りません。初午の節句などの際に、櫓を組んでそのうえからまく場合もあります。現在の建前の場合は、…

山口祭儀以外で、山口神社が設けられるのはどういう場合でしょう?/山口神社は複数あるとのことですが、山ごとに祭儀を行っていたのでしょうか?

山自体が神聖視され禁足地となっている場合、入り口に神社が設けられ一般の出入りを阻んでいることがあります。入山できるのは神職など限られた人々、もしくは限られた日時のみ。こうした場合も、山神に入山の許可を乞う場所として設置されたとみるべきでし…

「木鎮め祭儀」のような祭儀は、日本以外にもあるものなのでしょうか。ヨーロッパなどではどうなのでしょうか?

後のケルト的な色彩を持つヨーロッパの基層的宗教文化(ドルイド教)は、オークを神聖視して、人間を含めた供犠を行っていたことが分かっています。神聖な樹木を伐る必要が生じたときにも、その種の祭儀を行ったのでしょう。ちなみに、今年の初めに東京国立…

H君・Sさん・N君の報告についての講評(書きかけ)

H君の報告は、注釈書の訓み方に引きずられてしまいすぎでしたね。まずは底本の情報を忠実に再現することが必要です。そのうえで、兼右のここが間違っている、ということであれば自分の見方を明確にして訂正する。そのプロセスを省略してしまうと、単に注釈…

I君・Kさん・Mさんの報告についての講評

I君の発表は、簡にして要を得たいい報告だったと思います。翻刻もよく出来ていました。右訓・左訓のどちらを取るかについても、それなりの見識があってよかった。ただし、用語解説などでは、まだ古代史用語に熟達していない面が少しみられました。別に取り…

T君・I君の報告についての講評

とにかく、レジュメの量が膨大でした。授業でもいいましたが、そのことには敬意を表します。内容的にも、舒明即位をめぐる『書紀』の記述の整理、これまでの研究史がまとめられていて、後に報告をする人には資するところが大きかったと思います。問題はプレ…

前回、「淳仁」のし号は明治に奉られたものとおっしゃっていましたが、明経博士のいないときにはどのように選定したのでしょう

維摩会は当時興福寺だけで行われていたのですか。そこにはどのような階層の人が集まったのでしょう。

光明子は非常に高い教育を受けたとのことですが、具体的にはどのようなことを学んだのでしょうか。また、どのように行われたのでしょう。家庭教師など付いたのでしょうか。

恐らくは、早くから首皇子へ嫁がせるために育てられているので、キサキとして振る舞うに相応しい教育は施されていたでしょう。『楽毅論』と『杜家』のみがそれを知るよすがですが、内容的なことまで意味を持つとするのは穿ちすぎかも知れません。ただし前者…

『杜家立成雑書要略』は、その後、貴族社会に広まったりしたのでしょうか。

これは書風を練習するための書物であり、また書簡の用例集でもあるわけですが、後者としては中国の地方の下級官人層、小地主層の生活世界を反映したものなので、光明皇后が書写し練習するのはやや不自然な気もします。『万葉集』は、和歌を手紙がわりに用い…

「店」という文字には「占」が含まれていますが、甲骨や金文にはどう出てくるのでしょう。

仲麻呂が、あらゆるメディアを自家正当化のプロパガンダに用いていたことはわかったが、それとは逆に、他家をおとしめるために使用した事例もあったのだろうか。

恐らくは仲麻呂が起草に関わっている詔のなかで、橘奈良麻呂一派がおとしめられたり、兄豊成が批判されたりということはありました。奈良麻呂の場合には、そのクーデターの抑止を代々の先帝や神仏のお陰としていますから、逆にそうした宗教的権威をもって、…

光明子には、入内してからも藤原氏としての自覚があったとおっしゃっていましたが、後の時代をみても、后妃となった女性たちが実家のために尽くすのは当然なのではないでしょうか。/光明子が入内してからも「藤三娘」と名乗っていたのは、藤原氏が強大だから許されたのでしょうか。現在の感覚からすると、ありえないことのように思えるのですが。

まったく対照的な感想の付加された質問が来ましたね。古代の大王家・天皇家に入り、妃になるということは、現代のそれとはやや感覚が異なるようです。中国王朝の后妃も出身氏族の名前で呼ばれていますし、日本でもそうした〈家との繋がり〉が強かった(その…

「ふりむかないで」というハクのセリフには、どんなメッセージが込められているのでしょう。

昔話のモチーフには「見るなの禁」と呼ばれるものがあって、主人公の目的の達成と釣り合うタブーなんですね。それを破ると、これまでの努力の積み重ねが台無しになってしまう。ギリシア神話で、オルフェウスが冥界から助け出した妻エウリュディケーを振り向…