日本史概説 I(14春)

府官制に関して、中国では、幕府のような存在が力を持ち中央の権威を打ち倒した例が存在するのでしょうか。

厳密な意味で府官制のもとでの、といいうるかどうかは分かりませんが、例えば劉宋の前の東晋においては、首都建康(南京)東方の京口・広陵を拠点とする北府、荊州を基盤とする西府という二つの軍事民政機関があり、それぞれが北朝の侵攻を食い止めるための…

銅鏡の紐は中央部に付いていますが、何に使うものなのでしょうか。

飾りとしての紐が付きます。また祭祀の際に、中央部の紐に掌を通して鈕座をつまみ、揺り動かしたのではないかと推測されています。

三角縁神獣鏡について、内区にある「乳」とは何を意味するのでしょうか。

前漢頃の銅鏡から現れる形式で、形状自体は中心の鈕座に由来するのでしょうが、文様を幾つかに区分して描くための境界とみられています。四神四獣鏡でいえば、神/獣の領域を分けているわけです。

三角縁神獣鏡についてですが、祖先崇拝の中国人が神々を刻むのは面白いと思いました。この頃には祖先崇拝はなかったのでしょうか? / 東王父や西王母について、銅鏡にその姿や名前が刻まれていますが、日本でもこれらの神を信仰していたのでしょうか。

中国にも、祖先と並んで本当に多様な神々が存在します。祖先信仰だけがある、というわけではありません。儒教、仏教、道教、そして在来の宗教、少数民族の民族宗教などなど、宗教文化だけでも非常に多様で複雑な世界が広がっているためです。それらが対立/…

三角縁神獣鏡についてですが、四神四獣形式が三神三獣形式に変わったのはなぜでしょうか。

論者によって考え方は違いますが、より量産しやすいよう文様を簡略化したのではないかと考えられています。あるいは、中国の神話世界、世界観・宇宙観ではもともと「3」という数が重視されており、例えば国家的な卜占である骨卜・亀卜では、3回占って多数…

三角縁神獣鏡ですが、回賜品とはいえ、作りかけその他で少しくらい中国に残っていてもおかしくないと思います。偽造説などはないのでしょうか。また、量産されたとしたなら、その際にベースとなったものはないのですか。

この点は、本当に学説が分かれ議論が続いています。授業でも紹介しましたが、三角縁神獣鏡はすべて日本で作成されたとの見解もあります。また、三角縁神獣鏡よりも早くに副葬が確認される画文帯神獣鏡などが、量産のベースになったのではないかともいわれて…

威信財としての銅鏡などについて、それを「中国から送られたもの」「地位を保証するもの」であると信じさせる根拠は何だったのでしょうか。

銅鏡の文化が定着する以前は、やはりその銅鏡自体の体現する鋳造技術、意匠の卓抜さ、すなわち「列島においてはみたことがないもの」「列島では作成できないもの」であったことが証拠となったのでしょう。また鏡は威信財として以上に祭具であり、前方後円墳…

倭の五王が朝貢していた時代の中国で、倭はどのように捉えられていたのですか。邪馬台国の頃のように、外交上重要視されていたのですか。

講義でも少しお話をしましたが、南朝の宋にとって、北朝を統一し安定的な政権を築いていた北魏は脅威でした。長江を挟んでその国と対峙するためには、西南地域を安定させ、また朝鮮半島を味方に付けて自国にとって有利な政治的局面を作り出したいとの思惑が…

竹原古墳の壁画についてですが、なぜ人と波と馬の上に青龍が描かれていると考えられるのでしょうか。青龍がいることでどのような意味を持つとみられるのですか?

朝鮮半島の壁画装飾で四神の描画が一般的になり、日本列島にもそれが採り入れられているため、それらの傾向と比較して推測しているのです(また中国美術史・文化史においては、龍と馬とは非常に近い生き物で、時に置き換え可能な性格も帯びています)。もち…

カエルが再生の象徴とのことですが、なぜカエルなのですか。黒魔術などで使用されたり、現代中国で食用になっているのはそのためですか。

カエルが食用にされるのは中国に限ってではなく、世界的に例のあることです。日本でもずっと食べています。再生の象徴とみなされるのも世界的現象で、やはりオタマジャクシからカエルへ変態する様子が印象的なのでしょう。

