日本史特講:日本仏教史(16春)
民話「十二支由来」のなかで、玉帝や釈迦の召命を受けた動物たちのうち、もともと仲のよかった犬と猿は共に出発するものの、競争するなかで仲違いをしてしまうというくだりがあります。犬猿の仲という言葉はこの物語に由来していますが、せいぜい近世に一般…
授業でも言及しましたが、石田英一郎『河童駒引考』が、馬と猿の関係を追究した代表的なものです。『西遊記』の完成形でも、孫悟空が三蔵の乗る馬を引いてゆく形式が出来上がります。馬や牛は、ユーラシアの各地で水神としての性格を持っているもので、とく…
一般的な猿は、必ずしもそうではありません。以前にも質疑応答で言及した『成実論』のなかには、「落ち着きのない、軽薄な人間が猿に生まれ変わる」といった記述が出てきます。あくまで、江南などの地域で神聖視されていたものが仏教に取り込まれ、そこで出…
前近代あるいは民族社会の人々は、動物に対し、現代人のように「愚かなもの」と考えると同時に、人間にはない特別な能力を持つ存在として尊重してもいました。以前にもお話ししたように、動物を食べるという行為のなかには、動物の持つ特別な能力を身体に取…
やはり、時代と地域の特徴によって、梵僧に付き従う動物のありようは変わってくるのだと思われます。必ずしも、仏教の全流行において、犬から猿へ、あるいは猿から犬へという変化があるわけではありません。林慮山の霊隠寺と江南の霊隠寺は、どちらが成立時…
一般に、仏教を離れたところでも、白色は清浄を表現するものとして神聖視された色です。黒と対立的に用いられることは多くの文化にみられ、仏教伝来の動物として白/黒のものがみられるのも、例えば日本のあ・うんのように、始まりと終わりを表すものであっ…
一般的には、狛犬は獅子が変化したものだと考えられています。聖域を守るために配された獅子像が半島を経由して伝来し、威力ある半島の犬として高麗犬=狛犬と捉えられるようになったというものです。しかし、授業でも紹介した『集神州三宝感通録』の霊隠寺…
いわゆる六道輪廻の六つの世界のなかで、動物が属する畜生道は、地獄道・餓鬼道と並んでもっともランクの低い「三悪道」のひとつです。よって、畜生道からなかなか一足飛びに成仏することはできません。しかし、善行を積んだり、仏教への帰依を深くしたりし…
鈴鐸の話も『梁高僧伝』に出ていますので、記述者の慧皎はそのあたりを矛盾しないよう配慮したと思います。すなわち、最後の仏図澄の自説の原文は、「酒は齒を踰えず」です。すなわち、口に含んでも歯の奥に入れなかったという書き方なので(可能かどうかは…
この話も『梁高僧伝』に出てくるのですが、「斎日」に、と書いてあります。すなわち、自らの身体を清浄にすべく、体の外面だけではなく内臓さえも洗ったのだ、という意味でしょうね。
児嶋先生の論文を読んでください(笑)。それはそれとして、例えば仏教的要素、キリスト教的要素の双方を吸収していった伝承に、東アジアに広汎に伝わる都邑水没譚があります。一昨年の特講で詳しく扱ったのですが、中国の後漢時代に初見する、善人が都市の…
稲作を行っていないので、漢文化の制度で掌握できないところがあるのです。近世の明や清に至る記録のなかには、朝貢に訪れた異民族の有力者に特権を付与し、中華王朝に従属する範囲でなら現在の情況を保証するという命令が出されていたことが、確かに確認さ…
います。中国西南少数民族でも、虎、熊、鹿、羊、猿、魚、鳥、樹木など多種多様です。モンゴルは狼ですね。日本列島、とくにヤマト王権を開いてゆく畿内地域の人びとは、樹木トーテムであった可能性があります。
異類婚姻譚という意味では同じですが、内容は異なります。このレベルで似ているとしてしまうと、同じ神話・伝承が無数に出てきてしまいます。しかし、オシラサマの原型となった、ほぼ同じともいうべき馬娘婚姻譚も、『捜神記』に収録されています。同書が日…
「僕鑑」の髪型、「独力」の衣は、いかなる意味か不詳とされています。しかし、帝がその娘の様子をみて嘆いていますので、粗末な恰好であったことは文脈上確かです。一方、字義的に解釈すれば、「僕鑑」とは下僕の証、「独力」とは独りで編んだ着物、あるい…
