2015-05-01から1ヶ月間の記事一覧
確かに薄らいではいるのですが、社会的な調査によると、自然環境や自然現象に神聖性を感じるかどうかという点では、いわゆる「先進国」と呼ばれる国々のなかで、日本は突出として高く、アニミズム的雰囲気が残っている社会・文化と捉えられています。日本で…
アニミズム的な精神世界においては、多く、個々の動物は本体の精霊がまるで衣服を着るように毛皮を身に着けた存在である、と考えられていることが分かっています。そして注意すべきことに、その本体は人間とまったく同じ姿をしているのです。ゆえに、人間が…
注意しなければいけないのは、あくまで銅鐸の話ですので、限られた流通圏にしか通用しないということです。また、例えば近畿系銅鐸の製作地は近畿中央部に限定されてきますので、その形式はほぼその周辺で決定されていることになります。銅鐸を共同体のシン…
瀬戸内海においてさえ遭難してしまうような時代ですから、もちろん常に危険は付いて回ります。しかし、例えば壱岐→対馬→朝鮮半島のルートであれば、一定程度の交流ができるような情況にはありました。古代における「漢委奴国王」の金印や近世の出島の影響か…
これは、藤原仲麻呂の唐風化政策によるもので、『旧唐書』本紀/玄宗/天宝3載条に、「正月丙申、年を改めて歳と為す」とある政策に拠ったと考えられています。
庶民といっても、氏族制下で特殊技術を持つ者、その職務を果たすべき者として教育されていますので、問題はなかったと思います。しかし女医などは、果たして官戸・官婢からあらためて教育するものですので、果たしてどれだけ効果が上がったか疑問があります…
確かに腐敗の心配はありますが、薬園と同様宮廷の至近に設置されていたのでしょう。宮廷や寺院でも、乳牛を飼育していた記録は残っています(宮中にあった典薬寮別所乳牛院など)。当時の貴族の食生活で乳製品の占める位置は小さくなく、食用・薬用として珍…
実は、詳しいことはよく分からないのですが、輸入のものは薬種として入ってくるより、調合された薬剤として入ってくる方が多かったようです(環境の相違から栽培できないものも多かったと考えられます)。唐、新羅、渤海との通交のなかで、多くの香薬がもた…
国医師は諸国の医療や医生の教育のほか、典薬寮へ輸進する雑薬の確保、造薬のほか、調使や検田使、班田使として地方行政の代理的業務も担ったようです。問題の医療に関しては、まず官人身分の治療が第一でしょうが、国守の「百姓を守養す」との職務に相応し…
生殖器関係に関連するのは任脈、もしくは督脈です。ちょっとここに書くのは問題があるかもしれませんので、あとは自分で調査を。
三国魏の伝説的名医華陀は、『三国志』や『後漢書』の伝において、「麻沸散」による全身麻酔を考案し、腹部開腔手術を行ったと記されています。またこれより先、『漢書』王莽伝では、王莽が王孫慶という人物を捕え、医学のために解体し経脈を確認したとの記…
記録上はよく分かりません。しかし、自分の生命においても、天皇の生命の問題からしても、御薬の調合と供進は緊張を強いる作業であったようです。平安時代になると、調合された薬が寺院で加持を受けたり、あるいは医師の家においても、調合に際して陰陽道に…
授業でも説明しましたが、中国の後宮に出仕する宮人たちは概ね罪人で、生涯後宮に束縛されて生きることを余儀なくされていました。それゆえに、やはり宮人である女医も最下層の身分から採られていたのです。有力貴族・豪族の子女が奉仕した日本の後宮と比べ…
女医博士は、日本で新たに置かれた官職です。記録をみると、これは女性ではなかったようですね。また、女医の活動については史料がほとんど残っておらず、明らかではありません。例えば平安時代の后妃たちの出産では、女房が奉仕しており女医の姿はみえませ…
恐らく、博士(教授)と学生をペアで書くためでしょう。陰陽寮でも、陰陽師のあとに、陰陽博士・陰陽生、暦博士・暦生、天文博士・天文生、漏刻博士・漏刻生、の順になっています。
『医心方』をみますと、『百済新集方』『新羅法師方』の書名がみえます。前者は肺病系のものと腫れもの系のもの、後者は仏呪房術に腹部のしこりに関する記述となっています。これらがどう将来されたのかは分かりませんが、中国の医書に引用されていたという…
やはり、いちばん怖がっているのは、自分と同じ立場の学生でしょうね。あるいは、自分が所属している社会といってもいい。そのなかで孤立すること、疎外されること、自分の居場所が確保できないことが、最も怖ろしい。それは現代の若者たちにとって、社会的…
そういってしまっても、必ずしも間違いではないと思います。『日本書紀』くらいの段階になると、鹿と猪は神の使いとして物語的に表現されるようになります。これは『もののけ姫』と非常によく似ていて(宮崎駿が勉強したんですね)、鹿は概ね人間と親和的に…
稲木への稲掛けですね。弥生時代の土器絵画は、季節をしっかりと描いていることが多いので、この場合もその点に注意する必要があります。まず、鹿が水田に現れるのは主に苗を食べるためなので、季節として春です。水田に魚が描かれていますが、淡水魚のフナ…
狩猟採集時代の動物の主神話も、非常に両義的なものです。人間が狩猟対象とする獣のほか、大きな力を持った存在を主として捉えて信仰しますので、そのなかには人間に危害を加えうるものも存在します。イノシシやクマなどは典型的でしょう。そうした存在と契…
性象徴を用いた呪術は、農耕社会以降も長く認めることができます。縄文時代ほどの盛行はありませんが、やはり男女の性交渉が新しい生命を生み出すとの知識が、農耕の豊穣予祝へ結びついてゆくのです。これから授業でみせてゆく鹿や鳥の象徴は、いずれも稲作…
後期の離合集散は、多くの集落の解体を生じます。例えば近畿では、中期まで代表的な大規模集落であった池上曽根遺跡なども廃絶してしまいます。しかし、楼閣の描かれた土器絵画の出土で有名になったヤマトの唐古・鍵遺跡など、やはり生き残ってゆくものもあ…
残念ながら、中国式の宮殿建築、寺院建築などが伝わる以前の列島の建物は、あまり派手な祭式の痕跡は認められません。縄文時代にも、一部に呪術的な文様を用いることはあったと思いますが、全体を彩色することはなかったであろうと思います(しかし、縄文時…
次回触れることになると思いますが、有力首長が発生しその権限が増してゆくひとつの過程として、複数の集団の利害調節がある個人に委託される段階、やがてそれが世襲されてゆく段階、という流れが考えられています。方形周溝墓は有力な家族の墓で、中央に戸…
クニというヤマト言葉には、「国」「邦」など複数の字が当てられますが、実はそのことによって特定の意味が付与されてしまいます。弥生時代の当時には、クニという言葉があったのか分かりませんが、もしあったとしても文字は普及していませんから、オーラル…