2016-04-01から1ヶ月間の記事一覧
日本全国の縄文時代の地層から、野焼きの際に生じる微粒炭が広範囲にみつかっているのです。ただし、これがなぜ生じたのかは憶測の域を出ません。アジアには狩猟の際に火を用いる方法もありますが、概ね焼畑であろうと推測されている情況です。もちろん、地…
遺跡としてみつかっている墓や集落などを中心に、食生活のあり方、社会・経済のありようを考え、前後の時代と比較して類推しています。もちろん、正確さについては常に注意が必要で、計算の仕方や学説についてももろもろあります。授業でお話ししたのは、あ…
形質人類学的には、一般的にいわれているような、がっしりした体格で体毛の濃い縄文人、痩せ形で身長の高い弥生人といった区別は、もちろん種々の例外や多様性を含みながらも、まったくのでたらめではありません。ただし、現在のDNA分析は、さらに多種多様な…
論理的にはそうなるでしょう。しかし、授業でお話ししたとおり、旧石器時代の人間の痕跡さえ、充分に出土しない情況ですので、発掘によって実証することは困難です。ただし、例えば弥生時代の遺跡などは、確実に西日本へ集中し、半島や大陸への玄関口であっ…
渡れます。日本列島以外でも、ポリネシアでは、丸木船を用いて大洋を横断していた人々がいました。
まず注意しなければならないのは、氷河期から縄文時代へかけての気候変化・環境の変動は、例えば数日や数年のうちに世界が一変してしまったというわけではなく、極めて長い時間をかけて変化が生じ、そのなかでヒトは次第に適応をしていったのだということで…
このような気候においてはこのような気質、と法則的に一括することはできないでしょうが、ある程度の傾向は確認できるでしょう。ただし、南方地域は享楽的、北方地域は閉鎖的といった単純な考え方ではなく、気候、土壌、植生、景観、歴史過程などから総合的…
14Cは、年代測定の際に、最も一般的に計測対象とされる放射性炭素同位体です。
もちろん、これまでの核実験などにより、大気中の放射性物質の濃度は変動するので、近現代以降にはさまざまな攪乱が起きていることにも注意しなければなりません。しかしこれは、何百年もかけての規則的な変動と比べると、まさに「攪乱」、すなわち例外的誤…
古気温曲線で示した気候変動は、何百年、何千年もかけて、自然現象として起きるものです。それに対して現代の地球温暖化は、人間活動の結果として、これまで地球が経験したことのないほど、短期間で急激な変化を生じているものです。一緒にすることはできな…
ナマズについては、アジアの各地で、「大地を載せている魚」との伝承があります。それゆえにもともと、地震の原因をナマズの震動に結びつける考え方があったものと思われます。しかしそれは、自然現象に対する数ある説明の仕方のひとつに過ぎませんでした。…
中国仏教の早い段階では、「金人をみる」「金身の人をみる」といった表現が多かったものが、六朝後半になると、具体的な如来・菩薩名を伴ったものへ移行してきます。これは偏に、仏画や仏像が多く将来され、また造立されてイメージが広がったため、仏の具体…
授業でも説明しましたが、曇鸞の論に引用されて出てくるものは、曇鸞の経験に基づくものです。仏教では禁呪を重視する密教があり、これはインド由来の呪術、西域由来の呪術によって構成されていますので、道教以外の在来宗教が起源です。日本においては、密…
なるほど、それは面白い問題です。原文では、これを「切歯」としていますので、どう訳すべきか悩んだのですが、道教的な作法として「歯ぎしり」としました。道教では、言葉を唱える際に何らかのアクションを取る、ということが多いですね。ひとつの効能を生…
指月の譬自体は、喩えですので、解釈の仕方自体が大きな問題となることはなかったようです(もちろん、論理的に誤っているのではないか、といった議論は後世に至るまで交わされてきましたが)。仏教は経典の読みに対する再解釈によって発展してきたところが…
概ねよいと思います。これは、ブッダと呼ばれる覚者が、いわゆるシャカ=シッダルタに止まらないと理解されていったことに原因があります。概ね仏教の教えを語るのはシャカですが、その背景には無限に続く過去のなかで生命の救済をし続けてきたブッダがあり…
客観的にみると、それぞれの宗派が自分こそは正統なる仏教と唱える状態、林立・割拠の状態にあるということです。より宗教的内面に則して考えると、例えば授業中に例示した天台宗のように、『妙法蓮華経』こそが正統な仏教であるとする立場がある。これは教…
心性史はフランス・アナール学派の活動によって一般化しましたので、やはり分かりやすいものでいうと、アナールの翻訳書、あるいは概説書の類、すなわち西洋史のものになるでしょうね。二宮宏之氏や福井憲彦氏の入門書や、「心性の歴史家」の異名を取るフィ…
オセアニア地域は分かりませんが、東南アジアの情報は入っていたものと思われます。長崎にやって来る南蛮船、清国商船を通じて、海外の情報はさまざまにもたらされていました。授業でお話ししたヤオ族の伝承は、清国商船を介してもたらされたのかもしれない…
志筑の『鎖国論』は、ケンペル『日本誌』のオランダ語版"De Beschrijving van Japan"の付論第6章、「今日のように日本国を閉鎖してその国民が国内においても国外においても外国と通商を営むことを許さないことが同国にとって利益ありや否やについての研究」…
ロシアには、幾つかの事例がありますね。ロシア科学アカデミー・ピョートル大帝記念人類民族学博物館には、ロシア人による、千島・樺太・北海道アイヌの調査資料が多く所蔵されています。数年前、「ロシアが見たアイヌ文化」として、日本列島の各博物館で特…
『皇清職貢図』に描かれていたのは樺太アイヌであり、北海道のアイヌ集団とは、同質性とともに異質性も存在します。単純に『夷酋列像』のそれと比較することはできないでしょう。なお時間の変化の仕方は、どうでしょうか。一般に少数民族の世界は、王朝国家…
先にお話ししたとおり、『夷酋列像』に描かれたのは、松前藩が倒した相手ではなく、逆に協力者です。顕彰のために描いた肖像画なのです。その意味で、彼らの野蛮さを強調する意図は、蠣崎波響にはなかったと思われます。しかし問題は、中華王朝で始まった華…
松前藩によるアイヌの統括は、我々が連想するような隷属的な支配には至っていなかったようです。アイヌの集団は、決して一枚岩にまとまっていたわけではなく、北方地域との交流も含めて、その勢力や政治的・社会的な成熟度など、地域によって大きな相違があ…
人間に関わるものだけが史実ではありませんので、無限にあるといった方がいいでしょうね。歴史学者の問題関心によって史実が姿を現すと考えれば、無限に広がる過去の多様性のなかから、歴史学者の目によって、史実が構築されてゆくといえるでしょう。ちょっ…