2014-06-01から1ヶ月間の記事一覧

神社に祀られる男神/女神の区別は、一体どのようにして決まるのでしょうか。宗像の場合、海上の安全を祈るなら男神の方がいいように思いますが。 / 神に対して、男女の区別があるという考え方は、いつ頃から存在したのでしょうか。

神をいかなるものとして定義するかにもよりますが、「神的存在」として広義に捉えるなら、縄文時代の土偶の一部も女神を象徴するものとみることができます。人間を含む動物、植物などが持つ雌雄の区別は、精霊や神的存在にも適用されるのが普通で(神話など…

古墳に対する祭祀をしなくなったのは、いつ頃からなのでしょうか。 / 何を契機として、神祇祭祀と古墳祭祀の区別が付いたのでしょうか。 / 区別が付いていない状態は、死者=神と理解してよいのでしょうか。

古墳祭祀が終焉を迎えるのはその終末期、7世紀前半と考えられます。ちょうどいま授業でやっているあたりで、中国文化を受容して社会改造を行い、思想や心性も前代から大きく変質してゆく時期です。古墳祭祀のメンタリティー、その様式は神社祭祀に継続して…

水辺の都市に洪水伝承が多く存在しているとのことですが、例えばノアの伝説など、イスラエル周辺にそのような場所はあったのでしょうか。

『旧約聖書』創世記に収められたノアの洪水の伝承は、当初からユダヤ民族が持ち運んでいたわけではなく、西アジア発生であるとするのが通説です。すなわち、チグリス・ユーフラテスの洪水地域から発生した洪水神話が、ユダヤ民族に受け入れられたということ…

陰陽五行説の概説書でおすすめのものがあれば、教えてください。

日本の陰陽道も含めて理解できるという意味では、鈴木一馨『陰陽道―呪術と鬼神の世界―』(講談社選書メチエ、2002年)がおすすめです。

童謡が出てきましたが、『捜神記』のなかでは老婆のみが信じたような書かれ方をしています。実際は、あまり信用されない類のものだったのでしょうか。

流行している童謡を民衆がどのように受け取るか、という態度は千差万別であっただろうと思います。実際はそれを分析的に解釈できるのは、史官や陰陽家などの高度な知識を持った人々で、民衆の側で主体的に判断するということは少なかったかもしれません。民…

高誘注型の変化の問題ですが、城門の血が鶏から犬へ変わったのは、周辺の環境の変化の問題でしょうか。また、わざわざ門に血を塗る点は変化していないことから、犠牲の意味は重視されたとみてよいでしょうか。

指摘のとおり、鶏か犬かという区別はあまり意味を持たずに、「この種」の動物が犠牲に供されるという点が重要だったのでしょう。注意したいのは、鶏も犬も一面神聖視されていながら特別な存在ではなく、祭祀の犠牲としても下位ランクであったということです…

水の神聖視について、その鏡面的性格が採り上げられることはないのでしょうか。鏡や水が映し出す世界をもうひとつの別の世界と考え、鏡面や水面を境界とみるような考え方があってもおかしくないと思うのですが。

面白いですね。確かに鏡に映った世界を他界、もしくは他界への入口とみる発想は、西洋の民話・伝説やファンタジーなどでよく見受けられます。しかし、中国や日本では、あまり明確に対象化されないのも確かです。『抱朴子』跋渉篇では、山中の精霊や怪物と対…

『捜神記』の人/虎の変身譚について、中国の虎のイメージは凶暴で頭が悪いものだと以前聞きましたが、蛮族のイメージとも重なっているのでしょうか。

虎に対するマイナスのイメージは、虎害に苦しむ漢民族が意図的に作っていったものですね。実際に山中生活を行い、虎と共存していた少数民族には虎トーテムが濃厚に存在し、その強さや頭の良さを信仰しています。また、僧侶が山中修行をするようになった六朝…

説話に出てくる動物について、生態系のなかでの序列が反映しているように感じたのですが、今日みた『捜神記』では、別に影響していないようにも思われました。どうなのでしょうか。

『捜神記』に限らず、神話・伝説・昔話の類に出てくる動物には、生態系的序列はさほど反映されません。ただし、人間からみて注目すべき動物がピックアップされることは確かです。例えば、縄文の狩猟採集文化から存在したのではないかと推測される〈動物の主…

トーテムの話に関心を持ちました。動物を族霊とする部族のなかには、その動物との婚姻譚も同時に存在するのでしょうか。また、トーテムで用いられる動物、用いられない動物など、動物のなかでの神聖視/非神聖視の多寡はありますか。

