日本史特講:古代史(08春)
とうぜんそうなのですが、生命エネルギーの象徴とみる思想は古代にむしろ強いのです。狩猟採集社会では、現在でも獲物の血を貴重なものとして扱いますし、各宗教ではそれゆえにタブー視する規制も多く存在します。日本の「血の穢れ」もそうでしょうが、『風…
専門外ですが、髪の分け目に付けるのはシンドゥールといって既婚者の証、額の飾りはビンディーといってヒンズーのシンボル、シヴァの第三の目に由来するようです。人間の額に覚醒の印が生じるのはヒンズー以前からの思想で、仏教でも悟りを開いた者の証であ…
史料に「この村の傍ら」とあるように、根生が耕作した土地は、ちょうど神の領域/人の領域の境界に位置していたものと思われます。予め祭壇が立っていたように、そこは村人たちが神に供物を捧げるべき場所で、耕作などしてはいけなかったのですね。当然、村…
根拠はありません。メディアや商業ベースに乗るようなものは、大部分は虚偽ですので信じてはいけません。だいたい、人間の歴史のなかで、どういう系統の誰々までを先祖とみるかという認識は、時代や地域により大きな違いがあります。それを一元化していいあ…
なぜでしょうねえ。今まで、別だん支配的な学説であったというわけではないと思うのですが。これは、教科書編者が採用していた見解だったというしかないでしょう。動物霊の悪霊化については、先にも触れた両義性という意味ではありえます。アニミズム社会に…
まさに宮澤賢治と妹トシの世界ですね。文献のない縄文の人々の心性を知ることは容易ではありませんが、惜別と哀悼の気持ちは間違いなくあったでしょう。呪術や儀礼の発端には、そうした個々の情念、感性が大きく関わっているのだと思います。ただしそれが共…
北九州とそれに連なる瀬戸内〜畿内、東海という地域は、海流などの関係で海の道が通っていたので、外部からの文化が入りやすく、常に異文化接触を生じ複合的な文化形態(いうなればクレオール)を構築していた地域なのです。よって弥生時代、古墳時代におい…
何を基準に価値判断するかということで、絶対的な良し悪しはありませんね。ただ、屈葬の方が遺体を損壊する確率は高いので、現代的感覚からいうと〈悪い〉ものということになるでしょう。しかし、火葬が損壊の最も甚だしいものでははあるのですが。
文献が残ってくるとはっきりするのですが、縄文時代においては分からないことが多いですね。しかし、一般に神的存在は、力の強いものほどプラスの恩恵/マイナスの災難とも大きいものです。日本の古代においては、神もよく祭れば幸いをもたらし、侮れば災い…
昨年、愛知県田原市の吉胡貝塚(縄文時代後期〜晩期)で、乳児と子犬が合葬されていたとして話題になりました。狩猟などに使われ人間と親しい関係にあった証拠であるといわれています。しかし、私は少々そういう現代的見方に疑問を持っていて、中国での犬の…
分骨ですね。関東でもあります。この慣習を支えるメンタリティーが、仏教の舎利信仰に由来するのか、それとも縄文以来の骨に対する意識に繋がるのか、考察してみると面白い問題です。
骨を遺棄できるから関西は薄情冷淡で、関東は温厚篤実であるということではないでしょう。講義でお話ししたように、京都の存在によって王朝国家のケガレ観が強く浸透した関西では、骨に対する忌避意識も周辺より高くなったのではないでしょうか。また、葬式…
これは宗派によって違いがあるのだと思います。しかし浄土真宗に限っていえば、関西では月忌法要も欠かさず勤修しているようですね。京都には本山があり、大阪はもとの寺町でしたから、檀家と檀那寺との結びつきが緊密なのでしょう。関東でも墓参りはありま…
穢れとは何かを解明することは、宗教学・人類学・民族学・歴史学などにおける大きな課題なのです。その追究の歴史については、拙稿「ケガレをめぐる理論の展開」(服藤早苗他編『ケガレの文化史』森話社、2005年)を参照してください。日本古代においては、…
烏には、もともと中国から引き継いだ神的イメージがあります。太陽のなかに住むとされた三本足の烏は、そのままタカミムスビの使者であるヤタガラスとなり、神武を導きます。熊野の烏はこのヤタガラスですね。他にも厳島神社など、烏を神もしくはその使者と…
詳しくは後日扱いますが、霊魂のメディアとはいえないようですね。ただし、白骨化したあとに洗浄し、拾い集めてもう一度埋葬するという事例もありますので、中世庶民全体が骨に対し淡泊であったとはいいきれません。
羊は牧畜の生業に関わる犠牲獣です。ユダヤ・キリスト教的文脈においても、中国的文脈においても同様です。羊を遊牧・放牧する慣習のなかった日本では、馴染みの薄い獣であったと思われます。
白川静『字統』によれば、金文では「家」の「豕」の部分は「犬」となっているようです。つまり、犬を供犠する祓除の建築儀礼を行って建てたもの、甲骨卜辞では祖先を祀る施設を指すらしいですね。祖先に捧げる供物としての豕と、祓除の役割を果たす犬が、後…
まずはケースバイケースでしょうね。岳飛の場合は漢民族と女真族との戦争という背景があり、後世の評価も中華思想によって大きく偏向してしまっています。同じ漢民族のなかならば、例えば神格化される関羽を倒した呂蒙や曹操は、祟りを受けて頓死したとの伝…
戦国期の中国人がそう考えたのではないか、ということですね。ありえないことではありません。ただ、睡虎地日書『詰』の文言からみる限り、幼児の死者もまた教え諭すというより祓除されているので、そこに微細な心情の動きを読み取ることはできません。私も…
アリエス/伊藤・成瀬訳 1983(1975)『死と歴史―西欧中世から現代へ―』みすず書房イェンゼン/大林・牛島・樋口訳 1977(1966)『殺された女神の神話』弘文堂磯前順一 1994 「土偶の儀礼過程」同『土偶と仮面・縄文社会の宗教構造』校倉書房市毛勲 1998 『…
もっともな質問ですね。現代中国語では、「鬼」はgui(三声)、「帰」はgui(一声)です。古代的な音韻は不明ですが、音感が似ていたことは確かでしょう。4/18の講義で解説しますが、問題はこの二文字が連続して現れるフレーズです。最初は論理的な結合であ…
道昭の場合は、あくまで仏教の伝統的葬法に倣ったとみるべきでしょう。彼は唐へ留学して玄奘三蔵に師事しましたが、玄奘の周辺には西域の火葬情報が集積されていたと考えられます。当時の中国でも火葬は珍しくなく、玄奘自身も荼毘に付されています。道昭は…
史料2のことでしょうか。これは鹿ではなく豚の糞ですね。これを焼くということは、恐らくは臭いや煙で撃退するということでしょうが、豚が中国でいう三牲のひとつ、典型的な犠牲獣であったこととも関連すると思われます。つまり、豚は祖先祭祀の供物として…
カトリック大学の立場からすると、答えるのに難しい質問ですね。要は信仰の問題でしょう。生きている我々の側に確とした信仰があれば、一概に「都合のよい解釈」とはいえないと思います。ただし、普段まったく忘却しているのに苦しいときの神頼みのように想…