2017-01-01から1年間の記事一覧

陰陽師は、けっきょく日本のオリジナルではない、と証明されたのでしょうか。

実は、授業で扱った敦煌文書(S.4400「太平興国九年二月廿一日帰義軍節度使曹延禄醮奠文」)が、未だ日本の陰陽道研究ではしっかりと位置づけられていないのです。日本の陰陽師が用いた知識・技術が、漢籍をもとに日本で発展したものであることは確かなので…

鳥を用いた占いは、講義で扱っていないヨーロッパなどの地域にも存在するのだろうか。存在するとすれば、その地域差はどのような要因によって生じるのだろうか。

古代ローマでは、鶏を用いた鳥占いが、要所要所で行われたようです。政治家としても文筆家としても名高いキケロの「占いについて」には、「ローマ人は、どれほど多くの種類の卜占の方法を受け入れて来ただろうか。まず最初に、この国の父祖ロムルスは、鳥占…

占文の内容にある「戦争の有無」とは、他国などから攻撃されることでしょうか。人為的な事柄まで占いの結果として予想されるのは、違和感があります。

まず、個人レベルで使用しうる卜占に出てくる「戦争」は、やはり災害としての戦争なのです。自分にはまったく関わりのないところで発生した戦争が、自分の生活領域を侵蝕してくる。それをいかに事前に知るか、という問題になっています。しかし、『開元占経…

野鳥が人間の家宅のなかに入り込んでくることを凶兆と捉えるような文化では、鳥を愛玩用に飼育したりすることはなかったのでしょうか。あったとすれば、それはどのような意識でなされたのでしょうか。

鳥の飼育の例はあります。野鳥が室内に…という占文は、「野」鳥であることが重要なんですね。つまり、野生/文化を峻別する儒教的認識において、その境界を超えて野生が文化に侵蝕してくる、ということが問題なのだろう、それゆえに「怪異」となるのだろうと…

鳥語を解することが専門化し、体系的に教授されるなどのことはなかったのでしょうか。また、鳥語と人間の言葉を逐語的に対照させるような書物は存在しなかったのでしょうか。

授業でお話ししたように、いわゆる鳥情占に属するような書物は、正史に付属する目録類に幾つか確認できます。しかし、そのほとんどが長い歴史のなかで散佚してしまって、実体がつかめないのです。授業で取り上げた実例は、そうしたなかで何とか探し当てたも…

鳥を介して天の声を受け取るのならば、その逆、鳥を介して人の意志を天に届けることはなかったのでしょうか。

ありそうですね。個々人の呪術的実践ならば、いま思いつかないのですが、ありえたことだろうと思います。例えば東アジアから東南アジアにかけて分布する穀物起源神話には、鳥が天のクラから穀物を盗み出し、人間に与えるという形式のものがあります。鳥は地…

日蝕が起きると、天の譴責として政治の改革が行われてしまうため、予防線を張るために天文学が発達したと聞いたことがあります。鳥占の場合には、そうしたことはなかったのでしょうか。

祥瑞や怪異に関するものは多少はありますが、王権の基盤を揺るがすほどのインパクトを持ったものはありませんでした。日蝕や月蝕のように、計算して声や動きを予測できるものではない、ということもありますね。

上下関係をはっきりと峻別する儒教に対して、鳥の声を聴こうとする鳥情占などは、中国思想にどのような影響を与えたのでしょうか。

儒教や東洋史のみでしか中国の歴史・文化に触れることができない一般の日本人にとって、中国は漢文化中心の国にみえますが、必ずしもそうではありません。現在の中国が、広汎な地域のそれぞれによって異なる言語・文化・心性を持ち、また階層によっても感じ…

先生は北條氏の子孫だと伺いましたが、お宅に古文書などあったりするのでしょうか?

何度か焼き討ちにあったり、火災で焼失したりしているので、古文書は徳川家光による寺領安堵の朱印状の写しなどしか残っていません。ただし、仏具である楽器の磬や聖観世音菩薩像など、南北朝や室町にまで遡るものは、少ないながらも所蔵しています。

『平家物語』については古典の授業などでよく取り扱われますが、『太平記』をあまりみないのは、現代でも皇国史観的バイアスの名残があるということなのでしょうか?

恐らくそうだろう、と思います。NHKの大河ドラマでも、この題材はなかなか取り扱うことができず、1991年の『太平記』のみしか作成されていません。

神護寺に伝わる平重盛像が、足利尊氏かもしれないとされるのはなぜでしょうか?

