2017-01-01から1年間の記事一覧

洪水や地震などの歴史が、日本において重視されない、または伝承されない理由は何なのでしょうか?

重視していないわけではないだろうと思います。事実、地震や津波の頻発する地域では、その危険や避難の方法を訴える口碑、それについて明記された石碑などの類が存在します。しかし、近代以降、列島社会は大きな流動化のなかにあります。先祖代々同じ場所に…

義満が北山第における接見儀礼でとった態度は「現実主義的」とのことだが、その具体的な意味がよく分からなかった。

つまり、名目や理念よりも現実的な利益を採る、という姿勢です。義満とすれば、明に対する完全な臣従は潔しとしない。しかし、交易による利益は捨てがたい。そこで、明の儀礼のあり方を主体的に改変して対応、その譲歩を引き出し、自らの利益も保ちえたので…

受験のときも不思議だったのだが、都城における宮殿の位置が、平城京以降はすべて北部中央だが、藤原宮のみ中央部にあるのはなぜしょうか。

藤原京の宮を中心に置く構造は、中国における戦国時代末期の書物『周礼』考工記に依拠していたと考えられています。これは中華思想と同じ空間概念で、中央に文化の中心としての王があり、その徳が周縁へ向かって及ぼされてゆくことを示しているのでしょう。…

新たに『宋朝僧捧返牒記』が出てきて、以前までの様相を覆す内容であると、以前までの資料は誤りとみなされてしまうのでしょうか。それともやはり編者や他の資料との一貫性などの情報に基づき、それぞれの資料を相対化して、どれが「正しい」とみなされるかを決めてゆくのでしょうか。『福照院関白記』や『満済准后日記』は、日記であるぶん主観が入ってしまうと思うのですが。

これまでの授業でもみてきましたが、現代歴史学では、史料を「正しい」「誤っている」という、二者択一的な見方で価値付けたりはしません。『福照院関白記』や『満済准后日記』は、確かに書き手の主観から成り立っている文献ですが、それゆえに、問題の事象…

日本の朝廷や皇室との軋轢を避けるべく、明使の接見儀礼(冊封儀礼)を秘密裏に行おうという義満の意図が、側近の武士たちには共通認識として存在したのでしょうか?

そのあたりは難しい判断になりますね。儀礼の詳細は記録としては残っていますので、完全に秘密が保たれたかというと、そうではなかったろうと思います。管領斯波義将が義満の対応を批判したのは、その儀礼の詳細を知ったうえでも「事過ぎたる様」と判断した…

中華思想のもとに外交を行ってきたはずの明は、義満が目の前で明の規定どおりに儀礼を実践しなかったのをみて、黙っていられたのでしょうか。

史料として明確に残っていないのですが、恐らく明側の使者と義満側との間でかなりの折衝があり、妥協点が探られたはずです。義満としては、現実主義的に明との外交を成就したい一方、国内の批判に配慮して、完全に臣従するような態度が喧伝されることは避け…

私周辺の人間のなかで、「歴史は勝利した者たちにより叙述されたものであるから、どれくらいの歴史内容が嘘なのか計り知れない。ましてや日本の歴史問題である慰安婦、南京事件などもどれくらい真実なのか分からない。もしかするとすべて嘘なのかもしれない」という考え方を持つ人が少なからずいるみたいです。このような歴史観に基づく態度について、どのように思われますか。ここにも「歴史修正主義」的な態度がみられるのでしょうか。

「歴史修正主義」はhistorical revisionismの訳語ですが、あたかも良い方向へ変更されるかのような印象を与えるので、あまり適切ではないかもしれません。それはともかく、質問のような態度ももちろん、いわゆる「修正主義」に含まれます。しかし、「修正主…

学期末レポートの件についてお知らせします。下記のとおりとなりますので、確認してください。今週の授業で説明しますので、質問はそのときに受け付けます。

【テーマ】秋学期の講義で触れた内容のうち、自分の関心を持ったテーマをひとつまたは複数選び、講義の趣旨を踏まえたうえで、各自調査・考察し、自らの見解を述べること。 【字数】400字詰換算で10枚程度、それ以上になっても構わない。・書式は任意、縦書…

日本神話の研究で、読むべき研究書は何でしょうか?

非常に厖大な研究蓄積があるので、どのような研究の流れがあるのかを把握しておくことが重要です。まず、『古事記』『日本書紀』の相違など前提となるテクストの問題に注目したもの、神野志隆光さんらの研究があります。またテクストの関連で、その言説がい…

『竹取物語』のような植物が重要な役割を果たす神話、昔話は少なくありませんが、それらを体系的に説明している本はありますか?

樹木の神聖性について論じた古典といえば、まずはフレイザーの『金枝篇』でしょう。種々の文庫で読めますが、国書刊行会から完全版が刊行されています。近年の成果では、ジャック・ブロスの『世界樹木神話』、フランシス・ケアリーの『樹木の文化史:知識・…

ギリシャ神話のヒュアキントス、中国『長恨歌』の連理の枝など、神話の悲劇において樹木に化身することを最終的な救いと描くのは、どのような意味があるのだろうか?

