2017-06-01から1ヶ月間の記事一覧

なぜ緑豊かな農村が形成されたのが昭和30年頃なのでしょう。何か背景があるのでしょうか。

高度経済成長に伴う第一次産業の衰退、都市への人口の集中と農村の過疎化などによって、これまで人間が恒常的に圧力を加えることで維持されてきた低植生の傾向に歯止めがかかります。肥料の刈敷を得るための柴草山、茅葺きなどの材料を得るための茅場などが…

レヴィ=ブリュールの原始心性(融即律)について面白いと感じましたが、具体例が思い浮かびません。教えていただけるとありがたいです。

例えば、調査に赴いた民族社会で、あるインフォーマントが、「われわれにとってトラはトラだが、トラはヒトでもある。トラが人間をかみ殺してその血を啜っているとしても、そのトラは果実酒を呑んでいるのだ」といわれたとします。われわれの認識においては…

サルは左手を中心に木登りをして、右手で道具を用いるようになった。右手は道具を用いるように発達し、木登りをしなくなった人間は右手を利き手として用いるようになったと聞いたことがあります。エルツは考えすぎではないでしょうか。

エルツが問題としたのは、まさにこの質問にあるような生得的要因と社会的・文化的要因の問題で、ふつう生得的と考えられるような事象には実は社会的、文化的要因が隠れているのではないか、ということです。すなわち、このようなサル学的、あるいは唯脳論的…

エルツについてですが、そもそもどうして聖=右という位置づけになったのでしょう。

集合的なものと考えられますので、なかなかひとつの起源に収斂させて考えるのは難しいかもしれません。中国を中心とする東アジアの漢文文化圏のように、左に右よりも高い価値を置く文化もあります。下の質問のように、右利きが多いことに生態的契機があった…

モースの贈与論は、市場経済以外では成り立たないのではないか。例えば家庭において、赤ん坊に「あなたを育てて上げるから返礼せよ」とは、誰も言わないだろう。とくに母親なんて、与えることばかりしているような気がする。

講義でも触れましたが、そもそも贈与は市場経済で機能していた風習ではなく、市場経済が贈与から展開した亜流です。質問に例示されている子供の養育も、現在、社会・文化に組み込まれた行為になっている以上、贈与交換で説明することができます。すなわち、…

モースは、贈与―受領―返済のシステムの原理を、どこにみていたのでしょう。現在の崩壊したシステムから遡及的に考案された、非原理的なものに思えてしまうのですが。

北米大陸の太平洋岸先住民諸族に行われていた習慣を、基礎的なデータとしたものです。また、現在でもこのような風習を維持している人々はいますし、講義でも触れたように、日本でも類似の習慣は行われています。現代資本主義が、上でも触れたように市場経済…

デュルケームが社会学を確立してゆくなかで、個人主義を批判して集合意識・集合表象の重要性を主張していったとのことですが、これは当時流行していたナショナリズムの影響があったのでしょうか。

確かに、デュルケームは社会の集合性の個人に対する抑圧にも注意していますが、同時に人間が道徳的存在でありうるのは何らかの社会に属しているためだとして、その集合性のあり方を肯定的に捉えています。そうした見方の延長上に、やはり国家や愛国心にも否…

19世紀後半から20世紀前半にかけて、さまざまな思想が生まれてきて、これまで人々が考えてきたことの否定がなされてゆく。大変面白いが、なぜこの時期にこうした現象が起きたのだろう。

これまでお話ししてきたマルクスの考え方や、あるいは、科学的な思考の枠組みが転換するというトマス・クーンのパラダイム・シフトといった概念が、参考になるかもしれません。近代は、産業革命によって土地の束縛から解放された労働者が増加し、彼らを駆使…

現在、純粋な資本主義国は存在しないとして、なぜ「社会主義は滅びた」といった喧伝がなされるのでしょうか。

それこそがイデオロギーの役割、つまり資本主義的体制の生産のあり方に人々を従属させるためです。一部政治勢力が「陰謀論的」に企てているわけではなく、資本主義のより大きな利益を獲得しようとする集合的な欲求が、「資本主義しかない」という幻想を人々…

社会保障の制度などのほかに、現在用いられている社会主義的発想はありますか?

これはもう根本的な話なのですが、現在の資本主義国家はほぼ、「混合経済」という仕組みで経済を動かしているのです。純粋に市場原理に基づいて経済を運営しようとすれば、社会的格差は拡大する一方になり、国家は国民に対し最低生活を保障することができな…

資本主義のオルタナティヴについて、社会主義をそのまま用いるわけにはゆかないとすれば、どうすればよいのでしょうか。先生はどう考えますか?