これについては論旨が多岐にわたり、議論が繰り返されていますが、概ね新しい見解が定着しつつあるようです。新説は、数年前まで上智で教鞭を執っていた米倉迪夫さん、東大史料編纂所の所長も務めた黒田日出男さんが主張されたもので、神護寺三像を源頼朝・…

人間関係で政治史をみるのはナンセンスだとの話がありましたが、排斥事件や人事の史料をみるに当たって、人間関係はやはり重要な判断材料になるのではありませんか?

そうですね、確かに人間関係も大事なファクターです。授業での話し方が悪くて誤解を招いたかもしれませんが、人間関係のみを解釈の中心に置き政治史を考えることが、意味を持たなくなってきているということです。マルクスの思想を思い出していただきたいの…

天皇が徐々に人の目に触れなくなった結果、その神聖性が強まったという解釈で合っているでしょうか? / 天皇を描くタブーが解消されたのはいつのことですか?

そうですね、これは幼帝の出現によって天皇が政務の場から遠離ってゆくこととも関係があるのですが、地方への行幸はもちろん、あまり公の場へ姿を現さなくなってゆき、内裏の奥へ隠れた/隠された存在となってゆくわけです。その過程で、「みえない」ことに…

中国との交易によって、さまざまな病気も入って来たのではないかと思います。交易中断などの措置は採られなかったのでしょうか?

例えば、天平9年の天然痘大流行は、遣新羅使が感染して持ち込んだものであることが分かっています。奈良時代の正史『続日本紀』同年正月辛丑条によれば、遣新羅大使の阿倍継麻呂は対馬で死亡、副使の大伴三中は病のため京に入ることができなかった、とあり…

遣唐使の停止によって、唐物は朝貢品ではなくなり、単なる輸入品として、市場に出回ったりはしなかったのでしょうか?

講義でも説明しましたが、朝貢品でなくとも、外国との交易品については、朝廷・官司が優先的に入手できる決まりになっています。市の機能について規定している関市令では、外国との交易について、官司が交易する前に私人が交易することを禁じています。その…

遣唐使が停止されても中国の文物は入って来たとのことですが、それ以前は、やはり使者を派遣しないと唐物は輸入できなかったのでしょうか?

外交使節が商人を伴う形で行われる交易、あるいは使節自身が交易の役割も兼ねる場合が一般的でした。とくに統一新羅や渤海との外交などは、一方では政治的緊張により、一方では日本の意向が達せられないことによって、交易中心のものになってゆきます。例え…

日本の国風文化が中国の影響下にあるということは、中国の歴史教育ではどのように扱われているのでしょうか?

中国の歴史教科書における日本の記述は、やはり近現代史が中心です。国風文化などの記述については、ほとんどありません。

国風文化の著名なものとして寝殿造りがあるが、そこにはどのような中国的技術があるのか?

難しいですね。そもそもの建築様式の問題からいえば、まず神社に残るような列島古来の建築様式に対して、寺院にみるような瓦葺きの宮殿的様式は、中国の宮殿建築を模して作られたものです。中国の都城形式を採用して作られた、藤原京、平城京、長岡京、平安…

この頃の唐物の陶磁器の文化は、のちの天目茶碗などと関わりがあるのでしょうか。

天目茶碗は、中国浙江省の天目山周辺で作られていた茶碗で、入宋する禅僧が喫茶の文化とともに持ち帰ったため、喫茶の風習とともに日本に広がってゆきます。主に、鎌倉時代以降のことです。平安時代の唐物として主なものは、北方陝西省の耀州窯、南方浙江省…

唐物の件ですが、楽器に関しては材料が輸入され日本で作られたのか、それとも楽器自体が、もともと唐や外国にあったのか気になります。琵琶は輸入品ですが、いわゆる雅楽に使うものや琴はどうでしょうか。

雅楽は本来中国の宮廷音楽ですので、それに用いられる楽器は中国起源のものです。日本古来のものとしては和琴があり、柱を使って音程を変える点など箏に近い構造を持っていますが、弥生時代の遺跡から発掘され、神降ろしの道具として使用されたことが想定さ…

唐物で日本に輸入されてきた物は、日本でこれが欲しいと指定した物なのでしょうか。そもそも日本に存在しないものとすれば、なぜ日本側がそれを知っていたのか疑問です。

奈良時代にも、中国や朝鮮から外交使節が訪れ、彼らが帯同した商人らによって、朝廷や有力貴族との交易が行われていました。その頃から中心は香薬で、唐物の品目の受容はあまり変わっていないかもしれません。商人からみれば、朝鮮や中国の高級な物品、そし…

『新猿楽記』に登場する「商人の主領」は、民間の商人なのでしょうか?