ケース・バイ・ケースでしょうが、やはり授業でお話しした、樹木の持つ「永遠性」が強調されるということでしょうね。しかし、ヒュアキントスの場合はもともと植物神であったものが、文芸的な神話の段階において悲劇の主人公に位置づけられたもので、『長恨…

現代を生きる人間が植物と交感することは、不可能に思えてなりません。雑草は抜く、花を付けたり秋に色づいたりする「よい」草木だけは管理する。自分勝手に扱うことを「緑化」だとかいっているのが、とても自己中心的、自己陶酔的だなと思います。美しい部分だけを切り取って人の手で管理するものを「自然」とばかり思っているのは、改めるべきだと考えました。

そのとおりですね。とくに現代日本はその傾向が著しく強く、それによって自らの正当化と、「日本文化」なるものの称揚を図っています。この講義では、そのことを破壊する話を最後にする予定です。

『竹取物語』と『斑竹姑娘』、なぜ後者はハッピーエンドなのでしょう?

これは一概にはいえないことなのですが、私は異界と人間との交流を描く物語のうち、ハッピー・エンドを持つものは成立が新しいのではないか、あるいはかつてバッド・エンドであったものが変質したのではないかと考えています。なぜ悲劇的な結末に至るのかと…

『竹取物語』を人と植物というテーマで扱う場合、かぐや姫は「人」と捉えるのでしょうか?

ああ、確かに難しいですね。『竹取』の文脈に則していうならば彼女は天女で、もともと神仙世界である月に住まう者です。それが何らかの罪を犯し、地上世界へ流謫されている。すなわち異界の存在ですが、しかし神仙は人間が修行を重ねてなるものと考えれば、…

人民のことを「民草」というのは、「蒼生」「青人草」から来ているのでしょうか?

「民草」は「民の草葉」の略語で、放っておいても増えてゆく様子を庶民に譬えたもののようです。その起源にはやはり「青人草」があるのでしょうが、そこにはもはや、トランス・スピーシーズな想像力は働いていないものと思います。雑草のような民という、上…

日本以外の国の神話では、人間の起源について詳しい記述があるのでしょうか。

東アジアにも、多くの人間の起源が語られています。中国の河南省では、半人半蛇の男女神伏羲・女媧のうち、女媧が泥をこねて人間を創造した、ゆえに人は死ぬと土に帰るのだという神話があります。中国の西南少数民族には、世界を破滅させる洪水を乗り越えた…

他の授業で、記紀における初発では「三柱が高天の原に成った」と解説されており、その起源や経緯が不明瞭なままでしたが、やはり「神が成る」という行為・状態はうまく説明できないものなのでしょうか?

そうですね、まずは近代的な意味での論理性をもっては語られない、ということでしょう。論理とは細かく分節することですので、詳細な論理が付属すればするほど、共有できない感性や思考も生じてきてしまう。するとどうしても、その神話が伝承される範囲も狭…

雪男の正体がクマというのは、人間と基本的な骨格が似ているからではないでしょうか?

そうですね。クマは、例えば中沢新一氏によって、最古の神の姿だといわれています。北方狩猟民の神話には、異類婚姻譚の相手としてクマが顕著に出てきますし、トーテム動物としても一般的です。ヨーロッパにおいても同様で、アーサー王の名は熊の古名であり…

義満が明にこだわる理由は何なのだろう。称号がないと交易ができないのであれば懐良親王と交渉すればいいだろうし、単に称号がほしいだけならば勝手に名乗ればいいのに。実際は冊封体制にも応じていなかったと聞いて、ますます分からなくなってしまった。

義満が明との外交に拘ったのは、やはり交易の利益が大きいためでしょう。その意義について国風文化の単元でみたとおりですが、種々の階層の交易のうえに朝廷の優先的利益獲得を位置づけようとした平安時代より、明の皇帝によって海禁政策が敷かれ、冊封した…

史料◎2に書かれた、「海島の間に漂流していた人々」という部分が気になりました。当時はどれくらいの明の人々が、日本へ漂流してきていたのでしょう?

倭寇の活動によって、往来する船が被害を受けて乗船者が漂流せざるをえなくなったり、海上や海岸で捕らえられ日本へ連れてこられた人々がいたものと想定されます。捕虜の交換に近いものといえるかもしれません。

足利義満は「准三后という称号を与えられ、対明の国書にも使用していますが、これはそもそも皇后などの女性に与えられる称号です。藤原良房も、かつて同じ称号をもらったといいますが、なぜ女性の称号なのでしょうか。

准三后は准三宮ともいい、太皇太后・皇太后・皇后の三宮(三后)に准じて、皇族・公卿・僧侶らへ年官・年爵・封戸などを与え、経済的に優遇することをいいます。実は、貞観13年(871)に摂政藤原良房が、年官・随身兵仗・封戸を三宮に准じて賜与されたのが初…

