2014-07-01から1ヶ月間の記事一覧

大王の出御している儀式の場で暗殺などを行って、本当に大丈夫だったのでしょうか。

恐らく、儀式の場はクーデターのために用意されたもので、実際には三韓の外交使節などは出席していなかったと考えられます。しかし注意したいのは、『書紀』の記述が極めて物語的であること、宮廷で大王の国土平定の神話などを演じていたと思われる俳優など…

乙巳の変に関して、朝廷内でクーデターについて知っていたのはどれくらいの人たちだったのでしょう。また、失敗した時にどうするか、大王から認可が得られなかったときにどうするかなど、考えられていたのでしょうか。 / クーデターが起きることは、噂などになってはいなかったのでしょうか。

実際のところはどうであったのか分かりませんが、舒明や皇極の側近ともいうべき阿倍氏、財政を統括し宮廷の警衛にもネットワークを持っていた石川麻呂を仲間にした時点で、少なくとも宮廷内においては、入鹿を包囲する布陣が出来上がっていたものと思われま…

境部臣摩理勢など、なぜ政争に敗れたくらいで自殺しなければならなかったのでしょうか。

摩理勢の件は、実はかなり複雑です。蝦夷のリーダーシップに反旗を掲げた彼は、蘇我氏の族人たちが馬子の墓所に集まっているとき、「爰に摩理勢臣、墓所の廬を壊ち、蘇 我の田家に退りて仕へず」との行動に出ます。これは恐らく、古墳時代の首長霊継承祭祀よ…

蘇我本宗家が友好関係を結んでいたのは、朝鮮三国のうちいずれでしょうか。

やはりヤマト王権の外交姿勢として、百済との結びつきが強かったものと思います。馬子の時代には、一時期新羅への征討も計画していますので、これまで干戈を交えてきた、高句麗や新羅との関係は良好ではなかったでしょう。しかし、それらの国々から出身した…

厩戸王は、なぜ大王になれなかったのでしょうか。

このあたりは解釈が分かれます。現象的には、用明・崇峻の事後処理のために大王位に就いた推古が、例外的に長生きをしてしまったからでしょう。当時はまだ、大王が存命中のまま他者に位を譲るということがありませんでした。また、厩戸王が当時の王族として…

『日本書紀』はともかく、平安時代の人々が聖徳太子を潤色した目的は、そもそも何だったのでしょうか。

平安時代に聖徳太子の伝記や種々の言説が創られてゆく背景には、まずは法隆寺、四天王寺など、太子による創建伝承を持っている寺院が、自らの権威を高め教線を拡大するために『書紀』などの記述を援用、さらに肥大化させてゆくという点があります。また仏教…

新羅の海中王陵は実在するのでしょうか。

一応は実在します。下記の記事などを参考にしてみてください。近年、テレビの特番などが組まれ、多少の発掘も行われたようです。 http://www.pusannavi.com/miru/1089/

畜蠱の場合と同じように、六朝期、もとは漢人文化でなかったものが漢人の側に採り入れられた例はありますか。また、民族間の文化接触を扱っている先行研究には、どのようなものがありますか。 / 蠱毒について、実際に残る虫は1匹だけなのでしょうか。

蠱毒の実際については、詳細はよく分かりません。しかし、最後の1匹になるまで殺し合いをさせる、失敗してみんな死んでしまった場合は最初からやり直す、ということでしょうね。非漢人文化が漢人世界に採り入れられた例としては、例えば川本芳昭さんが、「…

貿易などによる交流があまり密接ではない地域には、物語の伝播はありうるのだろうか。

まったく交流が存在しないところであれば、流通・伝播による物語の共通性は表れないでしょう。ただしその場合も、ユング的なアーキタイプ、あるいは同一環境による類似思考の表現として、酷似した神話・伝承を見出すことはできそうです。

長者池の話で、嫁が振り返ると子供とともに石になるが、背負っていた赤ん坊が振り返ったらどうなるのだろう。告知を受けたのは嫁だから、子供は関係ないのだろうか。

振り返った嫁が子供と一緒に石化するのは、嬰児と母親を一体的なものとみるアジア的思考によるものでしょう。母親がタブーを破った罰として嬰児が殺される、という事例もありますが、これも母親に苦痛を味わわせるためと考えれば、やはり同じ一体性のなかで…

物語に登場する生物たちのイメージは、どのように決まってゆくのでしょうか。 / 木道令伝説で、虫が出てくることに違和感がありました。朝鮮や中国では、よく登場するのでしょうか。