難しい問題です。現実的には資本主義を是正しながら新たな枠組みを志向するしかないでしょうが、まずは新自由主義の跳梁を抑えつつ、社会のセーフティネットを、それを支える市民の心性の部分も含めて再構築してゆかねばなりません。そのためには、職業や階…

これほど学問領域にマルクス主義が流行したのは、「非社会主義国では希有」とのことでしたが、けっきょくなぜ戦後日本は社会主義化しなかったのでしょうか。やはりアメリカの影響が大きいのでしょうか。 / なぜ日本では、それほどマルクス主義が流行したのでしょうか。

なぜ社会主義国化しなかったか、という問いには容易に答えることはできません。学問領域を中心にマルクス主義が流行したのは、ひとつには戦前・戦中の抑圧の反動があります。これまでさまざまなメディア、教育を通じて喧伝されてきた国家主義的言説への幻滅…

吉原は水にまつわる場所であるが、同じ京都や金沢の花街も河川の側にあったと思う。この配置には、何か意味があるのだろうか。

どうなのでしょうね。あまり軽々なことはいえないのですが、ひとつには花街が置かれるような場所は、まず交通の要衝であったということでしょう。いわゆる非公認花街の岡場所も、当然のことながら、人が往来し宿泊する宿場や街道沿いに出現します。新吉原も…

◎1について。蛇に転生した姥を神として祀る話が出てきますが、災禍をもたらすものをなぜ祭祀しようと思ったのでしょうか。

列島文化における神祇への信仰は非常にプリミティヴで、神は、常に災禍と福慶の双方をもたらす両義性を持っていました。神の求める祭祀を適切に行えば、神は我々を守護し豊かな実りを授けてくれる。しかし適切な祭祀が行われない場合には、天譴とも祟咎とも…

姥ヶ池の伝承では、どのパターンでも娘は殺されてしまいますが、例えばやはり神として信仰されるなど、殺された娘へのケアなどはないのでしょうか。

浅草の姥ヶ池の伝承ではみたことがないのですが、

「水の女」という云い方は、江戸だけでみられるものなのですか?

遊女はおしなべて差別される存在だろうとは思いますが、花魁のようにその知性から尊敬される遊女もいたと思います。私は、こうしたセックスワークの差別には、学の有無もあるような気がしますが、どう思いますか?

女性に対する差別は、例えば鎌倉時代では、女性が家督を相続することもあり、女性の権威は弱くなかった印象がある。『もののけ姫』で出てきたような。「女が元気な村はいい村だ」といった考え方は、女性差別と何か関係があるのだろうか。

女人禁制の寺院やパワースポットなどもありますが、それらも性差別だといえるのでしょうか。また、先生は宗教と性との繋がり、そのなかの差別についてどう思いますか。

女性の社会進出にいって子育てをする余裕がなくなり、少子化に繋がっていると聞いたことがありますが、この両立は難しいでしょうか。

「男は外で働き、女は家庭を守る」という考えは確かに近代化において作られたステレオタイプであるが、旧石器時代からの男女の体質などの条件から、向き不向きがあって生まれてしまったものなので納得できるところもある。

もし租税が米に設定されていなければ、地域それぞれの環境ごとに多様な食文化が根差していたはず、とのお話がありましたが、以前他の先生の講義で、「歴史を学ぶうえで過ぎたことに対し、あのときどうしてこうしなかったのか」と現代の人が思ってはいけない、と話されていました。しかし、現状として、かつてアイヌが直面したような情況が世界各地で繰り返されているとすると、現状はもちろん、過去の人々を批判する気持ちも生まれます。どういった目線で歴史的事実を捉えるべきなのか、分からなくなりました。

アイヌに限らず、多くの少数民族は支配されてきた側だが、支配されなかったら繁栄していたのか?といわれれば、そうでもないような気がした。大きい枠組みに支配されることで、文化の波から守られたのではないかと思う。

男尊女卑の根源となる考え方は、いつ、どこで生まれたのでしょうか。

博物館レポートは、参考文献必須ですか?

博物館レポートの場合は、参考文献を用いなくても構いません。

レポートの課題について、テーマを複数設定しても構いませんか。

構いません。しかしその場合、各テーマが有機的に関連するようにしてください。

レポートを書く際、自分はまだ研究者ではないので、結局他の人が書いた見解を集める以外にないと思います。自分の考えを書く部分は、それでよいのでしょうか?

うーん、そうした形を続けていると、いつまで経っても記憶型の勉強から思考型の研究への転換がはかれません。つまり、大学生になれないということです。また、幾つも見解を集めてくるといっても、あるテーマについてすべての見解を網羅することはできません…

マルクス主義が浸透してゆく一方で、前提であったヘーゲルの考え方が、歴史学に影響を与えることはなかったのでしょうか。

具体的には、弁証法です。これは、マルクスの唯物史観の論理的源泉をなしています。あらゆるもの(テーゼ:命題)は、自己と矛盾・対立する要素(アンチテーゼ:反対命題)を内包しており、しかしその対立・矛盾は相互に依存もしており、やがて新たな段階へ…

マルクスは経済構造を地域や制度ごとに区別しているが、これは区分に「押し込められる」歴史を多く生み出し、授業の最初のほうで扱われた「語られることのない歴史」などが蔑ろにされ、歴史の多様性を奪って画一化してしまう原因になるのではないだろうか。

そのとおりですね。マルクスは厖大なデータのなかから唯物史観の枠組みを創り上げてゆきますが、しかしその法則性についてはそれほど教条的ではなかったと思います。しかしエンゲルスが世界史の発展原則として整理し、レーニンがより政治的実践的なニュアン…

唯物史観にも、ランケの「神」のような絶対的基準はあるのでしょうか。

マルクスにおいてはそれほど教条的ではありませんが、やはりそれは法則性でしょうね。ランケの段階では曖昧な状態にあった神との関係は、マルクスにおいては科学的法則性の議論へ昇華されていると考えられます。