2018-06-01から1ヶ月間の記事一覧
地獄自体は、インドの冥界の概念が仏教に取り込まれ、次第に整備されて、7〜8世紀に日本列島へもたらされます。経典として決定的な影響を与えたのは『正法念処経』で、極楽や地獄の描写が豊富かつ詳細であり、これが源信著『往生要集』の原拠となって、平…
同志社大学で教鞭を執られていた、考古学者の辰巳和弘さんが、上記のテーマについて一般書も含め刺激的な論考を書かれています。専門書としてはより精密な研究がほかにもありますが、入門編としては、『「黄泉国」の考古学』『他界へ翔る船』『古代をみる眼…
これも授業でお話ししていることですが、古墳はあくまで首長墓です。古墳時代の一般庶民の墓については、遺構も少なく、よく分かっていません。縄文時代とあまり変わらない土坑墓か、あるいは遺棄葬の形で処理されていたと考えられています。直径2〜3メー…
面白い質問です。月は、死者の世界のものであるとともに、やはり再生の象徴です。ヒキガエルも兔も、それを明示しています。インドでも、死者は一定期間月に止まって、再び再生するとみなされた。日本でも、極楽浄土は月にあると、感覚的には捉えられていた…
石棺や石障を辟邪文様で覆い尽くすメンタリティーは、前期・中期の遺体に対する呪術的態度の延長と考えられます。竪穴式石室の密閉を、石棺レベルで再構成したようなものでしょう。これは、生者が自分たちのためにしたものです。死後の世界の具体的なイメー…
確かに、これは普遍的に存在しますね。ひとつには、やはり人類史において、海や川が彼岸と此岸を隔てる象徴的な存在だったからだ、ということができるでしょう。広く深く、また流れの速い水場であれば、やはり人力で渡ってゆくのは困難である。つまり、容易…
大坂柏原市の高井田横穴墓群は、6世紀中頃〜7世紀前半に造営された、160基に及ぶ横穴墓群です。凝灰岩の壁面に多様な線刻画が刻まれていますが、プリントに紹介したのは、船に乗って去ってゆく男性を、女性が手を振って見送っている図です。やはり、死者との…
いい質問ですねえ。洞窟に神話世界や他界を描くことは、クロマニヨン人の段階から行われていますが、人類学や宗教学では、やはり他界との境界を意味しているのではないかとの意見が強いようです。つまり、古墳の石室に他界を描くのは、それを入り口にして本…
授業でも説明しましたが、特殊器台が直接形象埴輪に展開したのではありません。特殊器台は、あくまで円筒埴輪の原型です。円筒埴輪が、やがて靫や蓋の儀仗・立て物を表現するように進化し、やがてそれらが差し掛けられる、あるいはそれらが守る人物をも描写…
もちろん、みなさんがより深く学んでくれるようにリストを付けているので、ぞんぶんに利用してください。
とくに禁止する理由はありませんので、okです。むしろ、積極的に使用してください。
上の質問とも関係するのですが、前方後円墳が存在するからといって、その地域が面としてヤマト王権に従属していたわけではないだろうと思います。その支配の浸透の度合いは、やはり近畿を中心として、同心円状に疎密がある。東北の前方後円墳などは、その地…
桃については、中国の戦国時代という極めて古い時代から、辟邪のツールとして使用が確認されます。『周礼』に書かれた儺という悪霊祓いの儀式は、桃の弓や桃の枝を用いますが、そのまま日本にも採り入れられ、宮廷で追儺として斎行されます。葡萄や筍は、蔓…
縄文か弥生のときにも同じような質問にお答えしましたが、とくにギリシャ神話と日本神話に限ったことではなく、世界中の神話にこのような類似点は多く確認することができます。そうした現象が起きる理由として考えられるのは、ひとつに形式の伝播(実際に人…
他の時代には、遺体を収集して洗浄し埋葬し直す「洗骨」という習俗が認められますが、古墳時代には一般的ではなかったと思います。以前の遺体が木棺などに納められている場合はよいのでしょうが、授業でお話しした遺体をそのまま寝かせてある場合などは、石…
重要な質問ですね。幾つかの複合的要因によって生じたものと思われます。ひとつには、中国大陸や朝鮮半島からの新しい形式の導入です。これは、古墳時代における倭を取り巻く国際関係が次第に活発になり、中国南朝や朝鮮半島諸国と盛んに文物のやり取りがあ…
弥生時代のところでお話ししたように、中国地方は早くに青銅器の祭祀から逸脱し、墳丘墓の祭祀へ移行してゆきます。古墳自体は、出雲から北陸にかけて始まった四隅突出型墳丘墓などが嚆矢です。古墳に使われる埴輪は、吉備地方において、墳丘に備える須恵器…
古墳が縄文・弥生にみたような一般の人びとの墓ではなく、首長の墳丘墓であることが重要です。常人にはないような力を持つと信じられた首長、王の遺体だからこそ、呪術的な威力のあるものとして畏怖されたのです。一般の人物の遺体がすべて畏怖された、とい…
アニミズムとは万物霊魂論、すなわち森羅万象に人間と同じ精霊が宿っているとの信仰の形態です。宗教学や民族学では最も原始的な宗教の形態とされますが、創唱宗教のなかにもその要素を持つものはあり、現代社会にもそこかしこに残存しています。弥生時代に…
中期古墳の造り出しのジオラマなどは、確かに兵馬俑に近いイメージがありますが、あれが死者の国で始皇帝に奉仕する軍隊とすれば、すこし性格が違ってきますね。列島の古墳のディスプレイは、やはり被葬者の顕彰という要素が強く、いかに偉大な人物であった…
弥生時代のところで述べたかもしれませんが、弥生〜古墳時代の雑穀生産は、考古資料としては極めて少量しか出土していません。また、山地における人間活動の痕跡を調べても、縄文時代まで高い山に登って狩猟していた人びとが、弥生時代以降は次第に高い山に…
天円地方はあくまで推測ですので、屋上屋を重ねるようなことはできません。あくまで、前方後円墳がヤマト王権の大王墓の形式として設定されたので、こちらの方がグレードが高いということです。前方後方墳が方形周溝墓から発展したとすれば、その期限はヤマ…
「浄仏」とありましたが、「成仏」のことでしょうか? 成仏とは、人間が悟りを開きブッダになることを意味しますが、浄土教以降は、死後極楽というユートピアに往生することを成仏ともいうようになりました。古墳において被葬者がカミとなることは、そのどち…
『日本書紀』垂仁天皇32年秋七7月甲戌朔己卯条に、大略次のような伝承が掲載されています。「皇后の日葉酢媛命が亡くなったとき、生きた人間を死の国への侍者として殉葬することについて、天皇は臣下たちに諮った。これに対して野見宿禰が、『君王の陵墓に…
「鬼道」をどう考えるかが、まず問題です。「鬼」を漢語的に死霊と捉えれば、「鬼道」は祖先信仰・祖先祭祀と考えてよさそうです。あるいはより道教的な、そうした死霊を使い魔として駆使するような内容かもしれません。前者の意味とすれば、古墳祭祀と鬼道…