2015-01-01から1年間の記事一覧

巨木がもともと生えないような場所・環境の人々にとって、自分が「植えたもの」に対する信仰はあるのでしょうか。

講義でお話ししたように、柱を樹木の代用にする文化は各地にありますが、それも樹木の生えていることが前提ですからね。しかし、現在のペットなども、人間が完全にコントロールすることができないように、ドメスティケートされた動物や植物も、完全に文化の…

人祖誕生神話などにおいて樹木や水のモチーフが多く登場し、物語の重要な位置を占めていますが、これは授業で選択的に採り上げられているからでしょうか、それとも神話全体においてそうなのですか。

もちろん、樹木や水ばかりが重要なのではありませんが、世界の神話一般のなかで、割合普遍的に語られることの多いモチーフと思います。それはやはり、水にしても樹木にしても、人間が生命を繋いでゆくうえで欠かせない存在だからでしょうね。多い地域ではそ…

地域によって信仰される樹木の種類は、何によって決められているのでしょうか。 / 人々の間に、樹木や太陽を信仰する必要がどうあったのか気になります。

この講義の初めのほうで触れた狩猟採集民の話、今回は縄文のクリの話、あるいは竹の話でも触れたように、自らの生活や生業と密接に関わる動植物が、信仰の対象となる場合が多いようです。つまり、それが世界に存在しなくては自分たちが生きられない、いうな…

なぜユグドラシルにはトネリコが選択されたのだろう(常緑樹の方がよかったのでは?)。それぞれの地域で神聖な樹木として選択されるものには、どのような理由があるのだろうか。

セイヨウトネリコは、確かに落葉樹ですね。スカンジナビア半島周辺には広く自生していた樹木ですので、北欧の人々にとって馴染みの深いものであったことは確かでしょう。また、アジアにおける竹のように回復力が強く、10年程度のスパンで伐採できたので、多…

琴は神迎えに使用されていたとのことだったが、だとすれば、サンタル族におけるフィドルも同じような意味を持っていたのだろうか。

可能性はありますね。フィドルがどの程度の時期にサンタル族へ入ってきたものかは分かりませんが、それほど古くまで遡ることはできないでしょう。フィドル以前は、別の伝統的弦楽器が語られていたものと思われます。

木地師とサンカは同じものですか、異なるものですか。

サンカについては、三角寛によってフィクショナルに創作されてしまった面が強く、実態はよく分かっていません。日本列島の非定住民・漂泊民については、かつて一部の民俗学者が構想したように列島の原住民であるわけでも、古代・中世から連綿と存在した「ま…

「斑竹姑娘」は『竹取』の再話にみえますが、前者は樹木婚姻譚となっており、後者と対照的です。これは、アレンジする際にたまたまそうなったのでしょうか、それとも起源が異なるのでしょうか。

授業でもお話ししましたが、日本の『竹取』も、樹霊婚姻譚的想像力を背景に成立したといってよいものだと思います。『竹取』では、「斑竹」における息子の役割が、翁と天皇とに分割されている印象です。翁は姫をみつけて育てる役割、天皇は恋人的な役割を担…

たいていの地域で近親相姦はタブーですが、神話ではなぜ多く語られるのでしょうか。

人類学的理解において、近親相姦のタブーは、女性の交換を実現するためのものとみられています。小集団で移動生活を行っていた時代の人類にとって、同一集団内での交配を繰り返すことは、劣性遺伝のみならず、単純に数量的縮小を招く怖れのある行為でした。…

そもそも神話とは何なのだろう。神話とは誰かが作り、それが広まったものなのか、それとも人々の生活のなかで伝えられてきたものをまとめたのだろうか。

世界そのもの、あるいは世界を構成する諸要素の起源と、現在に至る過程を物語ることで、個人なり、何らかの共同体なりの生活を規制するのが、そもそもの神話のあり方です。一般的には「古代に語られたもの」を指す場合が多いのですが、現在では、中世には中…

これまでは農業=自然=神だと安直に考えており、それらに回帰することが持続可能性なのだと思ってきたが、今までの講義を受けてきて、そうではないかもしれないと考えるようになった。だとすると持続可能性とは何なのか、よく分からなくなってしまった。先生のお考えをお聞きしたいです。

持続可能性自体の意味を問うことが、まず重要です。一般的にいわれる持続可能性とは、人間が現在の文明の水準を維持するために、自然環境をいかに破綻なく使用してゆくか、その「持続」を指示しています。すなわち、人間の利益に立った利己的なものでしかな…