物語に登場する動物がどのような役割を果たすか、あるいはどのようなイメージを持つかは、概ねそれぞれの地域の文化的特性に応じて決まってきます。例えば、野生と文化の境界にあって、常に人間の世界へ侵入してくるキツネは、人間を騙すずる賢い動物として…

木道令伝説は、仙女と樹木との婚姻のパターンになっている。このような植物との婚姻は、植物が実を付けることから創り出されるのだろうか。中国にはないのか。

樹木婚姻譚、人間が樹木から生まれる話は、中国にも見出すことができます。しかし漢民族においては、自然を支配し超克しようとする発想のなかで、早い時代に衰退していってしまうようです。神聖視される樹木は、その果実が有用な果樹などに限らず、むしろ枝…

伏羲・女禍の婚姻神話について勉強しているのですが、石臼のモチーフと同じように、白い煙が二つ重なるというものがありました。臼や針なら分かるのですが、煙もやはり性交を表すのでしょうか。

煙の象徴性は、多くの場合、人と天とを繋ぐ点に重要性があります。しかし、「気」の視覚化されたものとしてより多様な意味も持ちえたので、兄妹婚姻型神話においては、二人の気が合致するという、即物的な性交渉の象徴として以上に、より抽象的な心身の合一…

朝鮮半島の兄妹婚姻型洪水神話に出てくる石臼のモチーフについて。海の水が塩辛いのは、塩を挽き続ける石臼が海に沈んだからだという昔話を聞いたことがあります。臼には、「絶えない」といった意味が含まれているのでしょうか。 / 石臼などのモチーフは、朝鮮半島に特徴的なのでしょうか。

臼自体には永久性を象徴する要素はないと思いますが、問題はそれが「石」製であることです。石や金属は、古来、人間を超越する時間に存在するものとみられてきました。ゆえに墓を石で築いて碑を造り、神像や仏像も石を使って制作したのです。海のなかの臼も…

白色のシンボリズムについて。憑き物につかれる家をクロ、憑かれない家をシロと呼ぶと聞きました。容疑者もシロ/クロなどと呼びますが、これは犯罪が憑き物のようにみられているからでしょうか。

面白い連想ですが、一般化できるかどうかは難しいでしょう。クロは「黒不浄」という言葉があるように、死や穢れを象徴する色彩です。罪は古来穢れと結びつけられてきましたので、穢れがある/ないとの基準から、クロ/シロの隠語が生じたと考えられます。た…

近親婚を禁止するのは、部族どうしで女性を交換するためだとのお話が印象的でした。これは、同じ民族のなかで、違う血統のグループと行っていたのですか。それとも異なる部族どうしの話でしょうか。 / 天皇家が近親婚を繰り返すのは、朝鮮などの事例と関係するのでしょうか。

狩猟採集社会は遊動生活が行われていましたが、15人程度の小集団で生活するのが、食料経済的にも最も効率的であったと考えられています。しかし、そうした規模の集団内で婚姻を繰り返しますと縮小再生産にしかならず、いずれ集団は滅びてしまう。そこで女性…

河南での伏羲・女禍の信仰が変質したというのは、都邑水没譚が外部から入ってきて、創世神から水神に変わってしまったということですか。

そうですね。様相はかなり複雑だろうと思います。江南地域に、世界の始まりを洪水状態と考える神話が存在したことは、戦国時代の木簡から分かっていますが、そこには伏羲・女禍は存在しません。一方、中原地域の伏羲・女禍による創世神話は、もともと洪水を…

飛鳥時代の参考文献を先に掲げておきます。

フレーザー、ジェームズ 1976(1919)『旧約聖書のフォークロア』太陽社 2006(1936)『金枝篇―呪術と宗教の研究―』第3部 国書刊行会青木和夫 1977 「藤原鎌足」同『日本古代の政治と人物』吉川弘文館 1992(1962)「日本書紀考証三題」同『日本律令国家論…

この時代の外交はみな「いっぱいいっぱい」の印象を受けますが、天皇が主権を握っていた時代、いちばんそつなく外交をこなしていたのは誰でしょうか。

まず、日本の古代国家では天皇専制の時期がほとんどないので、その都度の天皇が国家意思を代表して外交の舵取りをしている、という事例をほとんどみません。しかし、乙巳の変後の、孝徳・天智・天武は、それなりに外交に口を挟んだのではないかと思われます…

