2010-01-01から1年間の記事一覧
当時、正史は国家が管理していましたので、後代に正統性をもって受け継がれてゆく史料は、圧倒的に国家の関連のものが多かったわけです。そこに「行基が大仏造営に協力した」と書かれていれば、その真実性は極めて強く受け継がれてゆきます。すなわち、民衆…
とくに、四天王であるということと、死者の世界の入り口であるということに、繋がりを見出しているわけではないのだろうと思います。それぞれのお堂に安置されている如来を守護する存在として、四天王の幡を立てて飾っているに過ぎないと思われます。しかし…
重要な指摘です。原始仏教などはむしろ、宗教は生きている者のためにあると割り切ってしまっており、死後の世界について考えることなどは奨励しません。東の端まで伝わってきたその仏教が、極めて死と密接に関わる様相を呈しているのは、東アジア世界の宗教…
必ずしもカルト的とはいえません。なぜなら、あのような神懸かりが、太古から列島に受け継がれてきた祭祀の中核的部分だからです。近現代の世の中になって、村人のなかにはその意味、価値を信じていない人もいるかも知れませんが、それが命脈を保っていると…
ぼく自身ちゃんと調査したわけではないので憶説で述べますが、「口封じ」の自戒であることが考えられます。つまり、言葉を発してしまうと紙が落ちてしまうので、紙を咥えることにより口を封じておくということ。それではなぜ口を開けてはいけないのかですが…
夢枕獏の小説は、史実や説話を題材にしていますが、それ自体は徹頭徹尾フィクションであると考えていいでしょう。岡野玲子の漫画も上記小説を原作としていますので同じですが、後半から段々と原作を離れ、スピリチュアルな方向へ向かってゆきます。一般の読…
畿内周辺における行基の人気は大変なものであったようなので、国家としては彼を登用し仏教界の頂点に据えることにより、仏教国家建設の諸事業に対し民衆や新興豪族の協力を得ようとしたのでしょう。事実、大仏造営事業等に対して多くの地方豪族が私財を投入…
行基集団を考える際、都市における大規模な乞食行を主要な活動として弾圧を受けたものを第一次集団、畿内各地で社会福祉事業を展開したものを第二次集団と捉える立場があります。両者は活動の内容はもちろん、集団の構造や組織性においても大きく異なってい…
当時の和泉や河内周辺では、複数の僧侶が民間で活動していたことが確認されており、なかには行基集団と競合する勢力もあったようです。しかし特筆すべきは行基の師ともいわれる道昭で、彼は唐へ留学して日本列島へ初めて一切経をもたらしたうえ、交通施設の…
当時の平城京周辺の交通路上では、都市造営の現場から逃亡した役民や、貢調運脚夫として上京しながら行路で疲弊した者など、多くの窮乏者がみえました。布施屋は、基本的にはそうした人々への治療や施食を目的とし、都市での大規模な乞食行はその財源確保の…
「額田王」は、額田氏に養育された王女なのでこのように呼ばれたのでしょう。血縁的繋がりはありませんが、額田王を受け入れていた一族が、道慈の出身氏族であったという可能性はあります。
僧綱は治部省玄蕃寮に所属し、僧尼名籍と寺院資財の管理、戒律による僧尼の教導や教学の振興、得度・授戒の手続関与などを行います。僧尼の統括が職務ですので、それ自身に政治的発現の権利は含まれていません。
『日本書紀』編纂論の一般への水準を示す森博達『日本書紀の謎を解く』(中公新書)によると、例えば「憂」や「愁」といった漢字はヤマト言葉ではともに「うれふ」と読み、同じような意味・用法で用いてしまいますが、漢文では異なる意味・用法を持っていま…
律令制では、基本的に、功績のある家々の伝記が式部省に集められ、編集・保管されることになっていました(職員令式部省条)。また、時折朝廷から臨時に命令が出され、家々の歴史が提出される場合もあったようです。それらが編纂官によってまとめられ、国史…
国史の編纂は、通常は律令制官司の図書寮などが担っていたほか、臨時に撰国史所などの専当官司が設置され統括する場合もありました。それらは四等官制を基本に官僚を従えていますので、いわゆるトップの名の知られた人々だけが記述をしていたわけではないだ…
聖典の編纂のあり方はキリスト教の場合とも似ていますが、まず釈迦が語った言葉はその時点では記述されず、弟子集団のなかで伝聞の形で受け継がれていました。しかし、十大弟子の1人とされる摩訶迦葉の呼びかけによって第一次の編集会議=第一結集が行われ…
宗教というのは都合よくできていますので、樹木の殺害を罪業と捉えつつも、寺院建設を許容する仕組みはきちんと出来ています。これについては中国から、山神が進んで樹木を造寺のために提供したり、樹木が自から建設の場に集合したりする説話が残っています…
なぜ天台なのか…ということは、まだはっきり説明できていません。個人的には、比叡山周辺での樹木伐採に原因するのではないかと考えています。平安京を維持するための伐木は、周辺の山々にかなりの負担をかけていました。桂川や賀茂川は頻繁に洪水を引き起こ…
そうですね。華厳宗や天台宗では、主体である自分自身と客体である環境世界は相即不二の関係にあると考えるため、一方が悟りを開いて成仏すればもう一方も仏になる、一方の仏教の理法が作用しているなら、もう一方にも同じように仏が遍満しているということ…
現在の1ヶ月は29.53059日ですが、太初暦は29.53086日、その前に使用していた四分暦では29.53085日でした。四分暦の方がやや現在値に近いので太初暦の方が誤差は大きくなりますが、もちろん運用に支障をきたすほど不正確であったというわけではありません(…
とくに太公望に仮託された『六韜』、その系統の『三略』に関しては、太公望や張良自身が神仙に擬されることの多いこともあって、次第にマジカル・アイテムのような位置づけになってゆきます。すなわち、もはや内容を読まなくとも持っているだけで特殊な力が…
日本の兵書受容は『孫子』が中心、というのが一般的理解ですが、実はどうもそうではないようです。古代から江戸期までの兵書写本・刊本を調査すると、圧倒的に多いのは太公望に仮託された『六韜』、その系統に属する『三略』で、『孫子』が重視されてくるの…
陰陽・五行説は世界を説明する科学の基本中の基本でしたので、あらゆるものが五行によって説明できると考えられていました。もちろん、すでに戦国時代末期から批判もありましたが、一般には長く価値を保っていました。恐らく兵陰陽の論理で勝利すればよし、…
もちろんそうです。黄巾の乱については「蒼天已に死す、黄天まさに立つべし」というスローガンが有名ですが、一般には、火徳(前漢末の劉向により提唱)の後漢王朝に代わり土徳の太平道が天命を受けるという発想と考えられています。しかし、蒼天を後漢のこ…
陰陽五行説については、専門的な難しい本、そしていい加減なアヤシイ本がたくさんあるかと思いますが、日本の陰陽道の成立も学べて便利なのが下の2冊です。著者は2人とも陰陽道の専門家なので、内容にも信頼が置けます。陰陽道 呪術と鬼神の世界 (講談社選…