渦巻の文様は、なぜ世界的に生命の象徴とみなされたのでしょうか。

これも実証できるわけではないので、さまざまな解釈があります。ひとつの見方としては、やはり水を象徴するものだ、ということですね。水を生命の源泉とする見方、この世の始まりに水をみる態度は世界に広くみられますが、水自体はなかなか文様として表現す…

装飾古墳の復元が非常に美しかったのですが、本当にあのような色彩であったと考えていいのでしょうか。 / 描く際にはどのような道具を用いていたのですか。 / 朱の辟邪は分かるのですが、黄色や青色にはどのような意味があったのでしょうか。また、なぜ夜は朱で表現され、暗く描かれないのでしょうか。

装飾古墳壁画の復原は想像によるものではなく、実際の遺跡にある程度残った顔料をもとに行っていますので、色彩や形などほぼ正確なものと思います。顔料には、赤、青、黄、緑、黒、灰、白などがありますが、古墳時代にはすでに漆器もあり、刷毛目を持った土…

大きな古墳を造ってアピールしたり、規格を共有したりする中期と、外からはみえない内部を装飾する後期とでは、古墳の意味がずいぶん違うように思いました。ヤマト政権の権力構造が変化したということでしょうか。

古墳研究ではあまり注目されていないことかもしれませんが、確かに、石室部の自由度が増してゆくことは、地域社会における古墳の意義が変容したのだといえるでしょう。地域王権の権力を標榜し、また中央の権力との繋がりを体現する装置であったものが、より…

「指路経」のように、「行きたいけど一緒に行けない」という生者の側からの言葉とは逆に、「生きたいけれど生きられない」という死者の言葉を語ったものはありませんか。

そうした語りは「死者の語り」になりますが、それを生者が代弁しようとすると大きく道を踏みはずしてしまいますので、やはり、シャーマンなどを介して神語りするということになるでしょうね。神語りも、多くは生者の世界を肯定するベクトルを持ちますので、…

死者の魂は、シャーマンなどを通じて生きた人間に語りかけますが、死者が言葉を持つまでには一定の時間が必要な気がします。どれくらいの時間を経ると、死者は負のエネルギーを持つだけの存在から、言葉を持つ存在になるのでしょうか。

面白い質問ですが、時代や社会によって、その考え方にはずいぶん違いがあるでしょうね。例えば日本の風習では、50年を「弔い上げ」として、人間としての個別性を伴った霊魂から浄化された祖霊へ移行する時期、と考えています。東アジア化した仏教では、49日…

死者には大きなエネルギーがあると考えられたのは、死体が腐敗するときに発生する熱やガスと関係があるのでしょうか。

確かに、漢字の成り立ちにはその発想に近いものがあります。そもそも「鬼」という字は死体そのものを表しますが、それに「云」が付くと「魂」になる。「云」は雨冠をいただくと「雲」になるように、気体を表します。よって「魂」は、死体から立ち上る気体を…

古墳時代の人々にとって、調理と生死とはいかなる関係にあったのでしょうか。

面白い着眼点です。古墳時代に限らず、前近代社会や民族社会において、調理すること、食べることなどは極めて象徴的な意味を持っています。しかし、生のままに食べることが野生の象徴とするなら、調理して食べることは文化の象徴であり、習俗や慣習と密接に…

「見るなの禁」を破るきっかけになる、「待たされる」という文脈はなぜ必要なのでしょうか。

物語の構成からいえば、それは「試練」であるといえるでしょうね。多くの神話や伝承は、主人公が何らかの困難に遭遇し、それを克服できるかできないかによって展開が変わってゆく、という基本的構成を持っています。見るなの禁などのタブーが課される神話の…

日本に伝わる神話と共通する神話は、世界に多くあるのでしょうか。

枚挙に遑がないくらいに存在します。その共通性、細かな差異の生じる理由をいかに見つけ出すが、説明するかも、歴史学の仕事の一端です。

神話の作成者は、物語の文学性のようなものをどの程度意識していたのでしょうか。

「文学性」をどのように定義するかにもよりますが、成文化された神話の場合、どのような文字・句を用いてどのような文章を書くか、表現するかという点が問題になります。とくに古代日本は話し言葉と書き言葉が違いますので、成文化する場合、漢籍の表現に依…

