2010-05-01から1ヶ月間の記事一覧
基本的に既墾地は没収されませんが、ある意味で没収を強行する仕組みは存在しました。未開発地の開墾を行うには、まず国司に申請して許可を得、位階に応じた限度に基づき土地の占定を行います。しかし、それから3年経っても開墾が行われない場合には、国司…
やはり厳密には異なります。まず太政大臣は大宝令・養老令に規定のある令制官司ですが、知太政官事は律令に規定のない令外官です。慶雲3年(706)には、右大臣に準じて季禄を支給すると定められているので、待遇的には太政大臣より下となります。また令制前…
これは前提的な話なのですが、草壁皇統の維持と発展という政治目標は、草壁の母親である持統天皇と藤原不比等との政治的協力のなかで実現されてきたものなのです。不比等の前半生には分からないことが多いのですが、31歳の折に従五位下判事という法曹関係の…
関係ある、といえばありますね。蘇我氏のうち、本宗家は乙巳の変で滅び、石川麻呂も結局は謀叛を疑われて滅ぼされてしまいます。石川麻呂の「石川」は地名で、蘇我氏の根拠地のひとつ、河内国石川郡(現大阪府富田林市の東半と南河内郡一帯)に由来します。…
大化前代、氏族制のなかで阿倍氏という氏族が台頭してくる過程の話ですね。まだ位階が成立する以前の段階です。供御は常に王の側近に奉仕し、その身体の安全を保証する役割を持っていますので、隠然たる権力の温床となります。もちろん、実際に食物の料理や…
「心配はなかったのか」といわれますと、可能性としては否定できないものがあったでしょう。武力を用いた反逆自体は、自分たちにとってもリスクが大きいのであまり計画されないでしょうが、藤原氏の対立勢力になる危険は常にあったと考えられます。藤原氏の…
藤原不比等も石川(蘇我)娼子を娶り、武智麻呂・房前の2人を得ていますので、長屋王の石川夫人との婚姻も不比等の意向によるものでしょう。桑田王は、身分的に皇位継承には関連してきませんので、恐らく藤原氏側の判断では排除の対象者に入っていなかった…
せいぜい舎人や家司の人々、その氏族的繋がりだけだったのではないかと思います。皇族の場合、後援となる氏族勢力が姻族や養育氏族に限定されますので、彼らの協力が得られなければ、政治的・軍事的に孤立することを余儀なくされます。長屋王は、藤原氏・阿…
藤原氏の政治勢力に匹敵しえたのは、議政官クラスでは、やはり大伴氏や阿倍氏でしょう。ともに軍事関係に明るく、擬制的な同族関係を結んだり、職務を通じて傘下に入った氏族は非常に多かったと考えられます。彼らは、朝廷という支配者集団と自氏族を安定的…
アジアにおける神は、森羅万象に宿る精霊のうち比較的高次にある程度の存在にすぎません。儒教や道教、仏教などの影響を受けて抽象化・人格化は進んでいますが、基本的な位置づけは変わりません。むしろ、「神と人との関係」という総括的な見方をせずに、個…
娘と妻の名前を出したのはそれほど大きな意味はなかったと思いますが(あえて解釈を付けるなら、武塔神との契約の範疇に「妻」も入れてもらおうとした、ということでしょうか)、息子ではなく娘であったことには幾つか理由が考えられます。ひとつは母系制を…
あります。アニミズムと関連の深い「原始」的宗教形態にマナイズムがありますが、モノが活動するのはマナというエネルギーが宿っているためだと考えるもので、そこでは例えば矢が飛ぶという現象もマナの働きによって説明されます。ところで日本では、樹木に…
民族社会におけるシャーマンは、基本的には「書かれたもの」としての記録を残しません。講義でも述べましたが、成巫譚も、研究者の聞き取り作業によって初めて成立したジャンルなのです。よって、シャーマンの一代記も残っていません。しかし、彼らが王や英…
現代的な意味では男女平等といいがたいですが、女性の力が認められていたことは確かです。女帝は中継ぎなどとよくいわれますが、仁藤敦史氏などは、母系継承には法的根拠あると指摘しています。『養老令』 継嗣令/皇兄弟条に「凡そ皇の兄弟、皇子をば、皆親…
