2014-06-01から1ヶ月間の記事一覧

ネイティヴ・アメリカンのトーテムポールの「トーテム」は、授業で扱われているトーテムと同じですか?だとしたらあれは何を表しているのですか?

同じです。トーテムの語は、ネイティヴ・インディアンの「彼は私たちの同族だ」とする言葉から取られています。ただし、トーテム・ポールは部族の象徴や始祖神などを表現しているものの、必ずしもそれがトーテムであるわけではなく、正確な用語とはいえない…

朱が血の代替物である理由は、何か明確に分かっているのでしょうか。

朱=血を明確に結びつける史料はありませんが、赤色が境界性、辟邪性を強く持つことは、古代からの呪術・祭儀などではっきりとみてとれます。一方の血液も生命の象徴として、やはり呪術や祭儀において、朱と同じく境界的、辟邪的な機能を担っています。朱の…

中国においては天子の乗る車が桑で作られていたと聞いたのですが、何か関係はあるのでしょうか。

『三国志』の劉備の逸話に、少年の彼が将来天子となる望みを語る際に、「桑でできた馬車に乗る」という表現が出てきますね。しかし、いわゆる車駕が必ず桑で出来ていたかというと、そうでもないようです。講義でも紹介した蓬矢桑弓の祭儀が、もともとは男子…

人間が植物から生まれてくるということが、祖先としての植物がもう神格化された存在なのか、それとも実際の植物であったのか気になりました。

そのあたりの境界自体が曖昧である、ということなのでしょう。ウツシキアオヒトクサという名称など、人間は人間であると同時に草なのだ、ということを標榜していると思われます。

卜占に用いる亀の大きさには、何か規定があったのだろうか。

規定はありませんが、『春秋左史伝』などの記録によれば、大きな亀甲は伝説的な宝物として高い価値を付されたようです。ただし、殷代に用いられた亀甲は多くクサガメやハナガメで、せいぜい長さ20〜30センチ程度のものでした。

◎24では、蛇が洪水に強い影響を与えているようにみえます。蛇と水には何か関係があるのでしょうか。

蛇は、世界的にみて水神の代表的表象のひとつです。アジア地域では、低湿地、水沼、川などの主、もしくは神として、大蛇、ミズチなどがよく形象化されています。日本列島ではヤマタノヲロチが有名ですが、あれも出雲国の斐伊川とその流域自体を表象した神格…

龍神や亀というと青龍・玄武を思い出しますが、亀は占いに使われるものの神としての扱いをされていないのが不思議でした。それとも占いに使うということは、すでに神聖視されているということでしょうか。

亀卜の論理について伝える最古の文献、『史記』亀策列伝では、術者は亀卜を行う際、亀の精霊を祝福し予言を引き出す形で卜占を実践します。カミの定義が問題となりますが、易は筮竹に宿る植物霊に、骨卜・亀卜は骨・甲羅に宿る動物霊に働きかけ、人知を超え…

『捜神記』の洪水伝承に「石亀」が出てきましたが、これは現在奈良県の飛鳥にある亀石と、何か関係があるのでしょうか。

実は、飛鳥の亀石については、あれが亀であるかどうかも分かっていないのです。ですから、明確には繋がりを付けることができません。ただし、大和盆地も容易に洪水を起こしやすい地形ですので、後世には「亀石が動くと洪水になる」云々といった伝承が発生し…

動物が家や氏族の象徴とされる話はよく聞きますが、植物がそういう機能を果たすということもあるのですか。

あります。日本は比較的植物/人間の間が近しい文化で、『古事記』などでは人間のことを、ウツシキアオヒトクサと呼んでいます。また、異類婚姻譚についても、動物だけではなく樹木と結婚する話が列島中に残っています。戦国以降の武家のなかにも、家紋に植…

漢民族が龍トーテムということはありえないのではないかと仰っていましたが、どういう理由からですか。想像上の動植物ではトーテムにならないということですか。

一般的に、トーテムにはタブーが付きものです。例えば、熊をトーテムとしている集団には、熊を狩猟してはいけない、熊を食べてはいけないなどの、さまざまなタブーが存在します。想像上の生物となると、タブーがタブーとして働かないことになってしまいます…

歴史上、ヒト中心主義が勝利をおさめていってしまうのは、一体なぜだったのでしょうか。

勝利を収める、という表現が妥当かどうかは分かりません。人間が人間である限り、自らが生存してゆくうえで身心ともに快適な環境を追求しようとすることは、ある意味で自然なことです。しかし重要なのは、ヒトが構築した文化のなかには、そうした傾向を批判…

