日本史特講:日本仏教史(16春)
日本史概説や全学共通日本史でも毎年話をしていますが、古代は開発による自然破壊が大規模に信仰し、自然神を王権が圧伏する「神殺し」が喧伝された時代です。宮都建設が繰り返された淀川水系上流域では山林資源が枯渇し、川に流れこんだ土砂によって、8世…
中世が草木を擬人化する発想に乏しい、ということはありません。むしろ、古代の方が樹木を樹木として扱い、中世以降の方が擬人化する傾向が高まります。樹木の精と人間との婚姻を語る樹霊婚姻譚は、樹霊が女性の場合は「三十三間堂棟木の由来」、男性の場合…
歴史上、人名や地名などに複数の表記が存在することはよくあり、香春の場合もそのひとつです。『叡山大師伝』では「賀春」ですが、ほぼ同時期の『続日本後紀』承和4年(837)12月庚子条には、「豊前国田河郡香春岑神」と出てきます。どちらが古い、どちらが…
香春岳は福岡県といっても大分県に近い地域、秋吉台や平尾台は山口県ですから、それほど近いわけではありません。しかし、博多に到る途中の交通の要衝である遠賀川沿いの山塊ですので、古くから霊地と認識されていた場所のようです。祭神は神祇信仰的文脈で…
蛇の性別については、中国では主に男性、日本でも古い時代ほど男性表象として現れてきます。蛇の身体は、そのまま男根の象徴なのです。例えば『古事記』のヤマタノヲロチでも、蛇身の三輪神=オホモノヌシも、『風土記』や『日本霊異記』の蛇神も、ほぼ男性…
仏教では、修行によって神になるという発想はありません。それは神仙思想、もしくは道教のものです。仏教にとってあらゆる神は邪な存在であり、しかし護法、奉仏に転じることによって、その地位は大きく転換することになります。
以前にもお話ししましたが、仏教は、在来の宗教を取り込むときに、民間で崇められる祠廟の神を「餓鬼道」に配分します。神仙は「天人道」にも配されますが、これは仏教に帰依し護法の神となったものがほとんどです。なぜ餓鬼道なのかというと、祠廟の神へは…
沙悟浄は、やはり『西遊記』の前段階に属する三蔵西天取経説話において、流沙河の主として登場し玄奘を守護する深沙大将がモデルです。同神は玄奘の翻訳した『大般若経』に登場する十六善神の筆頭で、法相宗の寺院などでも安置、奉祀されているところがあり…
これは本当に重要な問題ですが、例えば、少数民族のトーテムのうちで最も広汎に分布しているのは、虎トーテムなのです。これは、東南山地を中心に棲息してたアモイトラ(華南虎)のためで、ほぼ、民族集団の分布範囲、生活領域と一致しています。しかしこの…
それはそうですね。十二獣が仮にインド由来だとすれば、それが漢訳されるとき、中国の十二支が参考にされたのだと思います。最も大きな相違は師子/虎ですが、中国では獅子は想像上の動物、麒麟や龍に近いものでした。それでも、虎と対応する位置に置かれて…
これは重要な視点ですね。例えば、近世に山中を移動しつつ、樹木を伐って器などを作成していた木地師集団は、その生業を歴代の権力者が保障したお墨付きを持ち、平地の人々との通婚を厳しく規制していました。これとよく似た文書を持ち、やはり移動と焼畑に…
こういうことは、関係論的に捉えなければなりません。すなわち、平地の道徳、倫理、価値観が確立していったことと関係があるのです。日本列島の場合は、やはり、稲作文化の一般化に対応します。例えば、かつて標高300メートルを超える山々には、縄文時代の人…
12は、仏教だけではなく、種々の宗教で整数として用いられるスタンダードのひとつですね。例えば、キリスト教でも「十二使徒」などがあります。これは、12が月や方位など、世界を分割する、あるいは表現する基本的な数字であるからです。ネリー・ナウマンら…
ひとつにはそのとおりです。山は恐ろしい獣のほか精霊なども跋扈する世界と捉えられていたので、そこに生きる人々は常人ではない、あるいは魑魅魍魎の仲間であると考えられていたわけです。しかしそうした神秘化は、ある意味では差別なのです。これは、ヨー…
いわゆるアニミズム信仰においては、信仰の対象は森羅万象に宿る生命=精霊ですが、これは人間と同じ姿をしていると考えられることが多かったのです。熊や虎、狼などの獣も、その毛皮を脱げば、人間と同じ姿をしている。逆に人間が毛皮を着れば、熊や虎、狼…
個々の文脈によるでしょうが、洞窟が修行の場になっていたのは、中国へ仏教がもたらされた後漢から六朝にかけて、西域などでも流行した現象でした。そのため壁画には、現実世界のしがらみを逃れるための九相図、浄土をイメージするための変相図など、さまざ…
授業でもみましたが、周辺の山林に比して奇巌が露出している特異な印象の場所であり、それゆえに聖地化されたのでしょう。上に答えた、磐座の論理と同じです。「飛来する」という現象については、やはり天空が未知の流域であることと関連するのでしょうね。…
山自体が移動する、ということですね。とにかく、『法華経』の説かれた場、いうなれば法華信仰のオリジンたる聖地が霊鷲山なのであって、それが中国、日本に現れたということは、同地が法華宣揚の場としてインドに劣らない神聖性を獲得したことを明らかにし…
ちょっと誤解があったかもしれませんが、巨岩信仰、磐座信仰は仏教以前から列島に存在しました。後に宗像大社を備える沖ノ島、大神神社を持つ三輪山など、古墳時代から歴史時代の神社に直結する祭祀遺跡には、いずれも巨岩の屹立する景観をみることができま…
天竺からは多くの仏僧が中国にやって来ており、玄奘以前にも、4世紀の法顕など、天竺へ渡った中国僧はいます。よって極楽浄土を求めたというより、中国に欠けている仏典を持ち帰り、最新の仏教の考えを学ぶためであったとみてよいでしょう。
日光の三猿は、人の一生のあり方を諭す猿の一代記の一場面で、とくに辟邪の意味合いを持つ意匠ではありません。不見・不聞・不言の訓戒は中国に古くからあるもので、これが日本に伝わり、猿を神使とする山王神道、日吉社を鎮守とする比叡山で、否定のサルと…