確かに、「長屋親王」の方を重視して長屋王の地位の相対的上昇を語りながら、「吉備王子」を表記の揺れで片付けるのは安易かも知れません。しかし、ヤマト言葉をいかなる漢字表記で表すのかという点については、奈良時代前半にかなりの振れ幅があることは確…
残っている史料から判断すると、長屋王は策謀をめぐらせて藤原氏の勢力を削減しようとは考えていなかったようです。彼の派閥は確かに存在しましたが、皇親の長老たる舎人親王や新田部親王は、彼の罪を糾問する側に回りました。彼に娘を嫁がせている阿倍氏、…
確かに、表面的にはそうみえます。しかしここでは、一度発せられれば撤回はありえない(綸言汗の如し)とされる天子の命令が覆され、取り消されたことが問題なのです。また、制度を超越する存在として律令にも規定されなかった天皇(天皇の権威・権力につい…
記録にはきちんと残っていませんが、恐らく少なくなかったと思われます。「基王」にも、何らかの障害があったのかも分かりません。『古事記』や『日本書紀』の神代巻で、列島を産み落とすイザナキ・イザナミが最初に生んだ水蛭子(ヒルコ)は、不具であった…
ハラエやキヨメの儀礼と水とは密接に結びついています。講義でもお話ししましたが、例えば大祓の祝詞は、根こそぎ切り払われた罪や穢れが、風の神・川の神らによって海の神のもとまで運ばれ、最終的に根国に送られるプロセスを述べています。平城京などでも…
補足資料のレジュメを作成しましたので、次回また簡単に説明します。
アイヌや、アムール川周辺の狩猟採集民に、「シャチ」を海の主とする伝承が残っています。確かに魚+虎という字は、陸上における虎の対応物を連想させますが、「鯱」字は国字なんですよね。ただし、列島に虎はいないものの、大陸におけるその猛威は知識とし…
キツネが水田に集まる小動物を狙ってやって来る、ということはありうるかも知れませんが、あるとすれば多くは畑の場合でしょう。山中・山麓の畑に集う兎や狸は、狐の格好の標的になったはずで、その意味では狼と同じように農耕の守護神とされたことも頷けま…
確かにそうかも知れませんが、現在のイメージで歴史的遺物を解釈するのは危険なことでもあります。銅鐸絵画を総覧してみると、○頭の人物は、武装したり漁労や狩猟に勤しみ、△頭の人物は脱穀や米搗などを行っています。民族社会においても、前者が男性、後者…
まず列島の場合には、古代から現代に至るまで農耕と狩猟が密接に結びついていたことが挙げられます。農耕による収穫を順当に得るためには、それを食べに来る「害獣」を排除しなければなりません。それゆえに、狩猟と農耕とがセットに行われるようになり、春…
供犠とは、そもそも自然からの恩恵を受けることについて、自らの最も大切なものをもって祈願あるいは返礼する行為であったようです。ですから、最初の稲の収穫は初穂として神に捧げられました。狩猟もそれと同じで、最初の獲物、あるいは最良の獲物が、神に…
阿弥陀の西方浄土の思想は広く普及したものですので、小説『西遊記』の段階では、ユートピアとしての天竺に西方浄土が重ね合わされていたことは間違いないでしょう。ただし、実在の玄奘においては、すでに様々に現実的な西方情報が将来されていた時期ですの…
もちろん、死と再生のシンボルである蛙は、エロティシズムの象徴でもあります。兎と同じことです。長野県藤内遺跡、神奈川県大日原遺跡などから、背中に女性性器らしきものを背負った蛙紋様の縄文土器が発見されています。蛇が男性象徴であるのに対して、蛙…
前方後円墳を壺型墳と名づけうるとすれば、神仙思想によって意味づけされているわけですので、子宮の知識も中国から入ってきたものということになります。中国医学は道教と密接に絡み合いながら発展してきましたので、生殖に関する知識も豊富に持っていまし…