『捜神記』の洪水伝承を確認していったが、主人公はみな老婆だった。なぜ老婆でなければならなかったのですか。

主人公としての老婆は、やがて日本にまで受け継がれてゆきます。もともとの歴陽水没譚では、寡婦としての孤独な老婆(すなわち社会において最も弱い存在)が生き残る点が重要だったのだと思われますが、その後、告知主体=神的存在である翁に対応するものと…

全体的に父系原理を採る民族が多いように思うのですが、父系/母系のどちらを採るかは、そもそもどのように決定されるのでしょうか。

地域や時代によっても種々の変遷がありますが、日本の場合は基層としては双系制で、中国の影響により、家長層から父系制社会へ移行してゆくことが確認されています。古墳時代の埋葬のあり方方から家族研究を推進する田中良之氏によると、縄文〜古墳前期には…

『古事記』などは、王権の正統性を裏付けるために書かれたと聞きました。キリスト教人間学では、人間は自分に意味づけをするために神話を作る、もしくは作ったと習いました。日本とキリスト教国とは異なりますが、神話に対する価値付けは近いように思えます。どうなのでしょうか。

一口に神話といっても、そこにはさまざまなレベルがあります。家族で語られる父祖の神話、氏族における始祖伝承のようなもの、村落共同体で語られる世界の森羅万象に関する説明、そして国家がその起源を語る政治的なもの。神や祭祀の由来を説いた宗教的なも…

氏族制において、それぞれの氏族は自氏の歴史を神話のような形で語り伝えたとのことですが、どうして事実であることを伝説のような枠に当てはめたのでしょうか。

古代においては、近代科学主義以降の認識のように、神話/歴史が区別されていません。現在でも民族社会などでは、神話や伝説が我々のいう歴史として語り継がれている地域も多くあります。彼らにとっては、それは〈事実〉なのです。またこの段階では、未だ各…

官僚制と氏族制の二重構造の萌芽は雄略朝にあるとのお話でしたが、それはいつまで続くのでしょうか。 / 日本はなぜ中国のように官僚制を実現できなかったのでしょうか。

律令制や官僚制自体、中国の極めて長い王朝・国家の歴史において、独自に生み出されてきたものです。中国は、王朝の支配する領域が極めて大きく、また多様な民族が存在します。地域によって文化も相当に異なっています。それらは氏族制に依存する範疇を超え…

古代の実在が確認されていない天皇にも陵墓がありますが、それはいつ頃作られたものなのでしょうか。

古墳は古墳時代に造営されたものなのですが、どの古墳がどの天皇の陵墓に当たるかは、まず7世紀末、浄御原令の制定に関連して設定されたものと考えられています。『書紀』によれば、持統天皇5年(691)、「先皇、自余王有功者」の陵墓を守衛する陵戸・百姓…

宋王朝はかなり大それた称号を倭へ送っていますが、当時の倭と朝鮮諸国との関係は、派兵などに限定されるのでしょうか。

この「大それた称号」は、倭国王のみに送られたわけではありません。授業でもお話ししたように、朝鮮諸国と獲得を競合していたのです。例えば463年、高句麗王は宋から、「使持節、散騎常侍、督平營二州諸軍事、車騎大將軍、開府儀同三司、高句驪王」の称号を…

現在の日中韓の関係を考えるにあたり、「朝鮮はずっと朝貢国のままだったが、日本は途中で止めた」との言説を聞くことがあります。これはどの程度まで正しいのですか。

上にも述べた雄略の「治天下」を契機とする言説、聖徳太子の「日出る国」国書の解釈などがその根幹をなすのでしょうが、例えば遣唐使などは、日本でそのつもりがあったかどうかはともかく、中国王朝、そして東アジア世界においては朝貢国の使者と位置づけら…

渡来系の人々によって王権が運営されているとのことでしたが、ヤマト王権の人々は、例えば対外的交渉を渡来の人々に任せることについて、抵抗はなかったのでしょうか。

不安や抵抗はあったかもしれませんが、文字や言葉の問題からして、委任せざるをえなかったのが現状でしょう。ただし、渡来系氏族を統括していた葛城、蘇我、あるいは対外交通や対外軍事を担っていた阿倍、物部、紀などのなかには、外国語や外国文化に堪能で…

鉄剣の出土した稲荷山の周辺、すなわち今の関東には、巨大な豪族、強力な政治集団が存在したということでしょうか?