日本史概説ではいつもお話ししているのですが、例えば列島弥生期では、鳥は稲作農耕とともにシンボル化されてゆきます。農耕の開始に伴い、太陽光や雨をもたらす天が焦点化され、それを象徴するものとして、天空から降り立つ鳥に注目が集まるのです。東アジ…
確かに、証拠はありません。あの『南詔図伝』だけですね。民俗事例との関連性でいえば、木製の方が理解しやすい。しかし、三星堆の青銅神樹にしろ、列島弥生の青銅器にしろ、王権や国家の胚胎段階では、シンボルに永遠性を認めて金属器を用いる例も多く、そ…
上でも少し触れていますが、樹木は再生の象徴として崇められてきました。日本列島文化との関係でいえば、『竹取物語』の、かぐや姫が竹から生まれてくるといった要素は、その典型的なものです。竹は樹木のなかでも最も生長するスピードが速く、再生力の強い…
仏教や東アジアの神話と、一神教であるキリスト教の『旧約聖書』に近似した世界樹の記述があるのが不思議だな、と思いました。「木」というのは、やはりどのような地域であれ、生命の宿るものとされるのでしょうか。
『旧約聖書』創世記は、西アジアのさまざまな神話的要素を受け継ぎ、再構成することによって成り立っています。智恵の実をイヴに食べさせる蛇の話も、ギルガメッシュ神話における、不死の力を横取りする蛇に共通します。生命の木・智恵の木のイメージは、シ…
中央の千尋塔は、70メートルほどですね。磚すなわちレンガ造りで、なかは中空貫通しています。
あれは菩薩というより、天部だろうと思います。左足には、憤怒相のものを踏みつけていますね。いわゆる仏教に帰依していない神々は、餓鬼道に取り込まれたり、語法神として天部の扱いを受けたりする。降三世などは、仏教に従わないものを威圧し回心させる役…
中原では、密教は雑密から純密へ、経典を典拠として展開してゆきます。雑密とは、仏陀の説く大乗経典のなかに陀羅尼などの呪文が書かれ、それを読誦することで特定の尊格に働きかけ、呪術的効果を導き出すもの。これがやがて、ヒンズー教に対抗する形で種々…
授業でもお話ししましたが、大理の仏教密宗は、東アジア仏教のなかでも特殊なものです。観音信仰は、アジアでは『法華経』、そしてその一部をなす観世音菩薩普門品など、所依経典の漢訳を通じて変遷してゆき、その効験に応じて説話も作成され、日本では『妙…
もちろん、批判はあったでしょう。ただし、在来宗教の場合は文字記録として残らないので、伝わっていないのだと思います。しかし、例えば『南詔図伝』に描かれた梵僧への迫害が、在来宗教を信仰していた人々の、仏教に対する批判を表現している可能性もあり…
いわゆる冥界訪問譚の関係でなら、一度死んだ高僧が七日経って生き返る、蘇生するといった伝承は多く残っています。しかし、『南詔図伝』の梵僧のように、殺害されバラバラにされたものが蘇生する、といった展開はあまり聞きません。日本では、神異僧のイメ…
やはりありますね。臨終の際の芳香・紫雲表現は新しいものなので、『梁高僧伝』『唐高僧伝』にはあまりみえず、『宋高僧伝』になって多少出てきます。例えば、同書巻7義解篇/周魏府観音院智佺伝には、「其年十一月十一日に至りて、奄に終る。木塔の挙高三…
「4のなかにまた4がある」というのは抽象的、暗号的な表現ですが、この「予言」のなかでは、同泰寺の火災が4月の、さらに14日に起きたことを指し示しています。
ありました。曇鸞が『仙経』を受け取った陶弘景は、江南にて茅山仏教を大成してゆきますが、その教えのなかには、仏教の輪廻転生の考え方、そのプロセスを通じて自身の身体を清浄化してゆき、神仙へ至ることなどが組み込まれています。また彼は、仏からの夢…
宝誌が菩薩の真形を現すイメージは、もともとは、人間としての姿に菩薩の姿が重なるといった印象であったようです。それが北宋の頃を画期に、面皮を引きはがす様子に変わってゆく。そのオリジナルとしては、アニミズム社会で動物の皮が、人間と獣を区別する…
授業でもお話ししましたが、民族社会では、人間のエネルギーが宿る場所として頭を重視します。それゆえに頭を刈り、場合によっては摂取する首狩りの習俗が存在するわけです。西南少数民族の間では、頭部を豪華に飾り立てる風習がよくみられます。一方で僧侶…