2011-06-01から1ヶ月間の記事一覧

人柱の伝承は、やはり飛鳥時代の頃から広まったのですか。

いわゆる人柱が、実際に日本列島の歴史のなかで行われてきたかどうかは、柳田国男以来さまざまな議論があります。それは明確な人柱の「遺跡」がみつからないからで、柳田などは「物語の世界だけのもの」という立場を取っていました。しかし、近年の供犠論的…

大化前後から記紀成立に至るくらいまで、王権にとっての難波の位置づけや、ヤマト王権にとってどの時期から難波が大きな役割を果たし始めたか知りたい。

ヤマト王権にとって、難波は外港としての重要性を持ち続けます。孝徳朝や聖武朝の難波宮も、外交や交通との関係においてその機能を発揮していました。ただし、難波津が整備されるのは5〜6世紀の間で、それ以前はやや南方の紀ノ川河口付近が外港の役割を果…

網野善彦氏の『日本とは何か』を読みましたが、「古代日本の文化は西東に大きく分かれる」とあったものの、自然信仰には言及していませんでした。自然信仰に関して、東西の相違はあるのでしょうか。

難しい問題ではありますね。自然環境に注目しますと、ナラ林文化と照葉樹林文化の相違、それぞれが経てきた歴史的情況の相違ということになるのでしょうが…、実をいいますと、ぼくは列島を東/西で分けて考えるものの見方は充分ではないと思っているのです。…

先生は、温暖化がこのまま進んだらどうなると思いますか。

以前に公開されたIPCCによる試算では、京都議定書で設定された二酸化炭素の排出基準をある程度遵守したとしても、確か2070年頃には、東京は現在の奄美大島程度の気候となり、冬がなくなるといわれていたように思います。温暖化の予測はスーパーコンピュ…

地震について質問です。地盤に強い弱いがあると分かりましたが、その差は揺れの大小を生むのですか? それとも液状化や地割れなどの起こりやすさの問題でしょうか。

両方ですね。一般に、洪積台地より沖積低地の方が堆積した時期が新しく、それ故に緩く軟らかであるといわれています。地震の揺れ自体も酷くなりますし、液状化なども起きやすくなります。また、歴史的・社会的条件を合わせて考えると、高燥な洪積台地には比…

前回の授業で疑問に思ったのですが、ウヂ名は、そもそも王権と氏族との関係や国務を表す大切なもののはずです。それを例えば天皇側の意向で中臣→藤原のように変更されるのは、鎌足の側からするとどういう意味があったのでしょう。プラスに捉えられるものだったのでしょうか。

史官の占断は、主に暦や天体運行によってなされると思うのですが、例えば「黄道」などの概念もこの頃に成立したのですか。

右手の方が日常的に使う手で穢れていたとすると、左利きの人間の場合は逆になるのでしょうか。そもそも左利きであることで、差別されるなどのことがあったのでしょうか。

祝官のうちの巫には、どのような神格が憑依するのでしょうか。

学ジ【人+耳】にはどのような人がなったのでしょう。引退した史官でしょうか。

史官や卜官の試験では、どのくらいの割合が合格していたのでしょうか。また、不合格になった学童たちはどうなったのでしょうか。

史官・卜官は、試験の結果に応じて就ける職が異なるとのことでしたが、欠官が出た際の補任の試験で優秀な成績を残した場合、彼の職はどうなるのでしょうか。 / 史官の試験に合格したら、まず自分の出身県の令史にならなくてはいけないのですか?エリートは重要な県に配置されるなどの特例はないのでしょうか。

史官の家では、男女や長男・長女など、継ぐべき子供の決まりはあったのでしょうか。

史官や卜官の各家での教育では、家系内の人が雇用されたりしたのでしょうか。父親に指導を受けたのですか。

史官・卜官の試験では、あまり神秘的な内容は問われないようですが、何か特殊な訓練などはあったのでしょうか。

史官は世襲制とのことですが、史官の成績によって各家のランク付けが為されるなどのことはあったのでしょうか。

史官と卜官が分化したのは、そもそもどのような理由からでしょう。分けなければいけない積極的な意味があったのでしょうか。

環境史の参考文献について、質問がありましたので掲載しておきます。

現在、日本列島の環境の変化について通史的に説明している文献で最も妥当な見解が述べられているのは、辻野亮「日本列島での人と自然のかかわりの歴史」(松田裕之・矢原徹一責任編集、シリーズ日本列島の三万五千年―人と自然の環境史1『環境史とは何か』文…