確かに、虎トーテムには虎との異類婚姻譚、熊トーテムには熊との異類婚姻譚が多く残っています。どちらが男でどちらが女か、という差異は父系/母系/双系のなかで変化しますが、概ね虎にしても熊にしても、婚姻を結ぶときは人間の姿になっている点が注意さ…

『捜神記』の関連ですが、日本でも鬼が女や子供を山へ連れてゆき、妻にしたり子供を生ませたりする話があります。他にも、縄文人が山から下って来て、弥生人の女・子供を連れ去ると聞いたことがあります。山=野蛮人、平地=発展した民族という構図が見て取れます。しかし、桃源郷・蓬莱山など高いところは神仙界ともされていますので、山=野蛮人=神仙という関係が成り立つように思いますが、土俵が違うのでしょうか。

縄文人の話は完全にデマでしょうが、そういう話がまことしやかに語られること自体、平地民優勢イデオロギーが、我々を強く支配していることは確かです。これは、稲を税として選択した国家、歴代の王権・政権によって都合の良いように構築された幻想に過ぎま…

『捜神記』の話を聞くと、他民族への差別的視点が表れているのが感じられるのですが、柳田国男にも同じものがある、という理解でよいのでしょうか。

柳田国男は山人のあり方に希望を託していたことは確かですが、その表象に限界を抱えていたことも否定できません。すなわち、オリエンタリズムですね。ヨーロッパはオリエントに憧憬を持っていましたが、その表象自体が差別的であった。それと同じことです。

現行本『捜神記』が宋代に編集された際に、原本から抜かれた説話があるとのことですが、どうしてそのようなことが行われたのですか。

ちょっと説明がうまく伝わっていなかったようです。恐らく宋代には『捜神記』の原本的構成が散佚してしまっており、『法苑珠林』『初学記』その他の類書に引用されている逸文、その他『捜神記』に収録されていたと伝わるものを収集して、再構成したのが現行…

キリスト教と中国思想とを比較すると、人と自然との関係性についてまったく違う考え方をしているように感じます。キリスト教では、自然と人間との間には序列があり、人は特別なものという位置づけですが、中国では自然の一環であるという位置づけをしています。この違いは何が原因で生じるのでしょうか。

中国でも、各民族・各地域、時代や社会情況によってもさまざまな相違があります。それは、キリスト教文化においても同様なのです。まず、自然との関係でキリスト教批判をする人々は、一様に「創世記」の一節を口にしますが、全時代・全地域のヨーロッパ文化…

この時代の交流の基盤になった船舶は、どのような形をしていたのですか。また、単独で渡航していたのでしょうか、それとも船団を組んでいたのでしょうか。

舟形埴輪や装飾壁画、以前に授業でも紹介した巣山古墳の舟形木製品、その他瓜破北遺跡などで出土した船材の一部などから、古墳時代の船は準構造船とみられています。すなわち、内刳を施した丸木船を核に、前後両側面に板材を加え拡張したものです。外洋の航…

府官制は、古墳時代以降には機能しなかったのでしょうか。

雄略以降の大王が、中国王朝から将軍職を得て開府をしたという記録は残っていません。これはやはり宋王朝が滅亡し、その後に隋が中国全土を統一するまで、南朝では比較的短命な王朝が興廃したという事情によるものでしょう。その間、ヤマト王権は王家の確立…

府官制に関して、中国では、幕府のような存在が力を持ち中央の権威を打ち倒した例が存在するのでしょうか。

厳密な意味で府官制のもとでの、といいうるかどうかは分かりませんが、例えば劉宋の前の東晋においては、首都建康(南京)東方の京口・広陵を拠点とする北府、荊州を基盤とする西府という二つの軍事民政機関があり、それぞれが北朝の侵攻を食い止めるための…

銅鏡の紐は中央部に付いていますが、何に使うものなのでしょうか。

飾りとしての紐が付きます。また祭祀の際に、中央部の紐に掌を通して鈕座をつまみ、揺り動かしたのではないかと推測されています。

三角縁神獣鏡について、内区にある「乳」とは何を意味するのでしょうか。

前漢頃の銅鏡から現れる形式で、形状自体は中心の鈕座に由来するのでしょうが、文様を幾つかに区分して描くための境界とみられています。四神四獣鏡でいえば、神/獣の領域を分けているわけです。

三角縁神獣鏡についてですが、祖先崇拝の中国人が神々を刻むのは面白いと思いました。この頃には祖先崇拝はなかったのでしょうか? / 東王父や西王母について、銅鏡にその姿や名前が刻まれていますが、日本でもこれらの神を信仰していたのでしょうか。

中国にも、祖先と並んで本当に多様な神々が存在します。祖先信仰だけがある、というわけではありません。儒教、仏教、道教、そして在来の宗教、少数民族の民族宗教などなど、宗教文化だけでも非常に多様で複雑な世界が広がっているためです。それらが対立/…

