2014-05-01から1ヶ月間の記事一覧

レヴィ=ストロースによるオイディプス神話の構造分析で、男女の性愛によって人間が誕生するとの事実を否定するという要素がありましたが、こうしたことは日本の神話などにも共通する考え方なのでしょうか。

男女の性愛を比定するようなベクトルは、神話のなかでも後世的なもの、国家が国民のアイデンティティーを維持・強化すべく作り上げた段階の神話や、倫理や道徳が意図的に盛り込まれた芸能・芸術段階の神話などにみられます。授業でお話ししたオイディプスな…

アルヴァクスの集合的記憶の関係で、例えばふとしたときに昔のことを想い出すことがありますが、これも集団的記憶に位置づけられるのでしょうか。

我々の意識や心理が社会的なものである以上は、記憶の想起も常に社会的にならざるをえません。ふとした昔の個人的体験の想起も、まずなぜその想起の機会が与えられたのか、その機会になぜその記憶が結びつけられたのか考えてみると、現在の自分が置かれてい…

エリアーデの研究で、ヨガの修行経験から神秘体験を得たのではとの話がありましたが、もともとヨガはどのような経緯で生まれたのですか。

ヨガはサンスクリット語のYoga、漢語では「瑜伽」と書きます。原義は「結びつけること」、自己と世界、法、超越者との合一を図る瞑想行で、仏教に至って大きく発展しました。広義においては、日本でいう坐禅に相当します。中国に仏教が伝来した3〜5世紀頃…

日本人の歩き方が、かつて手と足を同時に出していたのは、刀を抜きやすくするためであるというのを、剣道の授業で聞いたことがあります。

武術の身体として鍛錬されたものとしては、そのような説明の仕方になるでしょう。しかし、実際には刀を使用しない農民、町民らも同じような歩き方をしているので、全般的な説明にはなりえません。一般的にナンバ歩きやナンバ走りは、西洋的な歩行・走行と比…

1930年代頃の日本人の歩き方の映像は、どのような場面で記録されたものなのか気になりました。実験の風景でしょうか。

とくに実験のために撮影された映像ではなく、撮影された時期や地域、その動機などもさまざまに異なるフィルムです。それゆえに、かえって非西洋的歩き方の普遍性が浮き彫りになっているわけです。

イースター島の文化は、人口爆発による食糧不足が原因と聞きましたが?

「ヤマト王権は世襲制ではく、出雲や他の国の首長が交代制で王権の座に即いた。大和の地が東西を結ぶ拠点ともなっていた」といった説もところどころでみかけますが、円筒埴輪の発祥などもこうした見解の根拠になっているのでしょうか。

北九州や近畿が青銅器に固執するなか、出雲などが墳墓祭祀へ早期に移行したことは、「墳丘墓を作ることができるほど、たくさんの人民を統治していた」と考えられますか?

出雲から青銅器が大量に出土しているのはなぜですか。

青銅器で作った武器が祭器になったなら、武器は鉄器で同じ形で作られたのですか?

青銅器の祭器化は、祭祀の重要性が増すにつれてそうなったのでしょうか。それとも、青銅器が実用的に使われる必要がなくなったからでしょうか。 / 青銅器が祭器として使われるようになったのは、黄金色云々以外に、そもそも脆かったため実用に向かない、鉄器にその位置を奪われてしまった、などの事実はあったのでしょうか。

朝鮮半島からの渡来人は多かったと思いますが、逆に朝鮮へ渡った日本人もいたのでしょうか。

日本は大陸から青銅器を輸入して加工したと聞きましたが、大陸の武器や楽器より日本のものの方が質が高かったり凝っていたりするのでしょうか。

朝鮮半島などからの伝来であるのなら、銅矛と銅剣などどいう差異がなぜ出るのでしょう。伝えた人が違うのか、伝えた時期が違うのでしょうか。

場所は同じでも、時代によってシンボルのイメージがまったく関係の無いものになったり、正反対のものになったりすることはありえるのでしょうか?

歴史学者の見解と人類学者の見解が異なることは、往々にしてあることでしょうか。

p.14図12の6にある、熊本県神水遺跡ってどこにあるんでしょうか。私は神水の出身なのですが。

弥生時代の祭祀に関する性別分業について関心を持ちました。この時代、すでに男女差別などはあったのでしょうか。 / どうして女性・子供が精霊の依代になりやすいのでしょうか。

現在に繋がるような男女差別が現れるのは、家父長制に基づく男性優位の社会が確立して以降です。いわゆる神憑りてきな役割を多く女性や子供が担うようになるのは、文化・政治を成人男性が象徴し、自然・宗教を女性が象徴するという二元的枠組みが構築された…

当時のシャーマンと呼ばれる人たちは、どうして占いなどをやり始めたのですか。そうすることで自分の思い通りに世の中を動かそうとしたのか、神々の声が本当に分かると思っていたのでしょうか。

現代社会で日常生活を営む私たちには信じがたいことかもしれませんが、現在も神の声を聞くシャーマンは存在します。彼らは原因不明の病などに罹り、医療では克服できないそれに苦しみ悩み抜いた末に、先輩のシャーマンのもとを訪れ修行の末に克服し、自分自…