神話とは、何を目的に書かれているのですか。そこに登場する神とは何ものですか。

神話と呼ばれるもののレベル、種類によって、その目的にはさまざまな相違があります。家々や村落共同体、氏族共同体のレベルで信じられている神話、芸能や文学と化した神話、国家がその利益のために再構成した神話。世界の発生やあり方を説明するための神話…

レジュメを参考文献にしたい場合には、どのように表記すればよろしいでしょうか。

レジュメ全体の名称、日付と頁数を挙げていただければ結構です。

『千と千尋の神隠し』の最後で、ハクが千尋に「ふりかえってはいけない」と言うのは、黄泉津比良坂の話をしているのだと聞きました。本当でしょうか?

千尋の訪れた世界が霊界として表象されていることは確かですが、「振り返ってはいけない」に黄泉津比良坂をみるのは少し穿ちすぎでしょうね。「振り返ってはいけない」も〈見るなの禁〉の常套句のひとつで、『旧約聖書』創世記のソドムとゴモラの話や、ギリ…

そもそも、なぜ人は地下を異界とする認識に至ったのだろう。空に異界を考える発想がないのも不思議である。

天上にも他界は設定されています。後の『古事記』にみる高天の原が代表的ですが、古墳に鳥型木製品が立てられていることからすると、古墳時代に天上他界観もあったのかもしれません。ちなみに黄泉国が地下に設定されているのは、まずは人間を地下に埋葬する…

〈見るなの禁〉は、中国から日本へ伝わったのですか、それともその逆でしょうか。

残存している文献からいいますと、当然中国のものが古いですね。ぼくの確認しているものでは、中国の戦国時代末(前3世紀頃)には成立していたとみられる『呂氏春秋』という書物に、殷帝国建国の英雄伊尹の出生譚が載せられており、〈見るなの禁〉が出てき…

死者の世界には馬や舟でしか行けないとの話があったが、『古事記』でイザナギは徒歩で黄泉国との往来をしています。これは矛盾ではないでしょうか。

授業でもお話ししましたが、黄泉国神話が古墳時代の他界観すべてをカバーしているわけではありません。あくまでその一部を反映しているかどうかということですので、相違があっても矛盾とはなりません。そこは多様性、ということです。なお黄泉国神話につい…

日本の土壌は多く酸性の化学組成であるため、遺体などが残りにくいと聞いたことがある。古墳のなかなどでもそうなのだろうか。

古墳は遺体を直接土中に葬るわけではないので、酸性土壌の内部よりも分解は緩く進むものと考えられます。しかし厖大な時間が過ぎてしまっていますし、石室内部が損壊し土に埋もれている場合もありますので、常に遺体が確認できるというわけではありません。…

追葬される主体は、死体の置かれている場所へ入ることを望んでいたのでしょうか。

天皇の埋葬される事例では、死後に夫や子供との合葬を望むという記録が時折出てきます。例えば推古天皇は遺詔(『日本書紀』推古天皇36年9月戊子条)のなかで、「比年五穀登らず、百姓大に飢ふ。其れ朕が為に陵を興し、以て厚く葬ること勿かれ。便ち竹田皇…

横穴式石室が普及し、追葬によって遺体をみる機会が増えたことで死者に対する意識が変わったと仰いましたが、具体的にはどのように変わったのでしょう。死者を恐れなくなったと言うことでしょうか? / 実際の追葬は権力者ではなく、従者などが行っていたのではないでしょうか。

古墳の祭儀は、それが被葬者をカミとするものであれ、あるいは首長霊を継承するためのものであれ、現首長にとって最重要の「通過儀礼」ですので、必ず現首長が参加、もしくは主主催する形で行われたと考えられます。追葬の場合は、すでに成立しつつあった土…

横穴式石室が神話の生成に影響を与えたとのことですが、埴輪など、古墳の他の様式が神話と結びついていることはないのですか。

上記でも少し触れましたが、『日本書紀』垂仁天皇32年7月甲己卯条には、皇后日葉酢媛命の埋葬に際し、凶礼を統括した土師氏の祖である野見宿禰が殉葬の風習を停止、代わりに土で人や馬、もろもろの形を作って埋めることを進言したとの記事があります。これ…