『梁職貢図』は、江戸時代に異国人を扱った瓦版などが作られたように、民間が作ったものですか。それとも、外国人の見分け方、権力を誇示するなどの目的で作られた公文書でしょうか。

講義で話題にした『梁職貢図』は、梁武帝(蕭衍)の第7子蕭繹(後の元帝)が、北朝からの防衛の要である西府の荊州刺史を務めていた時代に作成されたといわれています。蕭繹は学芸に秀でていて多くの蔵書を持ち、梁に来朝する使節の姿も、首都建康での調査…

秦氏についてですが、渡月橋の側の松尾大社に行ったとき、ここも秦氏と関係があると聞きました。中心としていた土地にも近いですが、どのような関わりがあるのでしょうか。

松尾大社は、葛野を本拠とする秦氏本宗家の氏神です。奉祀している神格は、大山咋神と市来嶋姫命の夫婦神。前者は日吉大社の祭神でもある山背地域の山の神で、後者は宗像大社の三女神の一柱です。ともに、秦氏として編成される渡来人が、玄界灘から瀬戸内航…

茨田連衫子ですが、「誓約をなし」とは、具体的にどのようなことをしているのですか。

資料にあるとおりです。これはウケヒといわれる言語呪術ですが、あることを実践し、その結果がAならばA’、BならばB’と誓約します。一種の供犠であって、自分を祭儀の供物として差し出すことで、自分も縛りつつ相手も縛るのです。ここでは瓢箪が重要なア…

人身供犠はいつ頃から始まったのでしょうか。 / 治水以外でも人身供犠の行われることはあったのでしょうか。

人身供犠が日本列島で本当にあったのかどうかは、古くから議論の絶えない問題です。最近では考古学の松井章氏が、高知県の居徳遺跡から出土した9体の人骨に執拗な人為的殺傷の痕跡が認められることから、縄文時代から戦争があった、もしくは人身供犠のよう…

跪伏礼などは、日本古来の礼なのでしょうか。それとも中国から伝来したものですか。

跪伏礼や匍匐礼は、実は中国にも事例があります。例えば、床面に叩頭する跪伏礼は、中国では皇帝に対する最敬礼でした。『魏書』東夷伝倭人条にも、邪馬台国の人々が跪伏礼を行っていたことがみられます。授業でも扱ったように、同書は邪馬台国について好意…

建物の配置まで中国を真似しようとした、ということの意味が分かりません。建物の配置に進歩している/していないは関係ないのではないかと思うのですが。

建物の配置には、建物が持つ以上の意味が含まれているのです。まず授業でもお話ししたように、正確な南北方位が採られているかどうか、という問題があります。中国では、天帝の住む紫微宮が北天に輝くため、地上の天子はこれを背負って南面するとの発想があ…

蘇我馬子を大王だったと捉える見解について、どう思いますか。

大山誠一さんなどもそうした意見ですが、可能性は否定できません。それはつまり、倭王権のなかで、大王位を継承しうるグループが実力をもって競合する状態が、乙巳の変に至るまで連続していたということを意味します。ただし、それを主張するためには、『書…

なぜ聖徳太子を創り出す必要があったのだろうか。 

これについては、さまざまな考え方がありうるでしょう。授業で扱ったのは、クーデターにより蘇我氏首班政権から政治の実権・仏法興隆権を奪った改新政府を、正当化するためであったという考え方です。そのために蘇我氏を専横の氏族として貶め、推古朝に政治…

聖徳太子を多分に潤色された人物とする説には根拠があるが、なぜこれまでは無批判に信じられていたのだろうか。

授業でも述べましたが、太子の存在が、日本という国家の国際的危機において、時代を超えて常に語り出される〈誇り〉の論拠であったためでしょう。日本に住む人々のアイデンティティーが動揺する際、大国隋と対等に渡り合ったという神話が、ナショナリズムの…

聖徳太子が、10人の話を一度に聞いて解答する、という逸話はどこから採られたのでしょうか。

聖徳太子に関する『書紀』の記述には誇張が多いというが、どこまでが事実でどこからが誇張、といった基準はあるのだろうか。 / 「皇太子」の記述などが虚偽であることは当時の人々でも分かったはずだが、なぜこのような分かりやすい改竄を行ったのでしょうか。

すべての事例に適応できる基準というのはありません。個々の史料に即して、当時の政治情況を考古、中国史・朝鮮史、前後の関係から具体的に復原していったときに、何か矛盾はないか。