ハイヌヴェレ神話には、3という数が象徴的に使われている気がしましたが、これはヴェマーレ族が3を神聖視していたからなのでしょうか。

3は、数学的には次元を確定する要素とされ、中国では紀元前の殷王朝の時代から、卜占で使われる聖数となっています。後に天・地・人を象徴するものと意味付けられ、それこそ天下を表す鼎が3b本足であるなど、多くの表現がみられます。しかしハイヌヴェレ神…

サンタル民話では7人の兄弟が出て来ますが、これは7という数に何らかの宗教的な意味があるのでしょうか。

仏教では8という数字が、悟りを象徴するものと考えられ、例えばブッダ入滅後の救世主である弥勒菩薩が出現するのは、「56億7千万年後」、すなわち5→6→7→8=出現といったあり方で語られます。もともとは、方向を意味した聖数の基本である4が、さらに細…

サンタル民話に出てくる「やめて、やめて!」のフレーズは、結婚をするときの問答のようだと思いました。サンタルの人々は、実際にこういうやり取りをしてから結婚しているのではありませんか。

そうかもしれません。中国西南の少数民族では、結婚相手を選ぶ際の歌垣、結婚式などでも、男女の掛け合いの歌が、性的表現や笑いを交えて行われますね。そのあたりのサンタルの民族を充分調べられていないのですが、可能性はあると思います。

勘合貿易には、割符の偽造などはなかったのでしょうか。

最終的にはそれに近い事態になってゆきますね。当初、勘合は室町将軍家が独占管理していますが、やがて大内氏や細川氏など交易に力のある武家へ売却するようになり、やがて大内氏への勘合の一括下げ渡し、細川氏による偽造などの事態に至ります。やがて室町…

最近の日中の歴史認識をめぐる対立は、いったいいつ頃までの歴史背景が具体的に取り扱われているのでしょうか。

それはやはり近代、満州の植民地化以降でしょうね。しかし尖閣などの領土問題に関しては、前近代にまで遡って「証拠探し」がおこなわれていますね。

義満が、国外の相手に「源」姓を名乗っているのはなぜですか。

足利や新田、北條といったウヂナは、種々に分かれた家系が必要とした、いわば通称にすぎません。正式な氏姓とは天皇から与えられたものですので、足利の場合は源氏姓になるわけです。これは対外的に、ということではなく、朝廷の儀式など正式な礼が必要な場…

明は「天皇」の存在を知っていたと思うのですが、「日本国王」は日本においてどのような位置づけになると考えていたのでしょうか。

中国王朝にとっては、天皇の存在など大きな意味を持ちません。自らの冊封した国王こそが、東アジア世界における国王なのであり、それは天皇などが存在する以前から機能していた論理です。もちろん、君主以外とは通交を結ばない海禁政策を採っていましたので…

明から「日本国王」に冊封されることが、この時代、どれだけ政治的経済的に義満に力を与えることになったのだろう。 / 私の変な愛国心が働いているのかもしれませんが、中国との国交が国家を統一するにあたって重要になることに、不満というか疑問を感じました。

上にも書きましたが、まず国際関係的、また朝鮮半島や琉球、東南アジアなどと関わりのある九州、中国・四国地方の国々と優勢な関係を築いてゆくうえでは、環東シナ海地域の覇者である明と結ぶのは大きな意味がありました。交易の利が巨大なことは平安以降の…

日明貿易における諸経費はすべて明が負担したとのことですが、成立したばかりの明がそのような負担をしていまで日本と貿易をすることになったのは、日本が何らかの圧力をかけたからなのでしょうか?

そういうわけではありません。朝貢貿易とはそういうものなのです。中国王朝は、理念上、世界を統一し支配下に収めてゆくベクトルを持ちます。世界に皇帝の徳治を行き渡らせ、蛮族に文化をもたらすのが、天から与えられた使命なのです。朝貢とは、理念上、そ…

懐良親王について、明側の冊封使が「日本国王良懐」と字をひっくり返しているのはどうしてでしょうか。良が姓、懐が諱のように考えられていたのでしょうか?

そういうわけではないと思います。中国王朝への入貢の際、使者が自分の名前を中国風に変えたりすることはよくみられますが、「良懐」の場合は彼らの側の申請に基づくものではなく、明側が冊封した国王に嘉号として与えた名前ではないか、とも思われます。す…

懐良親王が、日本国王に一時的にでもなった理由が分からなかった。懐良が南朝の人間であるなら、後醍醐を国王にするはずであることに加え、今川了俊の侵攻との関係も分からなかった。了俊から侵攻を受けたなら、なおさら国王の地位を差し出すべきではないのか? / 懐良が明からの冊封を決意したのは、天皇より上位の後ろ盾が欲しかったからとのことだが、明などという新興国による国王公認などが、どれほどの力になったのか疑問である。