なぜ昔から男女差別があったのでしょうか。それは律令などによって人工的に作られたのですか、それとも人間の本能なのでしょうか。

「差別」は近現代的な人間観に基づいているものの見方なので、それを前近代に直接当てはめて考えようとすることは誤りです。しかし仮に、男女平等の立場に立って女性が不当に扱われる情況を「女性差別」と捉えたなら、それは明らかに社会的・文化的に構築さ…

家族形態についてですが、女性が家長となった場合、その配偶者の男性はどのように扱われるのでしょうか。

講義でお話しした時点での家族形態では、まず5世紀後半の夫婦同居以前の段階においては、男性配偶者はあくまで配偶者であるに過ぎません。家長と子供たちからなる家族のなかでは、我々が現在考えるような家族としては扱われないようです。また、6世紀前半…

古墳時代には、結婚式的なものはあったのでしょうか。

どうなんでしょうね、ぼくも知りたいところです。結婚「式」とは、いってみればそこにおいて成立する二者の関係、あるいはそれぞれが所属する共同体の関係を縛るための呪術です。よって、配偶者となったものどうしが生涯にわたり恒久的な関係を維持すること…

日本的"神"の原型が開発(侵略)/神聖(隔離)の二項対立を内包しているのなら、それは多神教のなかにひそむ一神教的なものといえるでしょうか。

鋭いですね。その二項対立が首長権を背景に拡大した場合、他の精霊や神格を何らかの形で排除し、あるいは吸収し従属させてゆくという事態が生じてきます。そうなるとそれは、「多神教のなかの一神教的なもの」となってゆきます。例えば、7〜8世紀にかけて…

現在でも、家を建てる際に神事が行われているが、これも神社の自然崇拝と同じ二面性を持っているのだろうか。

そうですね。来週少し話をしようと思っていますが、現在の建築に関する神事は、古代に体系化された〈木鎮め〉という一連の祭儀の形式化したものです。現在でも、神社の式年遷宮などではこの形式を踏襲しているところもありますが、まず山の入り口において山…

神祇信仰において、大きな岩や樹木を対象にする以外では、どのような神聖化のパターンが認められるでしょうか。

確かに、例えば山や島に対する信仰でも、そのなかに屹立している巨岩を神の依代にみたて(=「磐座」といいます)、奉祀するというパターンが多いですね。樹木に対しても同様です。そのほかによくみられるのは、やはり講義でも扱った湧水や流水でしょうね。…

古代日本では、海に対する認識はどのようなものだったのでしょうか。

山や川と同様、海に対しても神聖性を覚えていました。とくに海上他界、海中他界の観念は発展して、中世以降にまで受け継がれてゆきます。装飾古墳の壁画をみても、海の彼方に神霊の原郷ともいうべき他界があるとの認識をみてとれますし、『古事記』や『日本…

古代においては、人間と自然の垣根自体が低かったのでしょうか。

確かに、人間/自然、文化/野生という対立項が、現在より曖昧な状態で混じり合っているのが古代的認識ですね。しかし、大陸・半島から伝来した儒教や仏教は、これらの区別を截然と行います。儒教が自然を文明の素材と捉えるあり方は非常に近代的ですし、仏…

宗像大社は女神を奉祀しているのに、沖ノ島が女人禁制なのはおかしいと思います。いつからの禁忌なのでしょうか。

平安時代、女性の穢れ観が仏教の影響によって高まったために寺社の女人禁制が進行してゆくことになりますので、沖ノ島でもその頃には禁制になっていたとみてよいでしょう。日本の神は「穢れを嫌う」ことが特徴とされ、血や肉を却けるものと考えられています…

古代神社の配置についてよくいわれるレイラインは、認めてもよいものなのでしょうか。

レイラインをどういうものとして解釈するか、が問題でしょうね。もっともよくいわれるのは、太陽の運行に関わる方位信仰でしょうが(「ley」と「ray」が混同されている?)、個々の神社の規模であればともかく、列島全域に直線がかかったりするようになると…

そもそも古代の神道は、「神道」と呼べる体系的なものではなかったのではないでしょうか。神道の起源はどこにあるのでしょうか。

神道の起源そのものについては、講義でお話しした自然祭祀にあるとみていいでしょう。その後、王権がとくに信奉した神社を中心に、祭祀の制度化、起源神話の詳細化が進んでゆきます。ときにそれは、中臣や忌部といった祭祀氏族、それぞれの神社の奉祀氏族に…

古墳時代の祭祀には庶民の主体的な関わりがないように思うのですが、民衆が中心になって行う祭祀などは存在したのでしょうか。

古墳時代にも、村落での祭祀の形跡はあります。やはり、古墳や湧水点祭祀に用いられた滑石製模造品を用いたものですね。しかしそれらの担い手は純粋な「庶民」ではなく、中・小規模の村落首長だったものと考えられます。しかし、8世紀の文献のなかには、ま…