三角縁神獣鏡についてですが、四神四獣形式が三神三獣形式に変わったのはなぜでしょうか。

論者によって考え方は違いますが、より量産しやすいよう文様を簡略化したのではないかと考えられています。あるいは、中国の神話世界、世界観・宇宙観ではもともと「3」という数が重視されており、例えば国家的な卜占である骨卜・亀卜では、3回占って多数…

三角縁神獣鏡ですが、回賜品とはいえ、作りかけその他で少しくらい中国に残っていてもおかしくないと思います。偽造説などはないのでしょうか。また、量産されたとしたなら、その際にベースとなったものはないのですか。

この点は、本当に学説が分かれ議論が続いています。授業でも紹介しましたが、三角縁神獣鏡はすべて日本で作成されたとの見解もあります。また、三角縁神獣鏡よりも早くに副葬が確認される画文帯神獣鏡などが、量産のベースになったのではないかともいわれて…

威信財としての銅鏡などについて、それを「中国から送られたもの」「地位を保証するもの」であると信じさせる根拠は何だったのでしょうか。

銅鏡の文化が定着する以前は、やはりその銅鏡自体の体現する鋳造技術、意匠の卓抜さ、すなわち「列島においてはみたことがないもの」「列島では作成できないもの」であったことが証拠となったのでしょう。また鏡は威信財として以上に祭具であり、前方後円墳…

倭の五王が朝貢していた時代の中国で、倭はどのように捉えられていたのですか。邪馬台国の頃のように、外交上重要視されていたのですか。

講義でも少しお話をしましたが、南朝の宋にとって、北朝を統一し安定的な政権を築いていた北魏は脅威でした。長江を挟んでその国と対峙するためには、西南地域を安定させ、また朝鮮半島を味方に付けて自国にとって有利な政治的局面を作り出したいとの思惑が…

竹原古墳の壁画についてですが、なぜ人と波と馬の上に青龍が描かれていると考えられるのでしょうか。青龍がいることでどのような意味を持つとみられるのですか?

朝鮮半島の壁画装飾で四神の描画が一般的になり、日本列島にもそれが採り入れられているため、それらの傾向と比較して推測しているのです(また中国美術史・文化史においては、龍と馬とは非常に近い生き物で、時に置き換え可能な性格も帯びています)。もち…

カエルが再生の象徴とのことですが、なぜカエルなのですか。黒魔術などで使用されたり、現代中国で食用になっているのはそのためですか。

カエルが食用にされるのは中国に限ってではなく、世界的に例のあることです。日本でもずっと食べています。再生の象徴とみなされるのも世界的現象で、やはりオタマジャクシからカエルへ変態する様子が印象的なのでしょう。

渦巻の文様は、なぜ世界的に生命の象徴とみなされたのでしょうか。

これも実証できるわけではないので、さまざまな解釈があります。ひとつの見方としては、やはり水を象徴するものだ、ということですね。水を生命の源泉とする見方、この世の始まりに水をみる態度は世界に広くみられますが、水自体はなかなか文様として表現す…

装飾古墳の復元が非常に美しかったのですが、本当にあのような色彩であったと考えていいのでしょうか。 / 描く際にはどのような道具を用いていたのですか。 / 朱の辟邪は分かるのですが、黄色や青色にはどのような意味があったのでしょうか。また、なぜ夜は朱で表現され、暗く描かれないのでしょうか。

装飾古墳壁画の復原は想像によるものではなく、実際の遺跡にある程度残った顔料をもとに行っていますので、色彩や形などほぼ正確なものと思います。顔料には、赤、青、黄、緑、黒、灰、白などがありますが、古墳時代にはすでに漆器もあり、刷毛目を持った土…

大きな古墳を造ってアピールしたり、規格を共有したりする中期と、外からはみえない内部を装飾する後期とでは、古墳の意味がずいぶん違うように思いました。ヤマト政権の権力構造が変化したということでしょうか。

古墳研究ではあまり注目されていないことかもしれませんが、確かに、石室部の自由度が増してゆくことは、地域社会における古墳の意義が変容したのだといえるでしょう。地域王権の権力を標榜し、また中央の権力との繋がりを体現する装置であったものが、より…

「指路経」のように、「行きたいけど一緒に行けない」という生者の側からの言葉とは逆に、「生きたいけれど生きられない」という死者の言葉を語ったものはありませんか。

そうした語りは「死者の語り」になりますが、それを生者が代弁しようとすると大きく道を踏みはずしてしまいますので、やはり、シャーマンなどを介して神語りするということになるでしょうね。神語りも、多くは生者の世界を肯定するベクトルを持ちますので、…