明に臣属して日本国王として冊封されることの利点は、やはりひとつは交易の可能性です。懐良は九州を独立した王朝と位置づけようとしていた節があり、明へ僧侶らを使者として派遣しています。彼らは中国で政争に巻き込まれて流刑となり、現雲南省の大理へ送…

なぜ京都の寺に平重盛像としてまつられる像が、源氏方である足利尊氏の可能性が高いのでしょうか。伝尊氏像が、高師直像とされるようになった理由も知りたいです。

これについては論旨が多岐にわたり、議論が繰り返されていますが、概ね新しい見解が定着しつつあるようです。新説は、数年前まで上智で教鞭を執っていた米倉迪夫さん、東大史料編纂所の所長も務めた黒田日出男さんが主張されたもので、神護寺三像を源頼朝・…

『千金翼方』で、「三」「九」「八」などの数字がよくでてきていますが、何か固有の意味があるのでしょうか。

3はアジアにおける聖数のひとつで、多数決を決するものとして、すでに中国古代の殷の時代から重要視されています。後に、天・地・人を意味するものと位置づけられます。その10倍、100倍など数は、例えば仏教でいう「三千大千世界」など、宇宙そのものを意味…

中世の修験道の山伏たちが修行をした神体山はごく一部の奥山で、人間の開発の手を免れていたということでしょうか? また、そういう山は村落周辺のはげ山との視覚的比較から、より神聖さが増していたということは考えられますか。

山伏の修行するような場所は、かなりの奥山です。平安期には、古記録に修験道の人々の話題が出て来ますが、彼らも鞍馬や熊野など、かなり奥地の峻嶮な場所を修行の舞台としています。それらは、水田化と柴草山化の波からは逃れる場所にあったと思われます。…

富裕な百姓の存在が、貨幣経済の浸透が原因ではなく、肥料の使用の可否が原因だとの見解が面白かったです。どちらの説の方が有力なのでしょうか。

前者は通説、後者は肥料の問題から再考を要求した新説ですね。貨幣経済の浸透の問題は否定できないでしょうが、肥料の件はこれまであまり指摘されてこなかったことですので、今後重要視されてゆくでしょう。また、「金を支払わないと充分な肥料が得られない…

はげ山にするほど一生懸命米を作らなかったら、日本人はどんなものを食べていたのでしょうか。

近世では「石高制」が敷かれ、経済の単位を米に置く、世界でも極めて得意な制度が機能していた。水田だけではなく、畑地や屋敷地を含むすべて「耕地」の生産高はすべて米の生産力に換算され、米で徴収されたわけです。よって、鍬や雑穀を作っていた畑にも米…

トブサタテという林業の風習に関心を持ちました。これで本当に木は再生するのでしょうか。また、この名称の語源は何でしょうか。

トブサタテは「鳥総立て」と書き、トブサとは、木々の梢が鳥の止まる場所になっていることを指します。フサ=「総」は、枝葉の茂っている様子で、昔立っていた巨樹が倒れたことに因んだ、上総/下総の地名表記と同じです。トブサタテには、実質的な再生機能…

草山、柴山の用途は、焼畑とは関係ないのでしょうか。

近世段階では、確かに列島の山地各所で焼畑も行われていましたが、水田稲作が拡大し、柴草山が環境の多くを覆い始めると、その焼畑でさえ水田に変えてゆく事態になります。よって17世紀以降の柴草山の用途は、主に刈敷の草を取るためのもので、焼畑の前段階…

英語の文献で、日本人の自然観について書かれたものを読んだことがあります。そのなかで日本人は、「人間は自然の一部」という考え方を持っており、長らく自然と共生してきたが、江戸時代頃には、「人間は自然の一部でありながら、自然を豊かにする力を持っている存在である」との考え方が、学者らの間でみられるようになったとありました。このような、自然に手を加え、自然を豊かにしようという考え方は、日本特有なのでしょうか。(熊沢蕃山に「怪物」という思想があったようですが…)

江戸時代の自然観は、多く儒教思想の読み直しのなかから生じてきます。天人合一の思想のなかで、人間の究極的には自然の一部であって、相関関係のなかに置かれている。その関わりにおいて、お互いに自己を実現してゆくことが可能であると捉えるわけです。ま…

日本人のルーツはどこにあると、先生はお考えですか?

授業でもお話ししましたが、ルーツを語ろうとするところに、何か「日本人」なる自明のものが存在するような誤解が生じてしまいます。「日本人」といったとき、何がその枠組みの根拠になるのでしょうか。どこからどこまでの領域が日本なのでしょうか。北海道…