全学共通日本史(09秋)
日本の天皇制は女帝の存在も許容していますので、ほとんど例はありませんが内親王も皇太子になりうるのです。ただし、阿倍内親王立太子の際には、宮廷にも同様の違和感が芽生えたのでしょう(橘奈良麻呂の乱も、藤原仲麻呂の専制以前に、そもそも阿倍立太子…
最近の聖徳太子論争の激化、それを取り上げるメディアのありようをみていると、やはり太子の持つ意味・機能は前近代と変わらないのだなと感じます。ちょうど、日本をとりまく国際情勢は不安定になってきていますし…。
聖徳太子が著したという「未来記」が、中世の表舞台に時折登場してきます。「未来記」は予言書で、とうぜん太子が書いたわけではありませんが、彼が『書紀』のなかで「未然のことを知る」と叙述されていたことに仮託して作成されたのです。例えば、安貞元年…
王権の側が盛んに宣伝したのは確かですが、最も大きな役割を果たしたのは僧侶でしょう。8世紀の早い段階から、官寺に所属する僧が求めに応じて地方豪族のもとに赴き、法会などを執り行っていることは諸史料に確認されます。国家に公認されていない私度僧の…
詳しいことは分かりませんが、恐らくは祭祀や儀礼の次第を反映しているのでしょう。神話は祭儀の折に舞踏や演劇の形で再現されます。その細かな手順が語りのなかに残っていることは考えられます。また、物語の展開として、最も主要な課題を克服するために(…
共同体のなかに生きている神話は、誰かが個人的・意図的に創造したものではなく、長い時間のなかで、その成員たちの持つ世界観・生業意識などを核に形成されていったものです。そこには、世界をどのように把握すべきかという知識や、自然のなかで生き抜いて…
現在でも、100パーセント人間至上主義なのかというと、そうでもない部分もありますが、古代的情況と比べて画期になったのは世界史でいえば大航海時代、そして産業革命でしょう。日本史でいえば、中世後期の大開発が大きな影響を及ぼしたと思います。しかしこ…
これは充分にありうることです。なぜなら、「応仁の乱」自体が過去の事実ではなく、事実に基づいて構成された歴史的概念に過ぎないからです。将来その概念が再検討され、「今まで重視されてこなかったこの事件をもって乱の始まりと考えるべきだ」とか、「乱…
こんなことを書くと怒られるかも知れませんが、正直にいいますと、ぼくは邪馬台国がどこにあろうと強い関心はないのです。その発掘に懸命になっている研究者の方には敬意を表しますが、派閥抗争のようにその所在地を奪い合い、それをメディアが必要以上に煽…
どうしてでしょうね。いま制作中の史学科ホームページの教員紹介の部分に、幼い頃の飼い犬の思い出を書きましたが、どうもぼくにとって動物の印象は、その死にまつわるほろ苦いものが強いようです。今でも一番強烈に記憶に残っているのは、小学生の頃に雛か…
現在でも残っているかどうかは、ちょっと調査しがたいですね。『古事記』を編纂した太安万侶の多氏や、秦氏、忌部氏なんぞはある程度確認ができますが…(未だに宮廷に奉仕していたりしますからね)。ただ、よく誤解されるのですが、蘇我氏は乙巳の変で滅亡し…
これはどうでしょう。馬子や入鹿についてはあらためて検討が必要ですが、別に動物の名前が付いているからといって貶められたことにはなりません。よく夷狄と同じ名前が付いているといわれる蝦夷も、エミシという名称自体、もともとは強力で勇気のある人とい…
確かに「鎌子」は鎌足の別名ではあるのですが、実在の人物とすれば、やはり同一人とは考えられないでしょう。しかし興味深いのは、この欽明朝の鎌子という人物が、中臣氏の系図として一定度の信憑性がある『中臣氏系図』所引「延喜本系帳」には記載されてい…
日常的な生活技術では対処できない事態に見舞われたとき、前近代の人々が、その改善を呪術や宗教に頼ることはよくあることでした。現在でも病治癒の神社・寺院が多くの参拝客を集めたり、そうでなくても毎年各地の「聖地」へ何万という初詣客が訪れることか…
