日本史特講(11春)
民俗学の対象はそこかしこに転がっていますが、遠野には東北の伝統的な農村形態が残っており、そうした意味では面白いところです。ただし、上記のような位置づけがあまりに固定化されてしまったために、ディズニーランド化ともいうべき現象が起きており、妖…
本田済『易』(朝日選書、もしくは朝日文庫)が読みやすいでしょう。『易経』の内容や占いの仕方などが分かりやすく解説されています。
参考文献リストに挙げた落合淳思氏の『甲骨文字に歴史を読む』、平勢隆郎氏の『よみがえる文字と呪術の帝国―古代殷周王朝の素顔―』はお薦めです。後者はちょっと難しいですが、『史記』に載る殷代の歴史が後世に捏造されたものであることなど、殷の歴史が確…
『史記』にある亀卜の説明部分は、列伝の「亀策列伝」という箇所なのですが、現行の『史記』にあるこの篇目は、後に褚少孫が追加した部分です。もともと存在したものが失われ、褚が宮廷等々に保管された記録を収集し、太卜官に聞き取りするなどして補ったも…
北斗七星は、北極星と同様に天空で重視された星座で、天帝の具現した姿、あるいは住居などと考えられました。古くから北辰と呼ばれて信仰の対象となっており、柄杓の柄の部分の3星は、季節や時刻を指示する指針とされていました。ゆえに卜占においても重視…
3が基本数なんですね。講義でも扱いますが、殷代以降、中国の卜占文化においては3という数字が重視されます。天下の象徴である鼎の足が3本であることからも、3が宇宙を示す、あるいは天を支える基本的な数字であると考えられたのかも知れません。後の時…
あまりそうした形では出土していないようです。ただし、廃棄されたメドキは出土していないので(形態からいってすぐ腐食してしまうのでしょう)、折られることはあったかも知れません。日本列島でも、縄文土偶は破壊されて埋納されますし、弥生の青銅器にも…
殷代末期にかけて甲骨卜辞の内容が変質し、自然災害や戦争など臨時の大事について占うことが少なくなっていったことからすれば、その必要性に疑問を抱く王、貴族たちもいたものと思われます。ただし、祭政一致の政治・社会情況においては、そうした評価も相…
これは「改竄」の問題と関係がありますね。甲骨卜辞には圧倒的に「吉」の占いが多く、人間がコントロールできない自然事象についても王の占いが的中した例をみることができます。実際に占いが外れた場合でも無理矢理当たったようにこじつけたり、後日当たっ…
この電子辞書の解釈は『説文解字』によるものと思われますが、例えば白川静氏は、死霊が災禍をなさないよう胸に刻む×=文の意味としています。よって、亀卜の音と「凶」との関係は薄いようですね。ただし、甲骨卜辞には「音がしなかった」と解釈できる文字が…
卜占に限らず、神霊とのコミュニケーションにおいて音が重要な役割を果たすことは、世界中に共通する文化だと思います。例えば、儀式での祝祷を美しい声で述べなければならないとか、賛美歌を美しく歌い上げなければならないということも同じレベルです。も…
面白いですね。甲羅も結局は骨なので、後世にわたる耐久性については単純な比較はできないでしょうが、甲羅の整治が骨の整治より厄介だったのは確かでしょう。当時の亀卜の技術は卜府が独占していましたので、高度な技術の方が他国にまねされない、権威が高…
重要な質問です。そもそもは、占断を行った時点での結果を確認するために、それを記録して後に照合したのだろうと思われます。しかし、次第に照合の文章の験辞は刻まれなくなり、人為的操作の跡も色濃くなってゆきますので、だんだんと記録・保管の意味が変…
殷代も晩期になってきますと、王が「帝」を名乗り始めます。これは神と自身を同一化しようとしたのかも分かりませんが、後に殷が滅ぼされ、続く周王朝では「帝」を自称しなかったことからすると、当時一般の認識としては抵抗が大きい行為だったのでしょう。…
日本の卜甲は、対馬・壱岐、関東南部で出土しています。関東のものについては、三浦市間口洞窟遺跡、横須賀市銊切遺跡などの出土例がありますが、いずれも神奈川県立歴史博物館の常設展示でみることができるはずです。
青梅市の武蔵御岳神社ですね。毎年1月3日に行われる太占祭がそれです。ほかに、あきるの市の阿伎留神社、群馬県富岡市の貫前神社などでも鹿卜の風習があります。鹿卜自体は、弥生期の日本列島に広く分布し、鳥取県の青谷上寺地遺跡では、一箇所から200もの…
浦島太郎伝説については、「丹後国風土記」逸文の浦嶋子伝が原型で、大宝律令の編纂者でもあった伊余部馬飼が丹後守時代に筆録したものです。馬飼は『懐風藻』にも漢詩が採録されており、持統朝の撰善言司にも任命された当代一流の学者でした。奈良朝の文人…
必ずしも身近であったわけではありませんが、古墳時代に亀卜が開始され、以降律令体制下でもその役割を担ってゆくのは、壱岐・対馬・伊豆という海に面した国々です。その他、亀卜のために亀甲を供給する地域として、紀伊・阿波・土佐が定められていますが、…
殷代の中原勢力は、南方に対しては、せいぜい蜀の辺りまでしか力を及ぼしていませんでした。マレーシア産の大亀の具体的な調達方法は不明ですが、殷の影響下にあった南方の民族、あるいは王族などが調達して貢納したものでしょう。博物学的な興味は王権の世…
私も充分にデータを把握しているわけではないので漏れがあるかも知れませんが、上記の動物以外はほとんど発掘されていないだろうと思います。卜骨としては、草食動物の有蹄類という括りがあるようなので、せいぜい羊・山羊、猪・豕といった差異がある程度で…
これは難しいところですが、狩猟採集社会から牧畜社会へ向けての、大きな心性の転換があったのかも分かりません。狩猟社会の鹿、牧畜社会の羊・牛・豕というと、ともに生業の中心を占めるものという共通点があります。すなわち、自分たちの生命を繋いでくれ…
確かに、日本でも鹿は代表的な狩猟対象であり、家畜化はされていませんね。ただし、東大寺境内の鹿などはほとんど家畜といってもよいような状態なので、生態的特性により家畜化できなかったというわけではないと思います。やはり自然を象徴するような位置づ…
殷代の熱卜については、王の判断した内容が正しいように結果を改竄したり、望ましい結果が得られるまで何度も灼骨を行う、といった人為的操作が確認されています。しかし、だからといって「まがいもの」なのではなく、卜占自体が、数ある未来の選択肢のなか…
時代や地域により多少の文字の変遷、異体字等々はありますが、ある程度共通の文字形、使用の仕方を認めることができます。ただし解読のためには、甲骨はもちろん金石文の類も総覧し、場合によっては周代の事例への変遷も考慮して、一字一字の意味を取ってゆ…
火を使わないというだけで、冷卜の起源も供犠にあると考えてよいのではないかと思います。とにかく、動物遺体を何らかの祭祀に用いる→神霊の享受の様態を残った遺体の情況から確認する→骨卜、というのが一般的パターンとして設定しうるのではないでしょうか。
現在出土している考古遺物ではそこまで確認はできませんが、恐らく統一はそれていなかったでしょう。個々のシャーマンの「能力」に頼ることが多かったのではないでしょうか。ただし、地域や部族で一定の決まり事が伝承されていた可能性はあります。それが門…