2017-06-01から1ヶ月間の記事一覧
高度経済成長に伴う第一次産業の衰退、都市への人口の集中と農村の過疎化などによって、これまで人間が恒常的に圧力を加えることで維持されてきた低植生の傾向に歯止めがかかります。肥料の刈敷を得るための柴草山、茅葺きなどの材料を得るための茅場などが…
例えば、調査に赴いた民族社会で、あるインフォーマントが、「われわれにとってトラはトラだが、トラはヒトでもある。トラが人間をかみ殺してその血を啜っているとしても、そのトラは果実酒を呑んでいるのだ」といわれたとします。われわれの認識においては…
エルツが問題としたのは、まさにこの質問にあるような生得的要因と社会的・文化的要因の問題で、ふつう生得的と考えられるような事象には実は社会的、文化的要因が隠れているのではないか、ということです。すなわち、このようなサル学的、あるいは唯脳論的…
集合的なものと考えられますので、なかなかひとつの起源に収斂させて考えるのは難しいかもしれません。中国を中心とする東アジアの漢文文化圏のように、左に右よりも高い価値を置く文化もあります。下の質問のように、右利きが多いことに生態的契機があった…
講義でも触れましたが、そもそも贈与は市場経済で機能していた風習ではなく、市場経済が贈与から展開した亜流です。質問に例示されている子供の養育も、現在、社会・文化に組み込まれた行為になっている以上、贈与交換で説明することができます。すなわち、…
北米大陸の太平洋岸先住民諸族に行われていた習慣を、基礎的なデータとしたものです。また、現在でもこのような風習を維持している人々はいますし、講義でも触れたように、日本でも類似の習慣は行われています。現代資本主義が、上でも触れたように市場経済…
確かに、デュルケームは社会の集合性の個人に対する抑圧にも注意していますが、同時に人間が道徳的存在でありうるのは何らかの社会に属しているためだとして、その集合性のあり方を肯定的に捉えています。そうした見方の延長上に、やはり国家や愛国心にも否…
これまでお話ししてきたマルクスの考え方や、あるいは、科学的な思考の枠組みが転換するというトマス・クーンのパラダイム・シフトといった概念が、参考になるかもしれません。近代は、産業革命によって土地の束縛から解放された労働者が増加し、彼らを駆使…
それこそがイデオロギーの役割、つまり資本主義的体制の生産のあり方に人々を従属させるためです。一部政治勢力が「陰謀論的」に企てているわけではなく、資本主義のより大きな利益を獲得しようとする集合的な欲求が、「資本主義しかない」という幻想を人々…
これはもう根本的な話なのですが、現在の資本主義国家はほぼ、「混合経済」という仕組みで経済を動かしているのです。純粋に市場原理に基づいて経済を運営しようとすれば、社会的格差は拡大する一方になり、国家は国民に対し最低生活を保障することができな…
難しい問題です。現実的には資本主義を是正しながら新たな枠組みを志向するしかないでしょうが、まずは新自由主義の跳梁を抑えつつ、社会のセーフティネットを、それを支える市民の心性の部分も含めて再構築してゆかねばなりません。そのためには、職業や階…
なぜ社会主義国化しなかったか、という問いには容易に答えることはできません。学問領域を中心にマルクス主義が流行したのは、ひとつには戦前・戦中の抑圧の反動があります。これまでさまざまなメディア、教育を通じて喧伝されてきた国家主義的言説への幻滅…
どうなのでしょうね。あまり軽々なことはいえないのですが、ひとつには花街が置かれるような場所は、まず交通の要衝であったということでしょう。いわゆる非公認花街の岡場所も、当然のことながら、人が往来し宿泊する宿場や街道沿いに出現します。新吉原も…
列島文化における神祇への信仰は非常にプリミティヴで、神は、常に災禍と福慶の双方をもたらす両義性を持っていました。神の求める祭祀を適切に行えば、神は我々を守護し豊かな実りを授けてくれる。しかし適切な祭祀が行われない場合には、天譴とも祟咎とも…
浅草の姥ヶ池の伝承ではみたことがないのですが、
博物館レポートの場合は、参考文献を用いなくても構いません。
構いません。しかしその場合、各テーマが有機的に関連するようにしてください。
うーん、そうした形を続けていると、いつまで経っても記憶型の勉強から思考型の研究への転換がはかれません。つまり、大学生になれないということです。また、幾つも見解を集めてくるといっても、あるテーマについてすべての見解を網羅することはできません…
具体的には、弁証法です。これは、マルクスの唯物史観の論理的源泉をなしています。あらゆるもの(テーゼ:命題)は、自己と矛盾・対立する要素(アンチテーゼ:反対命題)を内包しており、しかしその対立・矛盾は相互に依存もしており、やがて新たな段階へ…
そのとおりですね。マルクスは厖大なデータのなかから唯物史観の枠組みを創り上げてゆきますが、しかしその法則性についてはそれほど教条的ではなかったと思います。しかしエンゲルスが世界史の発展原則として整理し、レーニンがより政治的実践的なニュアン…
マルクスにおいてはそれほど教条的ではありませんが、やはりそれは法則性でしょうね。ランケの段階では曖昧な状態にあった神との関係は、マルクスにおいては科学的法則性の議論へ昇華されていると考えられます。