穂落神について、神が稲魂を落とすとそこが水田になるといわれていたそうですが、「誰々の祖先がこの水田を作った」というようなものは言い伝えられなかったのですか。

穂落神とは異なるレベルの伝承ですが、始祖が開拓神として活躍する物語は伝承されています。もちろんずいぶん時代が下って7〜8世紀の物語ですが、現在の茨城県あたりの地誌である『常陸国風土記』の行方郡条には、箭括麻多智なる人物が、夜刀神という蛇神…

奈良公園の鹿が神聖視されているのは、弥生時代の名残ですか。そもそも鹿が保護されるようになったのはいつですか。

奈良公園の鹿は、春日大社の神の使いとして保護されています。神聖視が始まるのは古代〜中世で、弥生時代の認識が継続しているともいえますが、その時点で稲作と強固に結びついているわけではありません。『日本書紀』などでは、神の使いとして鹿や猪が登場…

狩猟をする際には、例えばオスの鹿でなくてはならない、メスの鹿ではなくてはならない、などの考え方はあったのでしょうか。

当時どのような狩猟が行われていたかは不明な点が多いのですが、現在の狩猟採集文化では、メスや子供の獲物を必要以上に狩猟してはならない、とする禁忌が伝えられた地域もあります。例えば、北アメリカのトリンギット・インディアンには、主人公の狩人が精…

動物表象で、大地は鹿、空は鳥が対象となっていましたが、海でも信仰の対象となった生き物はいるのでしょうか。

弥生の土器絵画には、サメのようなもの、シャチのようなものが描かれています。二種とも生みにおいては特徴的な生き物で、神話や伝承にも「動物の主」として登場します。弥生時代にも、縄文の狩猟採集文化を継承・発展させた海辺の集落があったはずで、それ…

いろいろなものが発掘されるなかで、これは何を意味するのだろうというものがたくさん出てくると思いますが、それらすべてに意味があるとは限らない気がします(屈葬など、個人的には体を折りたたんでスペース削減したというあたりがいちばんしっくりきます)。

確かに、あまり深い意味を求めるのも穿ちすぎというところはありますね。しかし、屈葬のように出土例が多く、地域的・時間的限定されているとしても一定の習俗として認められるものには、必ず何らかの意味があります。しかし、当時の人々にも無自覚、無意識…

精神分析の方法を歴史学に援用した、よい参考文献があれば教えてください。

やはり、歴史学者でもありフロイト研究者でもある、ピーター・ゲイの一連の著作をお薦めします。まずは、『歴史学と精神分析―フロイトの方法的有効性―』(岩波書店、1995年)でしょうか。個人の主観的構築物にすぎない歴史叙述が全人的価値を持ちうるのはな…

フロイトの「死の欲動」について、どのようなものか教えてください。

初期のフロイトは、無意識の欲動を性に基づくもの=エロスとのみ考えていましたが、後期にはその逆のベクトル、死の欲動=タナトスも存在するとの結論に至ります。第一次世界大戦から帰還した兵士たちを治療していたフロイトは、彼らの語る悪夢から、夢を無…

ねずみ男の話で少し考えたのですが、ときどき周囲の人間すべてが敵にみえたり、人間にすらみえなくなる時があります。被害妄想を抱くこともありますが、これも神経症的な症状なのでしょうか。

成長過程で誰しもが一度は経験することでしょうが、自己に対する防衛意識が過度に働いている点は否めないかもしれません。自尊心と自負が傷つけられ、自分にとっての世界や価値観が根底から崩されることを忌避するという防衛機制ですね。例えば学問の世界で…

エディプス・コンプレックスと逆の事象、例えば親が同性の子供をライバル視して虐待する、といった定型化は行われているのでしょうか。

この問題は、むしろエディプス・コンプレックスの枠組みのなかで対象化されています。つまり、異性の親との一体化を求める子供の行為は、同性の親からの去勢恐喝=虐待を呼び起こし、結果として同性の親へのアンビバレンツな感情を喚起し構築してゆくという…

フロイトとユングの区別がいまひとつはっきりしません。対照的と捉えていいのでしょうか。

細かな相違点を挙げればきりがないでしょうが、最も対照的な点は、やはりユングが無意識を集合的に捉えているのに対し、フロイトはあくまで個人心理の成長過程において把握していることでしょう。ユングは集合的無意識下にある〈元型〉が人間の心理を規定付…

フロイトの無意識論と神話との繋がりについてなのですが、オイディプスにおける父親殺しや母親への愛情などが、欲動としての無意識の発現なのでしょうか。このような神話によって、人は無意識的な欲求によってなされたことがタブーなのかどうか理解し、子孫にも継承されてゆくということでしょうか?

異性の親への一体化欲求や同性の親への愛憎も無意識の欲動の発現ですが、この経験と克服の過程で、その性愛を抑制しようとする心理機制や罪悪感が醸成され、道徳感・倫理感の中核を形作ってゆくと考えられています。その過程においては種々の葛藤が生じ、場…