商人の統領である八郎真人は、右衛門尉の8番目の息子とされています。右衛門府の大尉は従六位上、少尉は正七位下の相当官なので、下級貴族の家ということになるでしょう。子供は貴族として官職を得て生活してゆくことができず、それゆえにみな書家、画師、…

文化を位置づけるには、同時代のうち先進的なものに目を向けるべきではないだろうか。そういう意味では、大和絵や王朝文学、宗教などをまとめて国風であると指すのは、間違いだとは思われない。

この時代の文化をどのように呼ぶかはあらためて考えなければなりませんが、問題は、前回お話ししたような文脈で「国風文化」という用語が成り立ち、そのために誤解が発生しているということです。それを、「間違いだと思われない」といっていたのでは、何の…

唐物交易は、国家が主体の朝貢貿易であったという理解でよろしいでしょうか?

朝貢交易は、正式に宗主国へ使節を派遣し、種々の物品を貢納することにより、それに倍する下賜品を得ることを意味します。遣唐使途絶以降の唐物交易は、商人がそうした役割を務めることはあったとはいえ、正式な国交のもとに外交使節が往来していたわけでは…

宇多天皇の「猫かわいがり」が面白かったです。該当する史料を載せてください。また、唐猫は現在のイエネコと同種でしょうか。

まず唐猫ですが、和猫が尻尾が短く曲がっているのに対し、下記の文献にもあるとおり、長い尾が特徴です。現代の分布調査でも、尾の長い唐猫は京都を中心に分布し、その他の地域には尾の短い和猫が多く分布していることが分かっています。しかし、実際のとこ…

遣唐使任命について、藤原時平が道真を排除するために補任したとの説を聞いたことがあります。中国情勢だけでなく、日本国内の政局を意識した論があまりないことに違和感を覚えました。先生は、遣唐使廃止の原因に権力闘争が絡んでいたとお考えですか。

宇多〜醍醐朝の朝廷では、変転する社会に対応する新制度を創出すべく、寛平・延喜の国政改革が進行していました。具体的には、機能しなくなった戸籍・班田を基礎とする人頭税を改め、税目を定数化・変成替えして田率賦課する土地税に基づく、王朝国家体制へ…

遣唐使派遣中止の実相がよく反映していないとのことですが、道真の建議にある僧中灌の報告によれば、そのプロセスは容易に想像できるのではないでしょうか。

問題は、ある程度信頼できる中止の史料が、『菅家文草』収録の建議書しか見出されていない点です。道真は渡航の不安のほか、唐の政治的・社会的混乱を挙げて、派遣を公卿で審議するよう提案しているのですが、残念なことに、彼の建議が取り上げられて朝廷で…

国風文化というタームの成り立ちには、より誇らしい国家イメージを教育したい人々の願望がみてとれるが、そう考えると、主観を重要視する歴史学は、書物は徹底分析する実証主義歴史学より、事実を歪ませてしまう可能性があるのではないか。

前回も話をしましたが、主観を許容する歴史学も、「何でもいってよい」わけではありません。史料を通じて常に過去に方向付けられ、他の研究者や社会に開かれるなかで、常に反証の提起にさらされます。歴史学者はそのなかで、自らの主観に自覚的になってゆく…

自身の都合のよいように事実を歪めることは咎められるべきであると思うが、もしこうやって授業で教えてうただいているように事実が判明しているなら、外交の手段として歴史認識をある程度操作するのも致し方ないのでは?とも思った。慰安婦問題など正面から向き合わなければならないこともあるが、現実問題としてそうした操作を一切なしにしたら、日本はどうなってしまうのだろう…と思いました。先生はどうお考えになりますか?

事実を歪曲し、あるいは隠蔽してなされる関係は、決して友好的なものにはなりえないと思います。人と人の場合も、国と国との場合も同じです。相手ももし事実を歪曲・隠蔽していれば、お互い欺し合いになるばかりか、生産的な意見交換とは無縁のところで打算…

『文明の生態史観』などを通じ、戦後に脱亜的意識が勃興してくるのが驚きでした。それともこの風潮は、明治維新からあって、言葉として残されたのが敗戦後ということでしょうか? / 『文明の生態史観』は、戦勝国であるアメリカを完全に無視していると思うのですが、アメリカから批判はなかったのでしょうか。

『文明の生態史観』の世界図にアメリカが入っていないのは、アメリカ文明=西ヨーロッパ文明との認識があるためです。アメリカにおいて支配階級にあった白人たちも同様の認識を持っていたため、その点自体にアメリカとしての批判が出ることはありませんでし…