義満が国書を何度も明に送った際に、明の形式に則ったものではなかったため無礼であったとありましたが、明の求める形式というのは禅宗の僧侶の経由で知るのでしょうか? / 文章の書き方などで、日本と明が違うことは文化の相違で分かるのですが、漢字が伝わってから時間が経つと、少しずつ意味が違ってきてしまうということはないでしょうか(漢字であれば手紙でも意思疎通は可能なのかということです)。

明の定めた律令、礼法などに規定されているものですが、禅僧が外交使節として活躍していた時代にあって、やはり明と交渉のある禅僧らに協力を求めた可能性が高いでしょう。文化が伝播・定着を繰り返すなかで文字レベルで認識が変化することは、往々にしてあ…

当時の懐良親王は、未だ皇子であって天皇ではありません。どうして明は、そんな彼に「国王」の称号を与えたのでしょうか。

これも懐良の具体的な交渉のあり方によることでしょうが、恐らくは南朝の失墜を前に(南朝の天皇は自分の甥の長慶天皇となっていた)自らの即位を希望していたか、南朝による京都の回復を断念し九州を独立王国にしようとしたかのどちらかでしょう。なお、交…

現在、外国からの使者を殺害してしまったら大問題になりますが、懐良親王は明の冊封体制下に降ったのち、それについて咎められることはなかったのでしょうか?

滅びてしまった懐良親王側の史料が残っていないため分からないのですが、恐らく、不利な条件のもとで冊封を受けなければならない情況に立たされたと思われます。明側の主要な目的は倭寇の禁止にありましたが、そのことは、倭寇の一部を勢力に入れつつ北九州…

当時の人々は、どこまで「日本」や「天皇」への帰属意識があったのでしょうか。「日本人」という自覚はあったのでしょうか。

中世においては、例えば仏教による三国伝来史観(仏教が天竺、中国、日本と伝来し、日本こそが仏教の最終目的地であるとする考え方)、元寇など対外的脅威による神国思想によって、古代に比べ、比較的広い階層に「統一的な日本のイメージ」が定着し始めたと…

近代に近づけば近づくほど中国という国の存在感は希薄になると思うのですが、なぜ今日の授業でみたような時代には、中国との関係が大きなキーワードになるのでしょうか。これは、同じ頃の朝鮮半島の国々にもいえることなのでしょうか? 小学生の頃から歴史を習っていますが、中国は漠然と大きな存在であるのか教科書には載っておらず、大変不思議です。日本もかなり高度な文明が発展していたと思いますが、国の小ささや歴史の深さが中国より小規模だから、重要度が低いのでしょうか。

高校時代、世界史は履修しましたか。アジア世界においては、古代文明の発祥以来、政治的にも文化的にも、中華王朝が非常に大きな勢力を保持してきました。ユーラシアの東部において中華王朝に隣接する諸民族、東南アジアの一部や朝鮮半島、海を隔てた日本な…

徳川家康は自ら源氏を名乗り、足利氏の北朝を支持する立場にあったとのことでしたが、徳川御三家の水戸藩がなぜ家康とは異なる立場を正統としたのでしょうか?

『大日本史』は、上にも書いたとおり、北畠親房の『神皇正統記』を受け継ぐ勤王史観に立つ史書です。それだけでは徳川幕府の正当性/正統性を傷つけることにはならず、むしろ天皇の神聖化を図ることで、それにより政権を委任されている幕府の権威拡大を狙っ…

足利氏は天皇を排斥したとのことだが、国王の称号は国内で一番偉い人という意味では使われていないので、排斥したとまではいえないのではないか。南朝は天皇家の血筋を引いているのだし、南北朝から室町時代になっても天皇は存在したのに、「天皇を排斥した」とされた足利氏の評価には、明治政府の思惑があるのではないかと考える。

ちょっと誤解があるかもしれません。鎌倉幕府を打倒し天皇親政を行った後醍醐天皇に対し、最終的にこれを廃して新たな天皇を立てたのが足利尊氏の勢力です。後醍醐は尊氏らに攻められ、この新たな天皇(光明天皇)に譲位することを渋々承諾します。しかし、…

最近ニュースで、今後の日本史の教科書で、「坂本龍馬」や「武田信玄」などの、歴史的にも有名な人物たちが消えると放送されていましたが、先生は、それらの人物が教科書から消えるかもとなった場合、その判断は妥当と思いますか?

この発表を担った高大連携歴史教育委員会には、知人が多くいます。メディアでの報道は多く誤報道、ミス・リードがあるので、正確な情報を知りたい場合には下記のホームページへアクセスしてみてください。なお、同委員会の意図としては、歴史の授業や入試が…

先生は、厖大なテクスト群から、このような特定の史料をどのように発見するのですか?

とにかく、調べ始めたら関連するあらゆるものに手を出してゆくことですね。データベースも駆使しますし、文献を1頁ずつ丹念に捲ってゆくこともします。20年以上も研究をしていると、どのようなカテゴリーの文献にどのような記事が存在するか、不思議とだん…