正倉院文書には、当代きっての名僧たちが、当時重要視された経典を注釈した書物などが残っています。そこから奈良時代の教学の傾向、水準などを窺うことができるのですが、驚くべきことに、大部分が中国の書物の丸写しになっているのです。奈良時代や平安時…
確かにそうした見解はあります。最近の石井公成さんの研究でも(本年11月に日本道教学会で報告されたばかり)、典拠のひとつに『大品般若経』とその注釈『大智度論』にある「是菩薩用天耳淨過於人耳。聞十方諸佛説法、如所聞不失」との一文を挙げ、聖徳太子…
確かにそうでしょうね。いかに「中華と同じ水準を目指し」、多くの漢籍をちりばめて作成したといっても、その粗雑さ、浅薄さは否定できません。それをあえて主張してしまうところが、8世紀の日本古代国家の限界だったのでしょう。
「八」を聖数と位置付けるのは、何も日本文化だけの特徴ではありません。民俗学者のネリー・ナウマンは、宇宙・世界の数的表象は方角を表す「四」から始まり、それを細分化する方向へ展開すると述べています。仏教でも「八」を聖数化する傾向があり、覚りを…
『史記』世家/孔子世家の記載によれば、前497年、孔子が魯の大司寇に任命されたことを畏れた隣国斉が、魯の為政者を堕落させるために80人の美女からなる女楽を送り込んだ。三桓家らはそれに幻惑され、郊祀という重要な祭祀さえ忘失するようになったため、孔…
日本列島に暮らしていた人々が、なぜ中国王朝によって「倭人」と把握されたのか、自分たちがそう名乗ったのか、あるいは別の理由でレッテルが貼られたのか、そもそも「倭」とはどの範囲・領域を対象とした呼称なのか、詳しいことはよく分かっていません。他…
なかなか難しい問題です。中国では、王朝交替の度に前代の政治のありようが検証され、それが天の意志に沿っていたかどうかを問う史書が編纂されました。歴代の史官たちは、もちろん王朝に奉仕する官僚ではあったわけですが、それ以前に天命に従おうとする意…
概ね、天文に対応する言葉として出てくるのは「地理」ですね。烏冊については不明な部分が多いですが、鳥文については、鳥の足跡をみて文字を思いついたという蒼頡の伝承に由来するのでしょう。中国には、「鳥書体」「鳥篆」という鳥の姿を模した書体もあり…
有名なのは、例えば『西遊記』に登場する孫悟空です。彼は修行して神仙の知・技を会得し、天界で不老長寿の桃を食べ、冥界で不死を手に入れるなどして、天帝に匹敵する地位という「斉天大聖」を自称します。しかし、その暴虐武人ぶりが仙人や神仏を怒らせ、…
河南省偃師市の二里頭遺跡に由来するいわゆる二里頭文化 (B.C.2100年頃〜B.C.1800年頃)は、殷王朝に先行する最古期の宮殿址や墓を擁し、夏王朝の遺構ではないかと推測されています。同文化の時期区分のうち、どこまでを夏に当てどこからを殷(商)に当てる…
その基準は、一概に「これこれ」とはいえない多様で複雑なものです。現代人の私たちにとって最も身近な犬、猫でも、神聖化されることは多々ありました。古代エジプトで猫が崇敬されていたことはよく知られていますが、近世以降の日本では、鼠を捕る性質が「…
例えば蛇などが代表的でしょう。奈良時代以降、主に仏教の影響によって瞋恚(怒り)の権化、執念深い動物といった印象が強められ、それが女性蔑視の視角と結びついて、蛇=女性という認識が広まります。有名な「道成寺縁起」に登場する龍蛇=清姫など、仏教…
これは難しい問題ですね。動物のところで、もう一度詳しく考察することにしましょう。
まず大きな枠組みとして、高句麗・百済・新羅の伽藍配置、そして隋や唐における有名諸寺院の伽藍配置があり、それらの国々とヤマト王権もしくは日本との関係、個々の寺院の創建者や中興者と各国の仏教文化、個別寺院との繋がりなどから決まってゆく面があり…
舎利に似せた宝石のほか、「法舎利」といって、仏説の経典を納めるのが一般的でした。『金光明最勝王経』の思想に基づく国分寺も、金泥紫紙の『最勝王経』を塔内に安置することになっていました。