弥生、古墳のときから何度も言及していますが、東国には巨大な政治集団が存在しました。彼らが中央との関係において独立不羈の気風を有していたことは、例えば安閑朝の武蔵国造の乱などに明らかです。『書紀』の記述などを批判的に追ってゆくと、当時の東国…

鉄剣名に刻まれた「治天下」は、中国の「天下」をさらに「治」めるといったニュアンスを感じます。中国を越えようといった意識はあったのでしょうか。 / 中国は、倭王権が中国の制度を「建前」として用いていたことに気付かなかったのでしょうか。

まだ文字の運用について熟練していない倭国のことですから、「治天下」にそれほど大きな自意識を認めることはできないでしょう。「中国的天からの離脱を宣言した」との見方もありますが、あまりにも自国を過大評価した見方であると思います。恐らく、中国の…

雄略は漢風名、倭讃も漢風名でしょうが、雄略/ワカタケル/倭王武などの使い分けは、一体どのようになされているのでしょう。

我々がふつう天皇を呼ぶときに用いる漢字2字の呼称、この場合の「雄略」は漢風諡号というものです。実はこれは『日本書紀』に記載されておらず、文武・聖武・孝謙を除く神武〜持統・元明・元正は、8世紀の半ば過ぎに淡海三船によって一括考案・奏進された…

ワカタケルの名を刻印した刀剣の銘文について、その作り方までどうして記す必要があったのでしょうか。 / 銘文の刻まれるものが刀剣でなければならない理由はあったのですか。

授業でもお話ししましたが、当時良質の鉄は朝鮮半島から輸入されており、当然のごとく錬鉄の知識・技術も特別なものとして評価されていました。ゆえに銅鏡にも制作地や制作者の名前が鋳造され、鉄剣銘などにも同様の形式が用いられたと考えられます。立派な…

倭の五王についてですが、讃・珍が河内集団、済・興・武が大和集団とすれば、前者をヤマト王権と称するのには少々戸惑いがあります。 / 2つの系譜が別々の集団としても、何らかの血縁関係はあったのではないでしょうか。 / 2つの系譜が、「倭」という同一の姓で継続性をアピールした理由は何なのでしょうか。 / 河内と大和との関係などは、どのような史料で明らかになったのでしょうか。

ヤマト王権という言葉は現在慣例的に使用されていますが、確かに対外的な史料の記述からも、「倭王権」と呼称するのが妥当でしょう。この言葉ならば、大和集団も河内集団も同一の範疇で把握でき、複数の系譜に属する王が一律に倭姓を名乗ったこととも対応し…

5世紀、倭国で兵士を担っていたのはどのような人々だったのでしょう。

氏族制の概念からいえば、統括していた人々、主力を形成していた人々は、後に大伴や物部といった軍事関係の伴造に編成されてゆくような豪族たちだったでしょう。また、各地域でヤマト王権に従属していた豪族たちも、自らの軍兵を保持していたはずですので、…

古代において山といえば三輪山だと思うのですが、そこにも神はいたのでしょうか。

もちろん、三輪山の麓には大神神社という神社があり、日本最古の神社といわれています。祭神は三輪山自体を神体とする大物主で、神話においては蛇の姿で形象されます。しかし、考古学的にはその神格・祭祀には変遷があるようで、かつては王権の故地からみて…

磐座祭祀についてですが、巨岩自体が神とされるのはどうしてなのでしょうか。海や湧水点は生命の生じるところとして理解できるのですが…。 / 木なども祀られたのでしょうか。

繰り返しになりますが、アニミズムは無生物も含めて森羅万象に神霊の存在を認めるものです。樹木信仰などはその典型ともいえ、日本列島では縄文時代の段階から確認できます。『古事記』や『日本書紀』のなかにも、巨樹信仰や、神殺しの対象として樹木を伐採…

『古事記』によると、日本には八百万の神々がいるそうですが、それも神道の思想なのでしょうか。天照大神は、その神々のトップですか。 / 伊勢神宮が創建されたのはいつ頃なのでしょうか。

別のところでも書きましたが、現在の神道は極めて近代的な概念ですので、古代においては神祇信仰と呼ぶのが相応しいでしょう。「八百万」も実数ではなく「たくさん」という意味で、文献によって異なる数が記されている場合もあります。よって、八百万それぞ…

沖ノ島は外国の人々によっても祭祀されたとのことですが、渡来人も、日本に来る前に信じていたものがあったはずです。解釈の相違をめぐる軋轢などなかったのでしょうか。

アジアの宗教的態度は、シンクレティズムが基本です。すなわち、他を排斥するような宗教に入信しない限りは、複数の神的存在を違和感なく信仰しうるということです。アニミズム世界においては、森羅万象のすべてに神霊が宿っており、人々は時と場合に応じて…